第35話 天満宮

平安時代に太宰府に流された学問の神を祭ったこの南野天満宮には、梅の木が多い。


春には紅白の鮮やかな花が境内を彩ったが、初夏の今では青い梅が鈴なりに実をつけている。


春の観光シーズンが過ぎたため、人もまばらになった境内の中を白のポロシャツと黒のチノパン姿の新谷と、襟元にフリルをあしらったワンピース姿の梅小路が腕を組んで歩いていく。


「新谷くん! はやくはやく!」


「見てください! 梅の実がとっても綺麗です!」


梅雨入りしてはじめての週末。新谷は、梅小路と大学近くの神社まで出掛けていた。

梅小路の治療に付き合って以降、症状が落ち着いた後もこうして二人で出掛けることが多くなった。


まだメンタルが不安定な梅小路に配慮して、出掛けるところは歩いて行ける程度の場所がほとんどだが。それでも端から見ればデートだろう。


学内でも空き時間に梅小路と一緒にいるのがすっかり定着した。そのせいか、翔太や基礎ゼミの級友に二人きりで歩いているところを見られてもからかわれることが少なくなっている。


「あらあら」

「若いって、いいわねえ」


神社内をすれ違う初老のカップルたちにほほえましく見守られながら、参道を進む新谷たちはやがて拝殿にたどり着く。縄で吊り下げられた鈴緒を鳴らし、賽銭を投げ入れると深く頭を下げて二礼した。


日本でも有数の規模の神社なだけあって、賽銭箱の奥に見える幣殿の中には金を基調とする調度品の数々がまばゆい光を放ち、参拝客に祈祷を捧げる神主の姿が絶えることがない。


高校で習う古文のような文言を朗々と唱えながら、手にした御幣を目を閉じて首を垂れる参拝客の頭上で振っていく。


雷をかたどった純白の紙が神主によって右へ左へと振られるその姿は神々しい。神主の表情はどこまでも真剣で、参拝客は静かに瞑目し一心に何かを祈っている。


梅小路も真剣な雰囲気に当てられたのか、お祓いの様子をじっと見守っていた。


一方新谷は、こぶしを握り締め、唇を血の味がするまでかみしめてフラッシュバックにじっと耐える。


 この南野天満宮には就活で苦しんでいる時に何度も何度もお参りした。苦しい時の神頼みの言葉通り、何度も何度もお参りしては必死に祈った。だが不採用通知が来るたびに落ち込み、メンタルがヤバくなってくるとやがて祈る気力さえなくなる。


大学四年の十月が過ぎたころは一日中境内のベンチに腰掛けて空を眺めていた。


 そして結果は全敗し、職に就けないまま卒業式を迎えた。


だが一念発起して資格を取り直し、数年後には安定した職業に就くことができた。自分と同じように心を病んで苦しい思いをしている人たちの支えになることもできた。


話を聞くとき、患者さんと接する時、暗黒の学生時代や就職浪人の経験が役に立っていると思った時も多い。


結果だけを見れば、灰色の学生時代も意外と悪くなかったのかもしれないな。


二人並んで柏手を鳴らしながら、宗徳は頭の片隅でふと思う。


「新谷くんは何をお願いしたんですか?」


「みんなが健康に過ごせますように、かな」


「私は、この幸せな時間がいつまでも続きますように、です。この神社は色んな神様が分社に鎮座してますから」


 整えた髪に清潔な服装に身を包んだ梅小路を横目に見ながら、新谷は前の時間軸でのことを思い出す。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る