レッドライン
電磁幽体
わたしは≪境界線≫が見える。≪境界線≫は五色ある。
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青色、水色、緑色、黄色、赤色。
青色は痛くも無いの「いたっ」って反射的に言ってしまう、その程度の何か。
水色はしゃがんだ状態から立とうとした時に頭を机にぶつける感じの、頑張ったら我慢出来る程度の何か。
緑色は思わず学校を休んじゃうぐらいの、病院をお勧めする程度の、我慢出来ない程度の何か。
黄色は否応なしに救急車で運ばれる程度の何か。
赤色は、死に至る何か。
≪境界線≫は、色のついた一本の線。≪境界線≫は前置き無く空間から染み出してくる。それが≪境界線≫の始まり。
≪境界線≫は、でたらめに伸びながら、自身のしっぽを食らうウロボロスのように、その場の空間を囲んでいくように、≪境界線≫の始まりに戻ってくる。伸びる速度は遅かったり、速かったり、色々。≪境界線≫は隔てるもの。赤色なら生と死を。
≪境界線≫は、やがて空間を囲う。≪境界線≫で囲われた空間は、その瞬間に……。
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生まれた時から、わたしには≪境界線≫が見えていた。物心がついたわたしは、この≪境界線≫の意味が分かっていた。≪境界線≫が空間を完全に囲うと、囲われた空間で何かが起きる。ほとんどは青色、水色、緑色。カラフルな色にわたしは魅せられていた。小さいころのわたしはよく青色、水色、緑色のチョークで地面を囲って遊んだ。もちろん何かはその囲われた中で起きた。黄色と赤色の≪境界線≫が見えた時は、わたしは怖くなってその場を逃げ出していた。
わたしは中学校は美術部に所属し、高校に入学すると、迷わず美術部に入部した。
午後七時二五分。美術部が終わって最終下校時刻が迫っても、わたしは美術室に一人いる。幼馴染の信二君を待っている。信二君はバリバリの野球部員。ピッチャーの俺が部を甲子園に導いてやる! ってすごい張り切ってる。実際、みんなから期待されている。明るいクラスの人気者。暗くて影の薄いわたしとは大違い。突然、扉が勢いよく開いた。乱暴にがしゃーんと。
「おいサチー、かえるぞー」
信二君は制服に野球帽を被りながら、ぶっきらぼうな笑顔でそう言う。信二君の背中から染み出した赤色の≪境界線≫は、止まっているようなスピードで、ゆっくりと胴体を廻りながら生命を侵略していく。それを見たわたしは笑顔で返事した。
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「明後日の日曜練習試合でさー、けど練習試合つっても相手は去年甲子園行ったとこだからすっげー楽しみ。絶対勝ってやる」
「わたし、その試合見に行っていいかな?」
「あっちの高校だけど、ちょっと遠いぜ?」
「関係ないよ。わたし、信二君が頑張るとこちゃんと見たいもん」
「照れるような言い方すんなよ、ったく……」
少し薄暗い帰り道、信二君はそっぽを向いて、それでもわたしと同じペースで歩いてくれる。
わたしはそんな日常を大切にしている。わたしは、何だかんだ言っても、わたしと一緒に居てくれる信二君のことが大好きだ。信二君はわたしに色んなことをしてくれた。幼稚園の時に出会って、一人ぼっちだったわたしと一緒に遊んでくれた。小学校で虐められている時は、ぎゃーぎゃーと怪獣のように喚きながら苛めっ子をおっぱらってくれた。中学校、高校と、何も言わなくても一緒に登下校してくれる。休み時間もよく一緒にいてくれる。何から何まで、されっぱなし。ほんとうに、わたしは信二君に甘えてる。
そんなわたしが信二君に出来ることは……。
夜道、目の前に道を塞ぐように水色の≪境界線≫があった。わたしの腰ぐらいの高さの空間にある≪境界線≫は、完全にその場を囲いきる寸前。今か今かと獲物を待ち伏せるように。
