第36話
その後無事に父母も到来し、旭の出番は終了した。
「もうちょっとメイクナチュラルにしてもらえる?」
「そうだね、そのまま歩くと通報されちゃうかもね」
もう一度メイク班のお世話になる。一旦メイク落としシートで焼けただれた部分をきれいにして、縫い目だけにする。
「はいさっきよりナチュラルなゾンビができあがり」
左腕を接着して、静夜のカーディガンを羽織る。腕章をつけて、生徒会モードに切り替える。
「それじゃあ、これからも怪我のないように運営してね」
「はーい」
それからは何事もなく一日目が終了した。
午後五時に一日目終了のアナウンスが入る。
午後六時に校内の見回りを手分けして行って、残っている生徒や父兄が居ないことを確認し、生徒会と実行委員も下校する。
誰も居ない生徒会室で静夜を待つ間、ゾンビじゃなかったら告白の良いタイミングなのにな、と思いつつ、ゾンビじゃなかったら静夜とこんな特殊な関係になれなかっただろうなとも思う。
「遅くなりました」
「いえ、全然」
「じゃあ今日もしましょうか」
「よろしくお願いします」
まるで当たり前になってしまったこの行為は旭を酔わせるには十分だった。アルコールが身体に回った人間はきっとこんな心持ちなのだろう。舌で人差し指を包み込むように舐める。吸う。恍惚。
けれど、きっといつまでもこの関係を続けることはできないと思った。
根拠はないが、不安が一滴静夜で満たされた心に落ちた。
怒涛の二日間が終わり、後夜祭の運営を実行委員に任せて旭は中庭で一息ついていた。結局二日目もゾンビをやる羽目になり、大変だったのだ。
「疲れたあ」
「こんなところに居たんですか、三峰さん」
「静夜さん!?」
完全に気を抜いていたので驚いてしまった。
「後夜祭には参加しないんですか?」
「そうですねえ、したかったんですけど少し疲れたので」
こうして中庭にも響く後夜祭の音を聞いているだけで十分です、と答えると、静夜は頷いた。
「そうですね、ここにいるのも悪くないですね」
悪くない。
遠い喧騒も好きな人といれば悪くない。
旭はそう思ってしまうが、静夜はどうなんだろう。
「静夜さん」
旭はぽつりと口に出した。
「文化祭の代休の日、海に行くの、デートだと思っていいですか」
旭は静夜を見ていなかったが、静夜は旭のことを振り返ったようだった。
「三峰さん」
「はい」
静夜はまた視線を遠くに向けた。旭は静夜の横顔を向いた。
彼がこっちを向いていないことが今はとても悲しかった。それは彼の心がこちらを向いていないことに等しく思えたからだ。
「物事には事実とそれを観測する観測者が居るのはわかりますね?」
「はい、わかります」
答えに察しがついた。これ以上はオーバーキルだから聞きたくないような気がした。
「僕と三峰さんが海に一緒に行くのは事実です。それを三峰さんという観測者がデートだと思っていようが思っていまいが僕にとってはどうでもいいし、関係のないことです。ですが、僕という観測者はデートだとは思っていません」
「そうですか」
どうでもいいし関係がない、という言葉がぐっさりと脳天を貫いた。
どうでもいいのか。
ああ、困ったな。
困らせたくなっちゃった。
今ならいいや。
死んだっていいや。
「静夜さん」
「はい?」
「わたしは、おそらく、あなたのことが好きです」
静夜はこちらを振り向いた。
静夜と旭の視線が交錯する。
「それは、」
静夜が口を開いた。
「それは、困りましたね」
案の定困っている先輩に、わたしはへらりと笑ってみせた。
「わたしも困っています」
死んでもいいや。
今ここで死んであなたの心にわたしを刻むことができたなら。
呪いのような浅ましさで旭は告げた。
「好きすぎて困っています。ただ、あなたの生活に介入してあなたの邪魔になりたいとは思っていません。読書の邪魔とか勉強の邪魔になるようなことはしたくないです」
嘘つき、忘れられたくなんか無いくせに。常に心に刻んでおいて痛みがじくじくと疼き続けばいいと思ってるくせに。
一転、まるで憎しみのような気持ちを抱いた。
わたしに恋してわたしを殺してしまえばいい。
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