第25話 うつけものは父・信秀の位牌に抹香投げつける
昔々、尾張国に織田信長という者がいたそうな。
信長は若い頃、「大うつけもの」と呼ばれていたという。
当時の信長の身なりといえば、上着の服の袖を外し、半袴(はんばかま)で、腰に火打ち袋などさまざまなものを下げ太刀は朱鞘(しゅざや)だったそうな。
供の者にも朱色の武具を着けさせるなど派手に着飾り破天荒な風体であったという。
さらに町を通る際、人目をはばからず柿や栗、瓜をがぶりと食べ、町中で立ったまま餅をほおばり、人に寄りかかったり、肩にぶら下がるような歩き方しかしなかったのである。
そのため、尾張の者からは信長のことを大うつけものと呼んだという。
しかし、そんな風体をしていた信長だが、朝夕の馬の稽古を欠かさず弓や鉄砲を鍛錬したりもしていた。さらに兵法を学び、その一環として鷹狩も好んでやるなど武術の鍛錬と研究に熱心な若武者でもあったのである。
そんな若い時を過ごしていた信長が住んでいる尾張国に今川軍が侵攻してきたのである。
時は1550年で、父・信秀が存命の時であった。
織田軍はなんとか尾張国の深くまで侵攻されるのは阻止したのだが、阻止するのでやっとという状況だったそうな。
だが、この時、足利義輝が救いの手を差し伸べなんとか今川家と織田家の和睦がなったのだ。
しかし、問題はたてつづけに起こる。
なんと信秀が病没し、亡くなったのである。
信秀の葬儀は、菩提寺の萬松寺(ばんしょうじ)で盛大に営まれていた。信長は喪主として参加す予定になっていたが最初から姿を現さなかった。
弟の信勝らが正装で参列する中で喪主の信長が姿を現さないのはやはり異例のことであり、参加している者はこの時点で騒然としていたという。
そんな中、焼香の段になってようやく信長は現れるが、身なりは茶筅に結った髪は乱れたままで袴もはかず、太刀や脇差を三五縄(しめなわ)で巻いていた。
そんな破天荒な風体で現れた信長を見たもの達は信長に対して絶句していたという。
さらに、信長はそのまま焼香の前に向かうと抹香(まっこう)をわしづかみにして、仏前に投げつけて出て行ってしまう。
その光景を見ていた者は唖然としながらこう言っていた。
「なんと父の仏前に抹香を投げつけるとは‥‥‥前代未聞だ‥‥‥あのような大うつけものが当主になっては織田家も終わりだな」
信長の姿を見て家臣たちは織田家の行く末を心配していたのである。
その大うつけと呼ばれた信長は河原に向かうと透き通るきれいな川を見ながらこう思いをつぶやいた。
「このような時期にあのように盛大な葬儀を開くものではない。故に、仏前に抹香を投げつけた。このままでは織田は今川に侵攻され終わりを迎えるであろう。この俺が織田家の行く末を変えて見せる!!」
信長は破天荒な風体をしていたが、心の内に大きな野望を秘めていたのである。
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