わたしは歩を速めて信二君より先にその水色の≪境界線≫の囲いに入る。空間が完全に囲われる。そしてわたしはずっこけた。
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「大丈夫か?」
「何ともないよー」
「っつーか、今日はくまさんかよ」
「もう! 見ないで!」
わたしは見事に捲れ上がったスカートを正して立ち上がる。地面にぶつけた左肩がずきんずきんする。
「しっかしいっつもアレだよなー、いきなり早歩きしたかと思えば勝手にこけるし、その天然ドジっ娘マジ治したほうがいいぞ」
「はいはい。どうせわたしは治らない天然ドジっ娘ですよー」
左肩を抑えながらわたしは笑顔でそう言った。何も出来ないわたしが唯一信二君に出来ることは、信二君の代わりに怪我をすること。
でも、信二君を侵略する、胴体を廻っていくあの赤色の≪境界線≫だけは、わたしが代わりになることが出来ない。
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≪境界線≫は、交通事故や不良に絡まれて殴られたり、その空間の環境を要因とする何かと、人の衰弱死以外の病気による何か。その二つがある。
環境要因となる何かは、その空間でのみ起こる。しかし、病気による何かは、その人の体を巻きつくように、≪境界線≫が蝕んでいく。
信二君に巻きつく≪境界線≫は赤色。完全に囲われた瞬間に、死に至る。人に巻きつく≪境界線≫だけはどうにもならない。もし、病気が治って死なないのなら、死に至らない緑色や黄色の≪境界線≫が発生するはずで、赤い≪境界線≫は発生しない。赤色の≪境界線≫が見えたなら、その人の死に至る未来は完全に決定されているということだ。
信二君に巻きつく赤色の≪境界線≫は、見積もってあと十年以内に囲われる。十年以内に信二君は死ぬ。それだけは、どうにもならない、決定された運命。どれほど泣いても、どれほど神を冒涜しても、どれほど悪あがきを試みても、死ぬまでの日程は延びない、変わらない。決定されたスケジュール。
わたしはわがままだ。信二君に死んで欲しくない。でもそれだけはどうにもならない。だからわたしは信二君が死ぬまで、ずっと信二君と一緒にいたい。迷惑かもしれない。邪魔かもしれない。わたしがいない方が、信二君にとって幸せなのかもしれない。
でも、わたしは信二君と一緒にいたい。信二君のことが大好きだから。わたしは信二君に笑みを向ける。
「……何さ?」
「わたしって、信二君にとってどういう存在かな?」
「うーん……目の離せない危なっかしい妹? って何だよその不服そうな顔」
「いいもん! わたしは妹でいいよ。ねー、信二君おにーちゃん」
またそっぽを向く信二君。それでもわたしと信二君の歩くペースは常に一緒だった。
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家に帰る。お母さんが家にいた。今日はカレー。はーい、と言ってわたしは自室で制服を脱ぐ。
お父さんは家に居ない。この世に居ない。——わたしが殺した。歩道の赤い≪境界線≫の囲いにお父さんを連れ込んで。
わたしが小学校に入った頃から、お父さんはわたしで遊んだ。お父さんはいい人だった。でも、わたしで遊んでいる時は、まるで人が変わったようだった。わたしはお父さんのわたしに対する行為が分からなかった。それを理解したのは小学四年生のころ。
わたしはいつものお父さんが好きで、わたしで遊ぶお父さんが嫌いだった。
お父さんはわたしを遊園地に連れて行ってくれた。帰り道、横断歩道を渡っていると向かいの歩道に赤い≪境界線≫を見つけた。囲われる寸前のそれを見たわたしは、お父さんの手を引っ張って誘導し、手を離し、走り出した。
