第26話 白雲をうがつような働き

 昔々、美濃国に大島光義なる人物がいたそうな。


 光義は幼少の頃、父・光宗が山県合戦で多くの家臣と共に戦死し、孤児になってしまった。

 

 そのため、縁者の大杉弾正に育てられることになる。


 その後、大杉弾正に育てられすくすくと育った光義は13歳の頃に美濃国人との戦闘で敵を弓矢で仕留めたという。


 

 始めは美濃斎藤氏の家臣・長井道利に属し、関・加治田合戦の加治田城攻城戦に従軍したという。


 その際に弓矢で敵を何人も射抜いたという。


 

 その後、長井氏が没落した後は、織田信長に召しだされ、弓足軽頭(弓大将)になったそうな。


 その際に、信長から100貫文の土地を与えられている。


 

 1570年には、姉川の戦いで従軍して信長のお供についたという。


 その後、坂本の戦いにも従軍した。



 この戦いで、浅井・朝倉勢が琵琶湖西岸方面における織田方の重要拠点である坂本のやや南にある宇佐山城に進軍してきたのである。


 琵琶湖西岸方面ということもあり、雄大で美しい湖の近くに建っていた宇佐山城には、湖からくる心地よい涼しい風が流れていたのである。


 その宇佐山城を森可成ら1000人余りが守っていた。


 信長は敵が宇佐山城に迫っていることを知り、信長の弟である信治、近江国衆・青地茂綱や大島光義など2000の兵を派遣させた。


 しかし、顕如の要請を受けた坂本里坊、延暦寺の僧兵達も攻め手に加わったという。西の僧兵と北の浅井・朝倉軍ら総勢3万の兵から挟み撃ちを受ける形となった。


 「まさか‥‥‥これほどの敵勢がこの宇佐山城に迫ろうとは‥‥‥」


 森可成は敵がこの宇佐山城に大軍勢で迫っていることに危機感を覚えていたのである。


 「な―――に!! どんなに敵がこようとも我が弓矢で射抜いて見せますぞ!!」


 光義は声高らかに大勢の敵を射抜いて見せると宣言したのである。


 「ははは!! それは頼もしきかぎり、期待しておりますぞ光義殿」


 「お任せくだされきっとご期待に応えて見せますわ!! なはははは!!」


 森可成と光義は話を終えると互いに笑いあっていたという。


 

 その後、戦闘が始まった。防衛戦ということもあり、光義は城内から弓矢を放っていた。


 場内から弓矢を放てるので、敵の居場所が鮮明であり、琵琶湖の近くということもあって相手の位置を確認しやすく、敵を次々と射抜いていたという。


 「この場所の立地もあってか、敵の居場所がつかめて射抜きやすいわい!! さて、一体何人射抜けるかのう!!」

 

 湖からくる風が追い風にもなっていたので、光義は何人も射ち殺してやると意欲を高め、大勢の敵勢を射抜いたという。


 

 だが、そうはいっても敵勢は3万の大軍勢で、光義の奮戦むなしく森可成らは追い詰められていった。


 その際、森可成、織田信治、青地茂綱ら3将は奮戦するも討ち死にしてしまったという。


 城主を失い宇佐山城内は混乱したものの、可成の家臣各務元正、肥田直勝などが中心となって抗戦しつつ、近江国衆である光義らが奮戦したこともあり、なんとか落城は免れたのである。


 

 その後、信長ら味方勢が宇佐山城に駆け付けると敵勢は撤退していったという。


 光義らは信長様に謁見して、賞されていったという。


 光義も信長から「白雲をうがつような働き」と賞されたという。


 その際、下の名前を雲八と改めよと命じられたので命により通称を雲八に改めたという。


 

 その後、雲八は本能寺の変のおり、森可成の子である森長可と戦うことになる‥‥‥。

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