第4話

「んじゃ、頼んだぞ」

「はい!任せてください!」


 相変わらず俺の部下は皆元気が良い。

 上司としては非常にありがたい限りなのだが、疲れないか?とも心配になる。


「あ、じゃあ俺はここで」

「おう。ゆっくりしててくれ」

「うっす」


 小さく畏まって会釈してくる金髪の周防さんは、靴を脱ぐや否やリビングへと歩いていってしまった。

「お茶入れますね」と微笑みながら呟く我が部下は、周防さんをソファーに座らせ、キッチンへと入っていった。


「んじゃ戻るわ」

「あ、はい!」


 ポットでも持っているのだろう。声だけが玄関に戻ってくる。


「ここに居たんですね」


 扉を閉めようとしたときだった。

 エレベーターから出てきた田辺は、1人でこちらに駆け寄ってくる。


「おぉ田辺。おつかれさん」

「いえいえ。おかげさまで――」

「田辺さん!?」


 瞬間だった。

 俺に対しては絶対に聞かせないであろう声が耳に届いたのだ。


 ポットを持っているはず……というか、ポットを持ったままの部下――坂本彩奈が。


「あ、どうも」

「お久しぶりですー!」

「それじゃああの部屋に戻りましょうか」

「お、おう」

「え?田辺さん!?ねぇ、たな――」


 ドンッと強く扉が閉まる音が頭に響く。

 一瞬だけ見えたが、こちらに来てた気が……。


「早く行きましょうか。沙苗さんが来なくなった日の日記も見なくちゃいけないですし」

「それはそうだな」


 踵を返す田辺には笑顔ひとつなく、淡々とした言葉を並べて沙苗さん宅へと戻っていく。


「それでですけど、あの手袋の指紋ってどうでした?」

「沙苗さんのものだったよ」

「沙苗さんのもの?」

「そうだ。せなさんの手袋に、沙苗さんの指紋だけが付いていたんだ」

「……ほんとですか?」


 なんて、玄関を潜り抜けた田辺は、証拠物が並べられた机の前に立ち止まって言う。

 革手袋のことが書かれた資料を持ち上げ、活字に目を通す。


「ほんとだ」

「だろ」

「なんで言わないんですか」


 まるで自分が上司のように口を開く田辺は、ジロッと資料から目だけを出してこちらを見やる。


「あの場はどう考えてもまずいだろ。だから隠してたんだよ」

「あーそういうことですか。なら先に言って――」

「――上司は俺だぞ。さっさとこの革手袋のこと考えろ」


 あまりにも調子に乗りすぎている田辺から資料を取り上げ、見落としがないかもう一度目を通す。


『手袋の内側に付着していた指紋は善田沙苗さんのもの。外部には誰の指紋も見られなかった』


 簡潔に書かれた文章は最低限でもあるが、最大の情報が転がっていた。

 まず1つ目は――


「この手袋を使ってたのは沙苗さんですね」

「そうだな」


 指紋が出たのだからこれは確定事項でいいだろう。


「なにか理由があって、沙苗さんはせなさんの手袋を使った」

「そしてせなさんの洗濯かごの奥底に、何事もなかったように片付けた。でいいんですね?」

「あくまでも憶測だがな」


 今思い返せば、洗濯かごの中はかなりの量が溜まっていた。

 それ即ち、数日間洗濯をしていないということ。


 沙苗さんは事件の起こる数日前に、せなさんのタンスから革手袋を抜き取り、作業か何かをしていた。


 資料に書いていたのは指紋のことだけ。

 ということは、他になにも付着していなかったということになる。


 掃除好きの早苗さんでも、流石に人の革手袋でエアコンやコンロを触ったわけではない。

 じゃあなにをしていたかって?んなもんわからん。

 その現場を見ていたわけじゃないのだから。


「分からないですね」

「なにに使ったのか分かればいいんだがな。まぁでも、この革手袋は事件と関係してると見て良いだろう」

「ですね」


 ファイルに入った資料を机の上に置き、そう決定づける。

