第37話

「それについては問題はありませんね。僕は四六時中本を読んだり勉強をしたりしているわけではないし、どちらかと言えばぼうっとしている時間の方が多いので」

「それなら良かったです。そしてこれも多分おそらくの形になるのですが、わたしはこれからもずっと静夜さんのことが好きだと思います。だから、先輩がどう思っているか聞かせてください」

 旭も静夜も人間や未来といったものに期待や信頼を抱いていなかったので、言い回しはどちらも迂遠であった。

「僕は、――僕は、きっとあなたと同じ感情を持っていないと思います。だから交際することはできません。それに、人の気持ちはうつろいゆくものです」

 その言葉に先程の憎しみにも似た激情は鳴りを潜め、違う旭が顔を出していた。

 人の気持ちはうつろいゆくもの? そんな理由で人を遠ざけているのじゃあ、あなたは誰のことも愛せないままじゃないか。誰からの愛も受け取ることができないじゃあないか。

 それはなんて寂しい生き方だろう。

 一人で生きていきたいとそう願っているのか。

 まるでカムパネルラのいないジョバンニだ。心の奥底では誰か<カムパネルラ>を求めているのに気づいていない孤独なジョバンニ。勉学だけが彼に寄り添って。

 ああ、だったらわたしはこの人の誰かになりたい。先にわたしがバラけて死んでしまったとしても、静夜さんが死ぬ間際に思い出してくれるような、そんな存在になりたい。旭は紛うことなくエゴイストだった。

「というか、僕なんかを好きにならせてしまって申し訳ないですね。取り柄と言えば勉強が少しできるくらいで、悪いところがたくさんあるのに。足も遅いし逆上がりはできないし泳げもしないし食べ物の好き嫌いは多いし」

 静夜がつらつらと述べるそれらは旭にとっては愛しいところでしかなかった。

「それに、人間は変化する生き物ですから、僕がずっと僕のままであるとは限りません。数年後は大学も辞めてお金がなくなって物乞いになっているかもしれない。だから三峰さんがそうやって、何年も後のことを自分の言葉で縛り付けてはいけないと思います。それに僕は何年も先も三峰さんが僕のことを好きだとは思っていません」

 一生好きだよ。出遭っちゃったんだもん。

「その点に関しては理解しているつもりです。人生は非連続的だし、わたしが静夜さんのことを好きなのはこの刹那だけの話だということもわかっています。けれど、その刹那が偶然連続しているからこそわたしは貴方に恋をしている状態にあるのです。そのため、わたしやあるいは静夜さんが変化することによってこの恋愛感情が失われることも想定内です。ですが、わたしは静夜さんに余程ひどいことをされない限り貴方のことを嫌いになる事はないと思います。それだけ貴方は魅力的な人間ですよ」

「そうですか。これまで女性に好意を持たれたことがなかった上にひとには嫌われることの方が多かったので三峰さんはマジョリティではありませんね」

 旭は少し笑った。

「それは、周りに見る目がなかったのだと思います」

 振られたことはわかっていたので、旭はどこか穏やかな凪いだ気持ちで口を開いた。

 もう自分の生き死になどどうでもよいことだと感じていた。このひとが孤独にならないことが自分の至上の願いなのだと思った。

「海に行くの、楽しみですね」

「そうですね」

「くらげは浮いているかしら」

「もっと夏の終りの方でしょう、くらげが海に漂う時期は」

 今後旭と静夜の関係がどうなるのかはわからないけれど、海辺を二人で歩けたら、それはこの上ないなと旭は思った。

 それから二人は、後夜祭が終わるまで、ずっと中庭に居た。

 二人だけで、ずっと居た。

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