がしゃーんと音がした。振り向くと、お父さんは死んでいた。老朽化し落下した信号機に頭を押しつぶされて。
制服からジャージに着替えたわたしは、お母さんとカレーを食べる。お母さんは本当にいい人だ。お母さんはわたしとお父さんの過去の関係を知らないし、知らせたくない。お母さんの中でのお父さんは綺麗なままでいてほしい。
「カレー、作りすぎちゃった。お隣さんに持っていってあげて」
お母さんは微笑みながら定型句を口にして、わたしは笑顔で返事した。
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「信二君ー、カレーいっぱいあるけどどうー?」
「いつもありがとな。勝手に中入ってくれー」
「はーい。おじゃましまーす」
信二君の家庭は両親と信二君、二人の弟。五人家族。みんなわいわいしてて、わたしはこの空間にいることが好きだ。わたしは一緒にカレーを食べる。もう既に食べたのだけど、ここでみんなが楽しく食べてるのを見てると、何故かおなかが減ってきちゃう。
デザートもご馳走になった。少しみんなとゲームして、わたしは隣の自宅へ帰った。
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わたしはベッドで寝る前に必ずすることがある。
手帳を開ける。そして記す。地域一帯の黄色と赤色の≪境界線≫の分布とその進行度。
別にどうってことはない。わたしは信二君が自身の赤色の≪境界線≫に殺されるまで、生きて欲しいだけだ。
≪境界線≫は誰かが被害に合わないと永久に無くならない。その空間にずっとある。誰かが犠牲にならなければならないのだ。わたしはその誰かが信二君になって欲しくないだけであり、それだけがわたしの望みで、それ以外のことは望んでいない。
わたしは信二君のことが好きだ。でもその想いは伝えてない。伝えなくてもいい。
信二君のそばにいるだけで、わたしの全ては報われるのだ。
わたしは作業を終えると、あとはベッドにぽふっと飛び込んだ。ふかふかな世界の中でわたしは眠りについた。
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今日は土曜日。信二君は自宅で友達と遊んでる。一日中そうするつもりらしい。わたしは一人、散歩する。
わたしは散歩するのが好きだ。言い換えれば、≪境界線≫を眺めるのが好きだ。
わたしは今でも≪境界線≫を見ると地面にそれを描きたくなる。空中に絵の具を描けたらいいのにな、とわたしは常々思う。
青色、水色、緑色……黄色と赤色。カラフルな≪境界線≫はあちらこちらで生まれ、その場を囲っていき、あるいは人々は自身の体に≪境界線≫を巻きつける。
赤色の≪境界線≫を纏う人々は、自身の死を宣告されたらどう思うだろうか。
何をしても無駄だ、死は決定されている、この日に死ぬと告げられたら、人はどう思うだろうか。
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もう夕焼けが覗くころ。今日は遠くまで散歩した。≪境界線≫のデータもしっかり取れた。わたしは帰ろうと、来た道を振り向くと、
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空間から≪境界線≫が染み出していた。目を背けたくなるような、今まで見たことも無い、どぎつい赤色。しかもその進行速度は凄まじいくらいに速かった。染み出して、染み出して、まるで血がどろりと垂れ落ちるように≪境界線≫はぐんぐん伸びていく。
わたしは、その≪境界線≫が囲う外側の、安全地帯に留まっていた。その≪境界線≫を、近くを歩く人々を観察していた
何が原因? 車が突っ込んでくる? 電柱が倒れてくる? 通り魔に襲われる? そして、誰が犠牲になる?
