第17話
木村研の扉を開くと、静夜さんは居たが今日は教授が不在のようだった。院生はちらほらと居た。いつもの席につく。
「三峰、今日はいつもより遅いな」
山口さんに指摘される。壁にかかったアナログ時計の針は二十時を指していた。
「体育祭が近いですからね」
「実行委員の方にも顔を出しているんですか?」
静夜さんに問われる。
「立ち上げの今日だけですよ。今年の委員長はしっかりしていたのでわたしが見ていなくても大丈夫そうです」
去年は委員長のやる気がなかったので旭と静夜がサポートに回っていたのだった。
「そうですか、それは良かった」
「去年は大変でしたものね」
「三峰さんの負担が減るのは良いことです」
なんのご褒美を貰っているんだろう今わたしは?
「いえそんな――」
「眠れていないのでしょう」
ぴしり、とわたしの笑顔が固まった。
「――なぜわかったんですか」
「想像がつきます。おそらく自律神経がおかしくなっているのでしょう。なぜなら、こんな暑い日にブレザーを着ていても涼しい顔をしているからです」
今日の日中は三十度を超えていた。木村研の研究室の院生も静夜さんも皆半袖か七分丈の薄手の服を着ている。
しかし旭はカーディガンの上にブレザーを着込んだまま一日を過ごしていた。それが特につらいとも暑いとも感じなかった。
「やだなあ、静夜さん」
気がつかないでくださいよ。
眠れない夜は父の書斎で小説を読むか、自室で勉強をするかして過ごしていた。
しかし、一月。一月、眠れない日々を過ごしただけで人間はこうも狂いそうになるのか、と思っていたところだった。平衡感覚はおかしくなり、なるべく壁に沿って歩くようにしている。階段は手すりが必須だ。三年の教室が一階で良かった。生徒会室は三階にあるのでちょっと危険だった。
家族や他の学生には見せないようにしていたが、旭の精神は限界を迎えようとしていた。
予習も復習もずっと冴えた頭でやりつづけている。ゾンビになる前は眠らなくて済むようになったらいいのになーだなんて考えたこともあったが、そんなのは健常者の戯言だった。
「でも、大丈夫ですよ。やることならたくさんあるので」
「時折だったら、僕に電話をかけても良いですよ。時折だったら」
「えっ!? 本当ですか!?」
耳を疑った。
「次の日の授業が一限からじゃなければ、少しお話に付き合います。時折だったら」
「お願いします! ありがとうございます!」
「時折だったら」
「めちゃくちゃ押しますね時折を。二週間に一度くらいならいいですか?」
「まあそのくらいの頻度なら僕でも耐えられるかな……」
静夜さんは人と会話するのが好きな割に会話をしたがらないので、これはとんでもない特権を得てしまった。
これは目標に一歩近づいたな。
というか既にわたしは静夜さんの一番側に居る他人なのではないだろうか。
「静夜さん、静夜さん」
「なんですか」
「静夜さんにとってわたしってなんですか?」
「目をかけている後輩です」
「ありがとうございます」
なんて素敵なポジションだ。それはおそらく静夜にとっては最上級のクラスだろう。目標を達成してしまった。あとはこのポジションを保持していかなければ。
「今日はもう帰りましょう。眠れないなら課題は夜にやればよろしい」
「そうですね、そうします」
そうして今日も静夜さんはわたしを家に送り届けてから帰っていった。
あー好き。
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