第8話 自分の大将を背後から狙撃した武将 

 昔々、越前の国に小林 吉隆なるものがいたそうな。


 小林 吉隆は朝倉の家臣の子として生まれ、朝倉家を支えるために日々活動していた。


 「朝倉家のために自分は命を賭する覚悟で活動あるのみ!」


 その発言通り、小林 吉隆は朝倉家のために様々な活動を行ったという。


 例えば、1568年に、足利義昭が越前一乗谷の朝倉義景の朝倉館を訪ねた際には斎藤屋敷の警護を行ったりもしたのだ。


 1570年には、織田信長が越前敦賀郡に侵攻して金ヶ崎城を落としたときに五百余騎を率いて、義景の脇備として出陣したりもしたという。


 それほど、小林 吉隆は朝倉家のために行動を行い、その行動をよく見ていた主君である朝倉義景から信頼もされていたそうな。


 

 しかし‥‥‥朝倉家に一大事が発生する時がやってきた。なんと織田信長が越前侵攻を始めたのだ。


 しかも、1572年の8月、近江国小谷城で織田軍と朝倉軍が睨み合っている最中、前波吉継に続いて毛屋猪介・戸田与次郎、富田長繁らが織田軍の陣に走り込み寝返ったのである。


 これにより、さらに朝倉軍は士気が低下してしまったのである。


 「くそっ‥‥‥あいつらめ、恩を返さずに敵に寝返るとはなんという奴らだ!!」


 小林 吉隆は憤慨したのである。また、小林 吉隆の主君である朝倉義景も憤慨していたという。


 ともかく、士気も低下した朝倉軍は激しく抵抗したものの、抵抗むなしく朝倉家は滅んでしまったのである。


 小林 吉隆も織田軍と必死になって戦ったが、主君がなくなったという報せを聞いて、降伏したという。


 「くっ‥‥‥まさか、自分が死ぬ前に、主君である義景公がなくなるとは‥‥‥主君のためにこの命を賭すことができぬことほど悲しきことはない‥‥‥」


 吉隆は無念な気持ちを部下に吐露したのである。


 「されど、殿がなくなってしまうと、私たちは行き場を失ってしまいまする‥‥‥どうか織田軍に降伏してくだされ!!」


 「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」


 吉隆は当初は無言で返していたが、部下のことを思うと観念したのか織田軍に降伏する道を選んだという。


 こうして、吉隆は織田軍に降伏した。


 その後、吉隆は織田軍に寝返った富田長繁の配下になったのである。


 

 だが、この富田長繁は狂うているといえばいいのか常軌を逸していたのである。


 織田家中における前波吉継改め桂田との待遇の差に不満を持ち、長繁はあろうことか桂田の殺害を企てたのである。


 桂田は、守護に任じられており、守護に任じられなかっただけで長繁は味方の桂田の殺害を企てたのだ。


 それを知った吉隆は唖然としたという。


 「ただ、一緒に寝返った桂田が守護に任じられたのが許せぬだけで殺害を企てようとは何を考えているんだ。長繁様は‥‥‥」


 長繁のあまりの狂いぶりに唖然としながら部下に話たのである。


 その後、長繁は桂田の過酷な圧政に苦しむ民を扇動して大規模な土一揆を引き起こした。


 総勢3万3,000人にまで膨らんだ一揆勢を自ら大将として率いた長繁は、南北から一乗谷に侵攻して桂田を殺し、翌日には三万谷へ向けて逃げていた桂田の家族も捕縛し悉く殺害したのである。


 「何とむごいことを‥‥‥私の主君はとんでもなく危うい主君だ!!」


 吉隆は本当に実行に移した長繁に絶句しながら、同行したという。


 

 長繁は勢いに乗じて北ノ庄で代官を務めていた木下祐久・津田元嘉・三沢秀次らの詰める旧朝倉土佐守館も襲撃するといってきたのである。


 もはや狂いすぎていてなんとも言えなかった。


 (木下祐久・津田元嘉・三沢秀次を襲撃すれば完全に織田家に反旗を翻したことになるぞ。何を考えているんだ長繫様は‥‥‥)


 しかし、長繁は北ノ庄で代官を務めていた木下祐久・津田元嘉・三沢秀次らの詰める旧朝倉土佐守館も襲撃したのである。


 安居景健、朝倉景胤らの説得により攻撃を止めたものの、3人の命は取らず追放処分としたのである。


 (木下祐久・津田元嘉・三沢秀次を追放するとはこれで織田家に反旗を翻したと完全に判断されたな)


 しかし、長繁は衝動を抑えることができずなんと朝倉家臣であった魚住景固とその次男の彦四郎を朝食に招きその席で両名を斬殺したのである。


 (なんと魚住景固まで本当に殺めるとは、どれだけ狂っているのだ。しかも殺めた理由は領民に慕われ守護に任ぜられるかもしれんとは‥‥‥)


 長繁の蛮行に絶句した吉隆は心の中で思ったのである。


 しかし、長繁は信長の朱印を発行してもらい、代わりに岐阜に弟を人質に差し出そうとしているという風聞が立ってしまい、一揆衆は長繁と手を切り、自らの大将に加賀国から一向宗の七里頼周を呼び担ぎ上げたという。


 一揆勢約14万は長繁を討たんと越前の至る所で決起した。


 その内訳は府中の南から一揆勢2万が今庄湯尾峠に陣取り、西方から駆けつけた一揆3万5,000は鯖江に布陣した。


 北からは一揆5万が浅水から北之庄城にかけて集まり、東より集まった一揆3万3,000は既に先鋒が日野川を挟んで府中のすぐ東に位置する帆山河原にまで進出したという。


 14万の大軍ともなれば潔くあきらめるべきところ、なんと長繁はこの大軍と戦うと言ってきたのである。


 「このまま一揆をのさばらせるのは無念である」と号令して突撃を命令し、帆山河原の一揆勢2万を日野川を渡河し強襲した。


 長繁の軍勢は700人余りであったが、帆山河原の一揆勢を打ち破った挙句潰走する敵を2、3里に渡って執拗に追撃し、2,000~3,000人余りの首を得たのである。


 「まさか、これほどの敵の軍勢を打ち破るとは。長繁は狂っているが大将としては頼りがいがある」


 吉隆は少し長繁をほめたたえたのである。


 しかし、七里頼周は状況的にまずいと判断したのか門徒を浅水付近に集結させたのである。


 しかし、恐れを知らない長繁はその軍勢を討ち破り勝利を収めたのであった。


 

 だが、長繁は合戦を傍観して兵を進めなかった安居景健、朝倉景胤の寄る長泉寺山の砦にも勢いのままに襲い掛かったのである。


 (どこまで我が主君は狂っているのだ。安居景健、朝倉景胤にまで襲撃をしようとは‥‥‥このままでは誰彼構わず敵に回すだけではないか‥‥‥もはや長繁の暴走を私が止めねばならぬのかもしれぬ‥‥‥‥‥‥)


 吉隆は長繁を討ち取る覚悟を決めたという。


 その後、長繁は安居景健や朝倉景胤目掛けて勢いよく進出していったのである。


 しかし、勢いよく進出していたので、背後はがら空きであった。


 (今が‥‥‥長繁を討つ好機だ!!)


 吉隆は鉄砲を長繁の背中に向けて構えると、そのまま鉄砲を撃ったのである。


 撃たれた長繁は馬から落ちたのである。吉隆は長繁の首を獲り、自分の大将を討ち取ってしまったのである。


 その後、吉隆の行方を知る者はいない。

 


 

 


 


 


 


 

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