第5話、社畜から海賊になった朝(後編)

「まったく、朝っぱらから何を騒いでいたんですか?」


マリーと猫明と三人で食堂に行くと、そこには既に身支度を整えたクレアがいた。

彼女は日本人とイギリス人のハーフだが、生活様式はイギリス式だ。

彼女の前には紅茶とトースト、それにハッシュドポテトと目玉焼きとベーコンが並んでいた。


「いやぁ、朝からマリーと猫明が俺のベッドで……」


まだ脳みそが半分寝ていた俺は、思わずそう口走ってしまった。

途端にクレアの目が厳しくなる。


「朝っぱらからそんなふしだらな事をしていたんですか! 昨日あんな大事件があって、私たちは明日も知れない身だと言うのに……少しは人生を真剣に考えるべきなんじゃないですか!」


だがそんなクレアの言葉に、珍しくマリーが反論した。


「ちょっと待ってよ。明日をも知れぬ身で子作りに勤しむのはふしだらだって言うの? おかしいよ、それは!」


「何がおかしいんですか?!」


「子作りは生命の本質でしょ。明日には死ぬかもしれない状況なら、なおさら今日は子作りに励むべきなんじゃない? でないと自分の遺伝子がここで絶えちゃう事になるんだよ!」


マリーのあまりに生物学的に正しい反論に、クレアは言葉を失った。


「生物は危機的状況になればなるほど、新しい命を生み出そうとする。それを否定するのは生命に対する冒涜だよ!」


「で、でも、でも、アナタたちの行為はただ快楽を求めるだけのものでしょ! それをそんな風に正当化したって!」


「快楽を求めて何が悪いの? セックスが苦痛しか与えないものなら、生物はとっくに絶滅してるよ! そもそもクレアのいま目の前にある甘い紅茶だって、脳が甘味に快感を感じているからなんだよ!」


クレアが目を白黒させる。

彼女がこんな風にやり込められるのは珍しい。

そしてマリーにとって生殖行為とはそこまで神聖で真剣なものなのだろう。


「じゃあまさか……アナタと船長はもう、そういう関係に……」


それにはマリーが頭を左右に振った。


「それはまだない。ウチもジョージも未成年だからね」


「じゃあ今日の朝、一緒のベッドに居たっていうのは?」


「こうして普段からスキンシップを高める事で、成人した時の性行為がスムーズに行くんでしょ。鳥は一番近くにいる異性をツガイになる可能性が高い。だからウチはこうやってチャンスがあれば、ジョージのウチに対する性的欲求を高めているの!」


う~む、俺は単に揶揄われていただけかと思っていたんだが……マリーにとっては、こんな事も重要な結婚へのステップなんだな。


……これから気を付けよう。


朝のディベート大会はマリーの圧勝に終わった時……

猫明がクレアのベーコンに手を出そうとした。

だがそれを見逃すクレアではない。


「猫明! 手を出さないで! それは私の朝食です!」


叱られた猫明は耳を垂らして首を竦める。


「んじゃ、アタイの朝ごはんは? どこにゃ?」


「ありませんよ」


クレアは素気なく答える。

それにはマリーも気色ばんだ。


「え、ないってどういう事? 無いの猫明の分だけ? でもウチらの分はあるよね?」


「いえ、マリーの分も船長の分もありません。もう倉庫は空です。昨日『食料も水も一週間分もない』って言いましたよね? それなのに昨夜ドンチャン騒ぎをしていたのは、どこのどなた方だったでしょうか?」


さっきマリーにやり込められたのが癪に障ったのか、クレアは冷たい返事を返した。


「そんな!」「そんにゃあ~」


マリーと猫明が同時に悲鳴を上げた。

俺が身を乗り出す。


「じゃあ会社の食料補給船に連絡すれば! 航行中の貨物船には必要な食料は補給してくれるはずだ!」


そう言った俺をクレアはジロリと睨む。


「なにを言ってるんですか? 会社に連絡なんてしたら、今度こそ保安部の戦闘艦が艦隊クラスでやって来ますよ! 私たちは会社に反乱を起こして逃亡したんですよ! それなのに食料だけ会社から送って貰おうなんて、考えが甘いにも程があります!」