赤い≪境界線≫が発生した以上、誰かが犠牲にならなければ、それは無くならないのだ。囲われた≪境界線≫から人々の命を守る、だなんてだいそれたことはしない。誰かが犠牲にならなければならない以上、目先だけのそれはエゴでしかないからだ。
わたしが自身のエゴを行使するのは信二君の場合だけでいい。他の誰かがどうなろうが、どうだっていい。
——だからわたしは、≪境界線≫が作ろうとする囲いを隔てたその先に、信二君がいたことに、ひどく動揺した。
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「サチー、偶然だなー」
信二君は暢気に手を振りながら、ゆっくりと歩きながらこちらに向かってくる。
赤色の≪境界線≫はありえない速度で、その空間に囲いを作ろうとしていた。死に至る空間、危険地帯。その外部、安全地帯。
生と死の区切り。緋色に染まる——デッドライン。
「ど、どうしたの?」
「いや、夕飯の買い物。カーチャンに無理やり」
「そ、そう」
動揺を隠せなかった。冷静に物事を対処出来なくなっていた。刻一刻と死に近づく信二君。緋色のデッドラインは包囲寸前、もう誰かが踏み出せば、新鮮な死体の出来上がりだ。動悸が激しくなる。胸が苦しくなる。
「こないで!」
「はぁ? 何言ってんの?」
信二君は呆れ笑いを浮かべながら、そそっかしい妹を見るような優しい眼差しで、わたしの元へと。
一歩、二歩、三歩……。こないで、こないで、こないで。
≪境界線≫は自身を完全なる囲いへと、距離を詰めていく。≪境界線≫が大きすぎて、回りこんで信二君を止めれない。
——いや、信二君だけは死なせない。
何から何まで、信二君にされっぱなし。ほんとうに、わたしは信二君に甘えてた。何も出来ないわたしが唯一信二君に出来ることは、信二君の代わりに怪我をすること。
信二君の代わりに——死ぬこと。
わたしは走り出した。信二君は赤色の≪境界線≫、死に至る危険地帯に足を踏み込もうとしていた。短い距離、そのどうしようもない距離を走りこんだ。緋色に染まるデッドラインに足を踏み入れた。死を覚悟した。信二君も少し遅れて足を踏み入れた。
赤い≪境界線≫内では、複数の死も十分にありえる。そんなことにはなって欲しくない。だからわたしは信二君を突き飛ばした。
信二君は目をぱちくりさせながら、仰向きに倒れこみながらわたしを見つめていた。
——今までありがとう。さよなら。
必死に声を絞り出した。その瞬間、わたしの世界は揺れた。揺れて、揺れて、揺れて、真っ暗になった。
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……サ……、
チ…………、
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——ここは、どこ?
死んだはずのわたしは、意識を持っていた。そして目を開けた。何故? これが、死後の世界?
——そんな甘いものでは無かった。ここは、現実世界だった。信二君の代わりに死んだはずのわたしは、生きていた。
そこは崩れた世界だった。建物はぐしゃぐしゃになって、人々はそれに押し潰されて、地面のあちらこちらに大きな亀裂が走り、その中に人々は落ちていき……。
——地震による災害。それも、前代未聞の、最悪の。
目の前を見る。既に無い赤い≪境界線≫、過去の緋色のデッドラインを隔てた、その先にいた信二君。その胴体を倒れた電柱が分断し、はらわたが飛び出し、新鮮な鉄の臭いを振り撒いて、鮮血を振り撒いて——微笑んでいた。
何故? どうして? 意味が分からない。
信二君の、口の動きが言葉を紡ぐ。
よ か つ た
「あ、れ……」
信二君の息が途絶えた。わたしは周りを見る。わたしのいる≪境界線≫の囲いに一切の被害は無かった。わたしは全てを理解した。
赤い≪境界線≫はちゃんと危険地帯を囲っていた。その規模が大きすぎて、わたしが≪境界線≫の外側と内側を取り違えた、勘違いしただけだった。要するに、逆だったのだ。
『死に至る危険地帯だと思っていたその空間は、実は安全地帯で、わたしが安全地帯と思い込んでいた空間が危険地帯だった。』
『わたしは、安全地帯に入ろうとする信二君を突き飛ばして危険地帯に放り込んだ。』
『わたしは生き残った。』
『信二君は死んだ。』
……あ。
あ、あれ。
あ、あ。
あ……。
あはっ。
あああ。
あははっ。
わたしが、わたしが、わたしが、
信二君を、信二君を、
—————————————————
殺した。
END———————————————
レッドライン 電磁幽体 @dg404
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