第3話

 それからは沈黙が続き、エレベーターで10階に上がった俺達は部屋に戻る。


「ここで……沙苗が亡くなったんですね……」


 分かってたことだが、後から入ってきた岡本さんはソファーの前で腰を屈めながら言葉を口にする。

 周防さんも周防さんで、どことなく気まずげに眉を寄せ、ソファーを見下ろす。


「ソファーとか触るなよ?指紋ついて疑われるぞ」

「あ……すみません……」

「薄情ですねぇ」


 俺の言葉で、慌てて手を引いた岡本さんは申し訳無さそうに顔を上げる。


 確かに、田辺が言った通り薄情なのかもしれない。

 だが容疑者になるよりかはマシだろう。


『飴と鞭』という言葉があるように、時には厳しい言葉をかけなければならない。


「あ、田辺さん。こちらの指紋鑑定終わりましたよ。こちら資料です」

「あぁどうも」


 部屋を出る前に渡した手袋のことだろう。

 帽子を深く被った鑑識官は、丁寧にジップロックに入れた皮の手袋と、ファイルに入った資料を田辺に渡す。

 そして、有無を言わさず田辺は俺に押し付けてくる。


「資料に目を通しててくださいね」

「……お前なぁ」


 当然証拠となるものに目を通さないわけにもいかないので、渋々ながらもファイル越しに紙を見る。


 ……はぁ。指紋は善田沙苗さんのものね。


「さぁさぁ岡本さん、周防さん。別の部屋を借りているらしいので、そちらに行きましょう」

「だな……。居心地が悪い」

「ですよね。あっちにいる人がお茶を出してくれるはずなんで」

「ありがとうな」


 外に出ようとする鑑識官を呼び止め、田辺は玄関の方を指さしながら言う。


「鑑識官のさんが連れて行ってくれますので、ごゆっくり。また質問があればこちらから参りますので」

「どうも」

「岡本さんもご一緒にどうぞ?」

「あーいえ、僕はこのあたりで帰らせて貰おうかと」


 会釈する周防さんに続けて岡本さんにも声を掛けるが、先ほどまでの弱々しい姿なんてどこへやら。


 よそよそしさを感じる態度で立ち上がった岡本さんはポケットに手を入れ、踵を返した。


「すみません。これから仕事なので」

「そうですか。ちなみにお仕事はなにをされて?」

「エンジニアですよ」

「なにか開発されているんですか?」

「……なにか聞き出そうとしてます?」

「あーいえ、純粋な疑問ですよ」

「……そうですか」


 田辺に顰蹙を向ける岡本さん、ポケットに手を突っ込んだまま玄関へと向かう。


「――あーすまん。少し待ってくれ」


 気遣いで使っていた敬語なんて忘れ、証拠物を机に置いた俺は、ポリポリと首筋を掻きながら岡本さんの腕を捕まえる。


 なぜかって?