ぐぅの音も出ないとはこの事だ。

いや、俺だっていつまでも食料が送り届けられるとは思っていない。

だが大企業というのは、何事も手続きが煩雑ですぐには進まないものだ。

だから俺たちが海賊認定されて保安部の船に損害を与えようと、食料補給などは今月中は継続できると思っていたのだ。

それが昨日の今日で、即座に食料を止めるなんて……非道すぎるぜ。


「じゃあなんでクレアはそうやって朝食を食べているの?」


それに対しクレアは平然と答えた。


「これは私が前の港で購入したものです。もちろん自分の小遣いから出していますよ」


「じゃあさ、それをみんなで分け合おうぜ。こういう時こそ助け合いが必要だ。困っている時はお互い様だろ?」


だがクレアはジロリと俺を見た。


「この前、私が惑星コトで素敵な扇子があって母にお土産として買いたかったけど持ち合わせがなかった時、船長に貸して下さいって言ったら、なんて言ったか覚えていますか?」


「もちろん部下想いの俺は、喜んで貸してあげただろう」


「違います! 『宇宙を旅する船乗りたるもの、どんな時も他人を頼るな! 己の事は己で始末をつけろ!』っておっしゃったんですよ!」


「うぐっ」


「それだけじゃありません。私は毎月の決まった給料の中で慎ましく食事をしているのに、船長は積荷を売り払ったお金で豪勢にステーキだのしゃぶしゃぶだのを食べていましたけど、私には一切れもくれる様子は無かったですよね?」


「そ、それはだな、クレアは要らないと思ったから……『欲しい』って言ってくれれば俺は気持ち良くあげたぞ」


「デザートのゴールデン・マンゴーを『私も食べてみたい』って言ったんですけど、『これは俺のだ! 食いたければ自分の金で買え!』って言われましたけど?」


「うぐぐ……」


「アナタたちも!」


クレアは鋭い視線をマリーと猫明に向けた。


「マリーはいっつも後先考えずに給料は貰って半月も経たずに使ってしまって……猫明は給料すらないんだから、貰ったお金はもっと大切に使うべきなんじゃないですか?」


さっきまでクレアを論破したマリーも、いつも能天気な猫明も、どちらもしゅんとして小さくなっていた。

俺なんかもう、気分的にはナノ単位だ。


「まったく……」


クレアはそう言って席を立ったかと思うと、しばらくして食堂から三つの蓋つきトレイを持って来た。

それをテーブルに並べる。


「本当にこれが最後ですよ。これで私が自腹で買っておいた食料も無くなりました。だからどこかで補給するまで、水だけで過ごすしかありません。その水だって一週間は持ちませんから」


俺もマリーも猫明も、自分に前に出されたトレイを蓋を開く。

中にはクレアがさっき食べていたのと同じ物が揃っていた。


「ありがとう、クレア」


「本当に感謝だにゃん」


「これからは女神と呼ぼう」


マリー、猫明、俺は順に感謝の言葉を口にした。


「そんなお世辞は要りません!」


そう言った後で眉間に皺を寄せて腕組みをしたクレアが尋ねる。


「でも食料無しでは何日も持たないでしょう。ポート・ロワイヤル星にはいつ着くんです?」


「ふが、今日の、むしゃ、夜にはきっと、くっちゃ、着ける、もが、んじゃないか……」


「食べるか話すか、どっちかにしてください」


俺は水で口の中の物を胃に送り込む。


「今日の夜には着けると思う」


「それで、食料を買うお金くらいはあるんですよね?」


 ヒクッ


俺の左の頬だけが引き攣った。

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