第21話 島津の退き口

 昔々、薩摩国の武将に島津義弘という武将がいたそうな。


 1572年、木崎原の戦いで伊東義祐が三千の大軍を率いて攻めてきたのに対して三百の寡兵で奇襲しこれを打ち破るなど勇猛ぶりを発揮しさらに数多くの戦場で活躍して鬼島津と称されたという。


 1600年、徳川家康が上杉景勝を討つために会津征伐を起こすと、義弘は家康から援軍要請を受けて千の軍勢を率いて家康の家臣である鳥居元忠が籠城する伏見城に馳せ参じた。


 「家康殿の命を受けて馳せ参じ申した。どうか我らを味方として加えてくだされ」


 しかし、元忠は、「家康様から義弘殿に援軍要請したことを聞いていない」として入城を拒否された。


 「なんでごわすと。折角、薩摩からきたというのに断ると!! この旨、覚悟ができておるとでしょうな!!」


 義弘は激怒しながら、元忠に向けて言った。同行していた豊久含め島津の兵士たちも義弘の発言に同意したという。


 9月15日の関ヶ原の戦いが起こるが、義弘は戦場で兵を動かそうとはしなかった。


 そのため、三成の家臣である八十島助左衛門が三成の使者として義弘に援軍を要請した。


 しかし、その援軍要請を引き受けることはなく、再び来た使者にこう言ったそうな。


 「陪臣の八十島が下馬せず救援を依頼した。そのため、援軍要請を跳ね除けた」


 義弘や甥の島津豊久は無礼であると激怒して追い返したのだと使者に言うと、その再度来た使者も追い返したという。


 関ヶ原の戦いが始まってから数時間、東軍と西軍の間で一進一退の攻防が続いていた。


 だが14時頃、小早川秀秋の寝返りにより、西軍の石田三成隊や小西行長隊、宇喜多秀家隊らが総崩れとなり敗走を始めた。


 この時点で千人まで減っていた島津隊は退路を遮断され敵中に孤立することになってしまった。


 「なんてことだ。周りの者らが全員敵ばかりで取り残されてしまったでごわす」


 義弘は一旦諦めかけた。だがその時、そんな義弘を豊久が鼓舞した。


 「なにを諦めていると。我らは島津でごわす。たとえ相手が多勢であろうが、諦める島津ではなかと」


 鼓舞された義弘は立ち直り、こう宣言したという。


 「そうでごわすな。この軍勢相手に戦って島津の強さそして怖さを全国に轟かせようぞ!!」


 義弘は覚悟を決めたのか、声高らかに宣言した。


 その後、正面の伊勢街道からの撤退を目指して前方の敵の大軍の中を突破することを決意する。


 「さあ皆の者、島津の恐ろしさを全国に轟かすべく、正面突破を行うぞ。者どもわしに続け――――――!!」


 「おお――――――!!」


 こうして、島津軍は先陣を豊久、右備を山田有栄、本陣を義弘という陣立で突撃を開始した。


 「決死の覚悟で突撃する故、旗指物や合印などは捨てよ!!」


 義弘が言うと家臣たちは旗指物、合印などを捨てて決死の覚悟を決意した。


 島津隊は東軍の前衛部隊である福島正則隊を突破するが、福島正則はそれを是とはせず、追撃をしてきた。


 その追撃してきたもの達は、豊久に迎え撃たせたという。


 「豊久、敵は福島正則だ。気を引き締めてかかれ!!」


 「あい分かり申した。気を引き締めて取り掛かるでごわす!!」


 豊久は戦闘を繰り広げて、敵をなぎ倒したという。


 その後、島津軍は家康の本陣に迫った。その際家康は慌てふためいたという。


 「ここで家康と刺し違えるのもよいが、正面突破を行うと宣言したでごわす。そのため、ここは伊勢街道を南下するでごわす」


 義弘はそういうと転進して伊勢街道を南下した。


 この撤退劇に対して井伊直政、本多忠勝、松平忠吉らが追撃してきた。


 「井伊直政、本多忠勝どの武将も名の知れた猛将でごわす。豊久迎え撃って武名をあげてみぬか!!」


 「よかと!! 我が武名、死を賭して全国に知れ渡してやるでごわす」


 覚悟が決まっていた豊久は、井伊直政、本多忠勝、松平忠吉らに対して、捨てがまりを行ったという。


 捨てがまりとは、何人かずつが留まって死ぬまで敵の足止めをし、それが全滅するとまた新しい足止め隊を残すという戦法である。


 これにより追撃隊の大将だった直政は重傷を負い忠吉も負傷した。


 「やったど―――!! 直政を負傷させることに成功したでごわす。我ら島津の強さを目に焼き付けろ!!」


 しかし、その場に本多忠勝の軍勢もやってきて、甥・豊久や義弘の家老・長寿院盛淳ら多くの将兵が討たれた。


 だが、井伊直政や松平忠吉の負傷によって東軍の追撃の速度が緩んだことや、家康から追撃中止の命が出されたこともあって、義弘自身は敵中突破に成功したのである。


 

 「皆の者、敵中を突破したぞ。正面突破成功でごわす!!」


 義弘は生き残った者達と共にひとまず大いに喜んだという。されどその顔は悲しみの表情も帯びていたそうな。


 (正面突破には成功したが、豊久含め大勢の将を失ってしもうた。じゃっどん、今は悲しむときではない。彼らの犠牲を糧にして突き進まなくては‥‥‥)


 義弘の言う通り、敵中を抜け出したもの達は士気が高まり、声を高らかにあげていた。


 そのため、義弘は正面突破成功したことを声高らかに叫んだという。

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