 そして胸ポケットにあるメモ帳をどちらからともなく取り出し、俺は片手で机の上にある日記帳を開いた。


「まずは7月14日ですね」

「あいよ」


 ペラペラとページを捲り、言葉に目を通す――瞬間、息を詰まらせてしまった。


『7月14日。

 S:死ね死ね死ね死ね死ね――』


 ただそれだけが書かれている1ページ……いや、他になにも書かさないようにその言葉だけで埋め尽くしている1ページ。



 コンビニに向けての言葉なのか。それともせなさんに向けてのものなのか。

 この言葉の真意は全く持ってわからない。


 ペラっと1枚の紙を捲る。

 極力言葉を触らないように、端っこを摘んで。


『7月15日。

 N:病んでんじゃん笑

 S:あなたのせいでしょ 一生起きないで

 N:あんたと違って私はバイトがあるから』


 そんな会話に、少しホッとする自分がいる。

 詰まっていた呼吸も緩やかになり、固まっていた指も柔らかくなる。


「バイトに行かなくなったのはせなさんに理由があるようですね」

「なんでお前はそう平然としていられるんだ」

「いや全然ビビってますよ。呪いなんて信じない質ですけど、あれは流石に怖いですよ」

「だよな。突然のあれはビビる」


 お得意のポーカーフェイスでもしているのだろう。

 表情ひとつとして変えない田辺は、俺の手にあるメモ帳を指差す。


「そんなことよりも7月26日でしたっけ?事件が起きる前日の日記見てみましょうよ」

「言われなくてもわーってるよ」


 ノートの真ん中の方にあるページへと向かう俺の指は、徐々にスピードを落とす。


『7月26日。

 N:明日は土曜日だけど彼氏来ない

 S:わかった』


 それで26日の会話は終わっていた。

 これぐらい口で話せばいいのにとも思うが、日記帳だからこそ怪しまれずに家に居させることができるのだろう。


 これまで交換日記で話していたのにも関わらず、今日は突然口で伝えてきた。

 そんなの俺だったら絶対に怪しむ。


 せなさんはこの犯行から見てかなりの策士だと思われる。

 ただただ顔を合わせたくないから日記に書いただけかもしれないが。


「周防さんが言ってたことは正しいな」

「周防さん?」

「さっき聞いたんだよ。この日はなぜ来なかったのか?って」

「そういえば27日は土曜日でしたね。よく聞きましたね。偉いですよ」

「……何様だお前」


 日記帳を机に置く俺は眉を顰め、腕を組む田辺を見やった。


「まぁまぁそんな怒らないでくださいよ。冗談じゃないですか」

「お前の場合は声に抑揚なさすぎて分からん。というか冗談でもダメだろ。俺上司だぞ」

「いいじゃないですか。先輩後輩の仲が良くて」

「勝手に言ってるだけだろ」


 ダイニングチェアを引き、腕を組みながらドカッと椅子に座る。

 すると、田辺も椅子を引き、膝に手を当てながらゆっくりと腰を下ろす。


「お前は女子か?」

「ノールックで座るの怖くないですか?」

「別に怖かねーだろ。男なら男らしくドカッと座るんだよ」

「もし、僕が女性と言いましたら?」

「……付いてねーのか?」

「セクハラですか?やめてください」


 身を守るように体を抱きしめる田辺は、椅子ごと俺から遠ざかる。


「してねーよ。てかこの前一緒に温泉行ったろ」

「そういえば行きましたね。改めてありがとうございます。奢ってくれて」

「あーいいぞ。この事件が終わったらまた行こうな」

「奢りですか?」

「……がめついな」

「お願いしますよ上司」

「こういう時だけ言いやがって」


 まぁ奢るけど。

 なんて言葉を脳裏に浮かべながら、田辺から視線を窓外へと移す。


「なにか見えます?天気は晴れですけど」

「なんも見てねーよ。静かな空間に浸ってるだけだ」

「どうしてです?」

「1回頭の中を空っぽにしようと思ってな」

「なるほど。じゃあ僕も――」


