第44話
翌日、静夜は大学を休んだ。昼休みに木村研で木村先生からそう聞いた。
風邪でも引いたのだろうか、と心配になりメッセージを送ると、既読だけがついた。
ひどいのかな。お見舞いに行きたいけどご迷惑になったら嫌だな。お見舞いはやめよう。
その日の午後は授業中もエゴイズムと信仰と恋のことばかり考えていた。
翌日、木村研に訪れると静夜が居たのでほっと息を吐いた。静夜以外は誰も居なかった。教授すらも。
「静夜さん、体調不良は治りましたか?」
「治らないですね」
「えっ、大丈夫ですか?」
「原因が何を……」
「えっわたしが原因なんですか!?」
思い当たる節がありすぎてどの件かわからない。
「えっと、好意を隠さなくてすみません……?」
一番それらしい原因を口にすると、静夜はため息を吐いた。
「わかってるならやめてください」
「う……」
「ギブアップです。これ以上は好きだとか付き合ってくださいだとか言うのは勘弁願います。正直混乱しています。これ以上は困るという次元じゃなくて、迷惑に感じてしまうかもしれません。いい友人でいてください。今回の体調不良はこの件について考えすぎたせいです」
パリン、と旭の中の静夜像が板ガラスのように割れた。
あ、先輩って人間だったんだ。
ガラスの向こうには旭の投げた言葉が突き刺さって困り果てた先輩の姿が見えた。
自分みたいな小娘とは隔てられた、感情なんて邪魔なものが削ぎ落とされた完璧な存在だと思っていたけれど、嫌なことも迷惑なことも感じる生身の人間だったんだ。
かみさまなんかじゃなかったんだ。
旭の信仰は打ち砕かれた。
口からこぼれ落ちた言葉は、謝罪だった。
「ご、ごめんなさい」
これまでどれほど負担をかけてきただろう。申し訳なくて首が転げ落ちそうだった。
「いえ、謝らなくてもいいです。ただ、今後好意を口に出すのを控えて貰えれば」
「尽力します」
「尽力しなければ口から出てくるんですか?」
「はい……」
「困りましたね」
「すみません、努力しますので」
「はい、努力してください」
先輩は旭のせいで体調を崩したりする脆い人間だったんだ。
迷惑だと思われたくない。側に居たい。この人が、脆い人間だからこそ側にいたい。
これまでは、完璧なのにも関わらず孤独な人だと思っていた。
しかし、本当の彼は完璧なんかじゃなくて、わたしなんかの言葉で崩れてしまうような繊細な人だった。
この期に及んでそこにまた旭は新たに恋をした。
脆いジョバンニ。わたしが守ってあげなくちゃ。
「そもそも、あなたにとっての好きとはなんなのですか?」
先輩の問いに答える。
「看取りたい」
「え?」
「あなたのことを看取りたいんです」
「それ、ただの執着じゃないんですか? 恋と勘違いしてるだけなのではないですか?」
「わたしは、意固地になって執着してどれだけ時間を浪費しても構わない、それが人生の糧になってもいいしならなくてもいいと思えるのが恋なんだと思っています」
「はた迷惑な信仰ではなく?」
ずっと考えていたことだった。木村教授に言われたこともたしかに旭には響いていた。
けれど、今はこう思っている。
「信仰と恋は裏表だと思うようになりました、あなたを好きになってから」
「そうですか……」
「一般論じゃないと思います。それにエゴでもあるみたいです。でもちゃんと今後は隠すので、安心してください」
旭がそう言うと、静夜は微妙な顔をして人差し指の先の絆創膏を剥がした。
「今日はここでやりましょう」
「えっ、誰か帰ってきたら」
「そうなる前に、早く」
「はい」
普段とは違う場所での吸血に旭の心臓は背徳感でときめいた。けれど、どうして急に?
人差し指の先を咥える。舌を添える。
腹の底の疼きが止まる頃にくちびるを離すと、静夜の指先は傷跡だらけになっていた。
そのことに胸が痛んだ。
旭は傷ができても大丈夫だから失念していた。静夜は普通の人間なのだから傷はそう簡単に治らないのだ。
「静夜さん、指……」
「指? ああ…︙あなたに血をあげると決めた日にこうなることは予測していたので問題ありませんよ」
「痛くないんですか」
「痛いですよ」
「じゃあどうして︙︙」
「あなたのためだと思うとこのくらいは許容できるので」
「――先輩、本当にわたしのこと好きじゃないんですか?」
「――ええ、多分」
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