 理由は1つしかないだろ。


「ソファーの下になに忍び込ませた」

「……なんのことです?」


 反抗でもするつもりなのか、眉間にシワを寄せた岡本さんはこちらを見上げる。


 生憎こちらは190センチあるんだ。反抗しようと思うなよ。

 そういう意思で向けた視線だったのだが、なにを勘違いしてのか、田辺が慌てて割り込んでくる。


「喧嘩はやめてください。どうなっても知りませんよ?」

「あ?しねーよ」

「しそうな言葉遣いじゃないですか」

「んなこといいからさっさとソファーの下を見ろ」

「あ、はい!」


 久しぶりに見た敬礼を無視し、俺はソファーの下ではなく、岡本さんのポケットへと目を向けた。


「そのポケットに入ってる物を出せ」

「…………」

「勝手に見るぞ」


 沈黙を貫くということはそういうことだ。


 容易に抜け出せた手は開かれており、諦めたのかギュッと目を閉じる。

 そんな岡本を横目に、俺はポケットに手を入れ――


「ボールペン……か」


 出てきたのはボールペン。

 見た目からしてかなり高そうだな。


 岡本さんの腕から手を離し、ボールペンの持ち手部分を回す。

 どうやらボールペンとしてもちゃんと使えるらしく、中からはバネと黒の芯が出てくる。

 そしてトンッと、手にボールペンを叩いてやればカルムが出てくる。


 LEDライトがよく当たる位置でカルムを回してやれば、一部がよく光る。


「よく埋め込んだな。これ」


 カルムを目に近づけ、カメラをじっと見つめながら言葉を口にする。


「ソファーの下はなにもないですけど」


 腰を屈めて滑稽な姿をしている田辺は籠もった声で言ってくる。

 このカメラとなにかを入れ替えたと思ったんだが、ただボールペンを取っただけか。


 ……なら、数日前から録画してたってことだよな?


 顎に手を添える俺は、カルムを持つ手を下げる。


 盗撮をしていたやつを許すつもりはない。

 が、これは大きな進展を生むだろう。


「田辺。そいつを盗撮の容疑で捕まえろ。現行犯逮捕だ」

「あ、はい!7月29日、17時28分48秒。岡本陸斗を逮捕します」

「…………」


 ただ無言を貫く岡本は、目を伏せたまま手錠をかけられる。


 正直、あの目を見た時は抵抗するのかと思った。

 ナイフが手元にあれば完全に俺のことを刺そうとしている目をしていた。

 ……顔には出さないが、怖いもんは怖い。


 本気で人のことを殺そうとする目を幾度となく見てきた。

 その度に肝が冷える。

 いつ見ても慣れやしないこの感覚は、刑事としての尊厳を崩そうとしてくる。


「それじゃあ僕、他の警察官に引き渡してきますね」

「あぁ。頼んだ」


 いつ暴れ出しても良いように、一時も岡本の身体から手を離さない田辺は俺の前から姿を消す。

 俺よりも背が小さい田辺だが、柔道の黒帯を持っている実力者。

 俺よりも遥かに強いはずだ。


 ホッと心の中だけで息をつく俺は、身動きが取れていない周防さんと、鑑識官の元へと向かった。


「周防さんは俺が連れていきます。代わりに、このカメラを抜き取って映像化してもらいたいのと、『善田せな』について調べといてください」

「あ、は、はい!承知いたしました!」


 見るからに動揺する鑑識官は敬礼をし、包み込むように俺の手から分解された部品たちを取る。


「周防さん。行きましょうか」

「え、あ、そっすね」

「なんかぎこちないですね」

「あーいえ、はい。すみません、なんか」


 気迫があった周防さんの姿はどこにもなく、小ギザミに揺れる小動物を彷彿とさせる。


「とりあえず行きますか?」

「あ、はい。行きましょう」


 結局分からずじまいの俺は首を傾げながらも提案する。


 一応この部屋では殺人が起こってしまった。

 だから怖気づいたのかな?なんて思ったのもつかの間、周防さんは分かりやすく俺から距離を取って玄関へと向かい出した。


「まさかですけど、怖いですか?俺」

「そ、そんな。早く行きましょうよ。別の部屋に」

「ですね」


 どことなく話を逸らされている気がするが、まぁ怖いと思われていないのなら良しとしよう。


「そういえば『土曜日は毎回行ってる』と言っていましたけど、27日も行ったんですか?」

「あ、いや。その日はせなが無理って言ってたっす」

「なるほど。ちなみになぜ今まで言わなかったんです?」

「いや!忘れてただけっす!ほんとっすよ!」


 慌てた様子で顔の前で腕を振る周防さんは、許しを請いているようにも見える。


「別に怒ってないですよ。今言ってくれたので構いません」

「そ、そっすか……」


 周防さんの安堵のため息とともに玄関を潜り抜け、2部屋離れた表札が隠された扉を開く。

 すると、リビングからひょこっと茶髪の髪を靡かせる女性が顔を出す。

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