 瞬間、田辺のポケットからはクラシックで有名な白鳥が流れ始めてしまう。

 ほんと忙しない仕事だな。


「はいもしもし」


 そんな言葉から始まる通話は、一瞬にしてこの空間を冷たくした。

 いつものポーカーフェイスが崩れてしまう田辺の表情は険しくなり、漏れてくる言葉で俺までもが腕に力を込めた。


「そうですか。はい、はい。なるほど」


 緊迫しているのか、電話越しに頭を上げ下げする田辺はチラッとこちらに視線を向け、隣りにあるカバンを指差した。


 多分映像のことだろう。

 ジッパーを開き、みかんが囓られたロゴが描いてあるパソコンを取り出す。

 机の上に置き、パソコンを開けば見たことのないファイルが受信される。


「来ましたか?」

「来たぞ」

「だそうです。はい、はい。ありがとうございます。お疲れ様です」


 そうして田辺は耳元からスマホを離し、口を切りながら伏せた状態で机に置く。


「まず、『前田せな』という人はいませんでした」

「……いなかった?」

「はい。どんなに検索をかけても出てこなかったそうです」

「ということは苗字も偽ってるということか?」

「それは知りません。ほんと、証拠のひとつも出ませんね」

「なるほどな」


 カタカタとキーボードを叩き、タッチパッドをスライドさせてファイルを開く。


「でもまぁ、この映像を見れば証拠のひとつぐらい出るだろ」


 ロード画面が数秒続いた後、真っ暗な画面が現れた。

 画面の真ん中にある白い三角マークを左クリックし、動画を流し始め――


 ――出てきたのは白い背景。

 まるで紙を挟んでいるかのようなその光景に、俺だけではなく、田辺までもが固まってしまった。


「これがあったのはソファーの下ですよね」

「あぁ」

「なんで白いんですか?」

「知らねーよ……」


 画面下にある赤いバーを見てみれば、1分28秒と書かれている。

 数日前から撮っているにしては短すぎる。


 そう思った時だった。

 ペラっと1枚の紙が捲られたのだ。


「『私はせな』ですか」


 黒のマーカーペンで書かれたその言葉は、まるで俺達の心を見透かされているようにも見えた。

 指の一つも見せないためか、洗濯かごとは別の、白い手袋を履いて、紙芝居のように紙を捲る。


『このカメラを隠し入れたのは岡本ですか』

『沙苗の下着が見たかったのですか?』

『それとも私のですか?』

『でも私が見つけてしまいましたから』

『こういうことはもうしないでくださいね』


 声ひとつなく、音ひとつない動画はここで終わった。

 言葉だけを見れば優しさがあるが、デカデカと書かれる文字には覇気がある。


「ひとつも証拠が出ませんね」

「……だな」


 叩くようにパソコンを閉じた俺は腕を組み直す。


 というかよく見つけたな。

 掃除好きの沙苗さんが見つけるならまだしも、ここに写ってたのはせなさんだぞ。

 沙苗さんって可能性もあるかもしれないが、字体がせなさんのもの。


「はぁ……」

「大変ですね」

「なんで他人事なんだよ。お前だって同じ状況だぞ」

「だって考えようがないじゃないですか。証拠がないと捕まえられないし、まずその証拠がないですし」

「それを見つけるのが俺等の仕事だろ。さっさと悩め」

「そう言われましてもねー」


 んまぁ、正直手詰まりではある。

 この仕事を初めてはや20年が経つが、かつてこれほどまで証拠がない事件なんてなかった。


 これじゃまるで、かの有名な3億円事件を解決しろと言われているものだ。

 証拠が全く無く、犯人像のひとつもないこの状況で解決できるかっての。


 もう一度ため息を吐き、頭の中を空にしようと――


「――大変です!田辺さん!!先ほど逮捕した岡本さんが逃げ出しました!」

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