第28話 陽キャによる暴行

新谷が連れてこられたのはビルとビルの隙間になった店の裏手。排水管やエアコンの室外機がビルの間に並べられ、業務用の大きなゴミ箱が置かれているだけで人通りは皆無。


新谷は壁に打ち付けられ、壁ドンのような体制で富田に顔をギリギリまで近づけられてすごまれる。


「いちいちうぜえんだよ、お前」


 先ほどまでのような一定の気遣いなど富田にはもはやなく、完全に相手を脅し、従わせるための態度をとっていた。


 まあ、よくいる奴だ。壁に押し付けられ、屈辱が一定値を超えたあたりで新谷は頭のどこかが冷めたような感じになる。


 心を守るために、自分に起こっていることをどこか他人事のように感じられる時が人間にはある。心理学でいう解離、防衛機制というものだ。


「うざいのは、あなたでしょう」


 富田は無言で新谷の襟元を締め上げてくる。首が締められ、体が浮いてつま先立ちになった。


「お前、丹波口とどういう関係だ?」


「ど、どうでもいいでしょう」


「カッコよく助けて彼氏にでもなろうってか? だが残念だな、あいつはエロい格好で人前で踊るビッチなんだよ、お前みたいな陰キャがあいてにされるわけねえ」


「そ、そういうことは」


新谷は唇をかみしめ、一瞬だけ富田をにらみつけるが目が合った瞬間にそらす。できるだけ弱者のように振る舞い、臆病者のような仕草で相手を増長させる。


「け、ビビりの童貞が何言ったって無駄なんだ。震えてるじゃねえか、ママ~って助けよんだらどうだ」


「てか金よこせ、慰謝料だ」


 富田が新谷のポケットを探ろうとしてきたので、手首をつかんで押しとどめる。さすがにこの行動には腹が立った。


自分がお金でどれだけ苦労をしてきたと思っているのか。前の時間軸では、資格を取るための専門学校に入るためのお金を死ぬような思いで蓄えてきた。


それを、こんなクズのような男に渡すと考えただけで吐き気がする。


その思いがどうやら表情に出ていたらしい。新谷の顔を見下すように眺めていた富田の顔つきが、見る見るうちに険しくなる。


「なんだその顔、てめえ自分の立場わかってんのか、ああ?」


「わかっててるから言ってるんですよ、女にとっくに振られたことにも気が付かないバカ」


 そう言った瞬間、胃の奥がきゅっとしまるほどの恐怖を新谷は感じた。


 富田の目がつり上がり、歯が見えるほどに口元が歪む。


「てめえ!」


新谷は目の前に富田の拳が迫ってくるのが見えた。


新谷には格闘技の心得などはない。スポーツの経験といえば中高時代にやっていたテニスくらいだ。動体視力で拳は見えても、かわすこともよけることもできない。


だから。


新谷は歯を食いしばり、目や鼻といった殴られてはまずい場所だけを守る。


富田の拳がまともに頬に入った、口の中が切れ、頭に加わった衝撃で衝撃で目に星が散る。


派手に吹き飛ばされた新谷は路地裏のゴミ箱に突っ込む形となった。生ごみの詰まったゴミ箱が倒れ、中身が散乱する。


「くそが!」


 富田はそれだけでは気が済まず、殴りかかってくる。


 仰向けに倒された新谷は腕で顔と腹をガードしながら必死に耐えた。精神科で医療保護入院してきた患者から暴力を振るわれたことは何回かある。


 患者が相手なので反撃することもできず、ただ黙って耐えるか、逃げるしかなかった。その時の経験が今回活きて、殴られては障害が残る可能性がある場所だけは守れた。


 だが体中に走る痛みは止めようがない。


 マウントポジションを取った富田が新谷の身体の上で拳を振るうたび、痣が増えていく。


(なんなんだこいつ、こいつ、こいつがあ!)


 殴りながらも富田は言いようのない恐怖を感じていた。ケンカで勝っているのは自分の方、馬乗りになり、一方的に拳を振るっているのは自分の方。


 それなのに、新谷の目が死んでいないからだ。


 殴られながらも睨みつけ、一方的にやられているように見えながら巧妙にガードしている。経験上、こういうやつは何かとんでもないことをしてくるものだ。


 こいつヤバい。もうやめたほうがいい、そう思いながらも富田の拳は止まらなかった。目を付けたメスを取られそうな怒り、拳で問題を解決してきた経験、何より格下をいたぶる快感。


 富田の体力が尽き、こぶしの痛みに気が付き、血が滲み始めるまで数分。やがて暴行は終わった。結局新谷からの反撃はなかった。


「け、二度と来るな」


 体中に傷を作った新谷に唾を吐きかけ、富田は去っていく。


 彼の姿が完全に見えなくなった後、新谷は地面に散らばった生ごみの中からゆっくりと体を起こした。


 顔面はあざだらけで紫色に染まった肌が痛々しい。幾度となく切った口の中は血にあふれ、唇の端からとめどなく赤黒い液体が下あごにかけてすじを作り、地面へと垂れていった。


 そして口元は愉悦に歪み、目は富田が比較にならないほど邪悪な光に満ちている。

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