第30話 陽キャに下された罰

「君、富田英二さんですね? 少々お伺いしたいことがあるので、ご同行よろしいでしょうか」


バイト帰りの富田がそう声をかけられたのは、数日後のことだった。


見た目は四十過ぎの冴えないオジサン。くたびれた背広に薄汚れたベージュのコートを羽織っている。


マッチングアプリで知り合った適当な女とヤる予定だった富田は、嫌々ながらも質問に答えていた。だが冴えないオジサンが胸元から取り出した手帳を見ると顔が青ざめる。


「もうこれくらいでいいだろ!」



そう言い捨てて足早に立ち去ろうとした富田だが、手首をつかまれて引き留められた。


「離せ! サツが何の用だよ!」


普段は尊大な彼がテンパり、声が上ずる。私服警官は続けて令状を取り出して富田の前に突きつけると、彼の顔が哀れなほどに蒼くなった。


「富田英二。傷害の容疑で逮捕する」


そう言われたとたんに暴れだすが、掴まれた手首を軸にしてあっという間にうつぶせに押さえつけられ、両手に手錠がかけられた。


ざわめきの中、駆けつけたパトカーに乗せられる富田を新谷は遠くから見守っていた。


顔に貼られたガーゼの下の傷口が痛むが、上着を被せられこの世の終わりのような顔をした富田を見るたびに昏い喜びが止まらない。


新谷の取った手段は至ってシンプルである。傷害罪で被害届を出した、ただそれだけだ。


精神病院での暴行事件の経験と、大学で習った法学の知識が役に立った。病院で書いてもらった診断書と、翔太や彼の友人に頼んで暴行の始終を撮影してもらった動画を添えるとあれよという間に逮捕令状がとれ、逮捕にこぎつけた。


被害届を出した警官から聞いた話では元恋人へのDV、連れ子への虐待など余罪が後から後から出てきたらしく数年は刑務所確定だろうということ。


普通の人間は警察を頼ることに抵抗がある。


実際に動画の撮影を頼んだ時に翔太たちはドン引きしていた。


一方暴行事件に巻き込まれて心に傷を負った人間や、虐待・ストーカーの被害者、麻薬常習者などの患者を担当してきた新谷は警察と話したことも多く、ためらいはなかった。


だがあざだらけ、傷だらけになった新谷を見て翔太たちは怒りに燃え、それ以降は警察への連絡や証拠をまとめる手続きまで手伝ってくれた。


治療費を一部肩代わりまでしてくれたことには、本当に頭が上がらない。


「それにしても……」


 バイト先ではイキって、自分に対しては上から目線でどなりつけ、暴力を振るった富田が警察に連行されるときはうつむいて、慌てふためいている。


 まるで奴がバカにしていた陰キャやビビりそのものだ。自分をバカにした人間が自分と同じような目にあう。甘美で気持ちいい瞬間だ。


 傷口を抑えながら、新谷はヒントになったエロゲのセリフを思い出す。



『お前は黙って、殴られたときの痛みを覚えていればいい。そうすれば幸せが待っているぞ』



 翌日、丹波口のバイト先の更衣室。


 今日は富田がバイトを休んだので、同僚からの冷たい視線はあるものの落ち着いて仕事ができた。黄色を基調にしたバイトの制服の前ボタンを一つ一つ外し、深い谷間が露わになる。着やせする体を紫のブラに包んだ、引き締まったプロポーション。


 ホックを外してスカートも下ろすと、梅小路に比べむっちり感のあるヒップを飾るブラと同色のショーツが外気にさらされた。


 姿見でそこそこ自信のある体を確認しながらも、思い浮かぶのは新谷のこと。


 新谷から警察に連絡すると聞かされ、丹波口は「そこまでしなくても……」と一度は止めた。だがストーカー規制法など具体的な法律を聞かされ、女性が警察を頼るのは珍しくないと知ると了承した。


 みんなやっていると聞かされると周囲に合わせて動くタイプの人間は弱い。


 新谷を信頼していたこと、心が弱っていたこともありとにかく早く解決したいと思っていたことも大きかった。


 だが顔や腕のあちらこちらにシップとガーゼを貼った新谷から事件のあらましを聞かされた時。


 激しい後悔が彼女を襲い、丹波口はその場で泣き崩れた。


 だが腰をかがめて丹波口と視線を合わせた新谷は笑顔でこう言い切った。


「丹波口さんが無事で、よかった」


 後悔など一片も感じられず、痛みを思わせるそぶりさえない。以前悩みを相談した時と同じような、いやそれ以上にいつくしみに満ちた表情。


 なぜ、ここまでできるのか。そんな痛い思いをしてまで、なぜ笑っていられるのか。


 新谷の異常性に引いたが、同時に強く惹かれもした。


(なんで、他人のためにここまでできるんやろか……)


 彼を思うだけで、疼きを覚えるようになってしまった下腹部。職場だというのに指があらぬところへ向かいそうになる。


(ちょっとだけなら、ばれへんやろ)


 下着をなぞろうとしたまさにその時。


 更衣室のざわめきに気になる言葉が混じる。丹波口は指を止め、さりげなく耳を澄ませた。


「富田君、バイト来ないね」


「やめたらしいよ」


「ていうか、逮捕されたんだって」


「それマジ?」


彼女たちはスマホの画像を見せ合いながら、深刻な雰囲気でざわめいている。


女子の一人が警官に手を引かれていく富田の画像を見せると、場のざわめきがさらにヒートアップする。


「うわ……」


「シンママと同棲して、貢がせてたんだって」


「その子にも、シンママにも暴力ふるってたらしいよ」


 ざわめきとともに女子の空気が徐々に変わっていく。


 相手の言葉や出方を慎重に探りながら、富田への批判が会話に混じり始めた。


「ていうかさ、富田君ちょっと強引すぎじゃなかった?」


「わかる~。空気読まないところもあったしね」


(もう、知られたんやね。というかホンマ、一日ですごい変わりようやわ…… 昨日までキャーキャー言っとったんは、あんたらやろ)


 女子は人の悪口でさえ、言ってもいいとグルーブ内で暗黙の了解が取れている相手にしか言わない。


 そして悪口の話題になると、仲間外れになるのを避けるために進んで罵詈雑言を並べ立て。醜い感情は「わかる」をはじめとする共感の言葉で雪だるま式に膨れ上がっていく。


「捕まってざまあって感じ?」


「そーそー。一生出てくるなって感じ」


 聞くに堪えない醜い会話。その様をみて、丹波口は着替え終わると店長室に足を向けた。


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