第25話 陽キャが陰キャに堕ちる時

駅前の賑やかな通りから裏道に入り、庭木や門構えも立派な家が立ち並ぶ住宅地を歩く。


日差しは強く、空調の効いていない外を歩くと汗が流れたが、丹波口は苦にも感じなかった。


手を握る新谷の感触が、暑さを吹き飛ばして余りある。手を握られているだけなのに、全身を抱かれているような心地よさと高揚。富田の粗暴な握り方とは比べるべくもなく、気持ちよすぎてお腹の奥がキュンキュンするほどだった。


 火照り始めた頬。頭がぼーっとする。


「なんでこんなに自然に手を握れるんやろか…… それに力加減もすごいうまいわ、絶対慣れとるやろ、これ……」


 前の時間軸では新谷にとって人の手を握るなど日常茶飯事だった。


 精神科とはいえ高齢の患者も多く、麻痺や手の骨折に対してのリハビリも行う。


 患者の手や腕を包み込む指使い、痛みを感じさせない絶妙な力加減。それがデフォとなっているだけでありやましい心など一切なかった。


(なんでこんな陽キャのもめごとに首突っ込んでるのかな、僕…… 患者のプライベートに口挟むべきじゃないのに。あ、患者じゃないか)


座命館大学から徒歩二十分ほどの位置にある、住宅地の中の喫茶店。マンションなどの新興住宅と門つきの古い家が混じり合う、古都の面影を残した場所にそれはあった。


黒ずんだ木製のドアを開けると、頭上から聞こえるドアベルが鳴る音。中にはヒノキの香りが漂う木製のテーブルに腰掛けた二、三組の客と、カウンター越しにマスターと話している初老の男性がいた。


「翡翠庵」というレトロな喫茶店で、定年退職した夫婦が営んでいた。


前の時間軸で新谷が度重なる非採用通知にアパートにもいたくない、だが大学で知り合いに顔を見られるのもつらい、そんな状態のときによく利用していた。


悪く言えば古臭い外見と大学から微妙に遠いこともあり、大学の知り合いも滅多にいない。


「二人で」


 慣れた様子で席に着く新谷に対し、こういった喫茶店は初めてだった丹波口はどこか落ち着かない。


 注文したコーヒーとミルクが運ばれてくるまで、丹波口は終始無言だった。視線を机の上に落とし、膝の上で拳を握り締めている。


近所の主婦と思しき老年女性が数組談笑している声が聞こえる中、丹波口の中では富田に乱暴に扱われた記憶がフラッシュバックしていた。


 チェーン店のような画一的なデザインでなく、陶器市にあるような年代物のカップで運ばれてきたミルクを飲む時ですら彼女は口を開かない。


 だが新谷は無理に話を促すことも、退屈そうな表情をすることもない。穏やかかつ落ち着いた様子でコーヒーをすする。


 クラッシックのBGM、落ち着いた周囲の会話にコーヒー豆やカップなどが収められたアンティーク調の家具。


 ようやく心が落ち着いてきた丹波口は、そっと口を開いた。


「なんで、あそこにいたん……?」


「基礎ゼミの教室でも、ずっと様子がおかしかったからなんだか気になって」


 急に少なくなった口数、生気のない目、遅くなった反応。感情鈍麻や反応の遅延、意欲の減退が著しく、あえて軽い口調で言ったものの精神科の病棟で自殺未遂をはかった患者を彷彿とさせたたほどだった。


気になって仕方がなくなったため、後を付けてバイト先での彼女を見張っていたら富田と遭遇したというわけだ。


SNSで連絡を取らなかったのは、現場を押さえる必要を感じたため。


どれだけ辛くてもなかなか周囲に相談できないタイプだった場合、下手に聞くとかたくなになる恐れがあった。


「気になってた、って? それだけの理由であそこまでするん?」


 本来ならしない。


 丹波口とはそこまでの関係ではないし、病院でも患者のプライベートに必要以上に口を挟まないものだ。


 だが、万一丹波口がタイムリープにかかわっていた場合。


 彼女のメンタル面の不調がこの時間軸にどんな結果をもたらすかわからない。


カップが空になり、丹波口がある程度落ち着いたのを見計らって新谷は促す。


「まあ、お節介な性分でさ…… いったい、なにがあったの? 話くらい聞くよ?」


「でも無関係なケンジをこれ以上巻き込むのも悪いわ……」


「遠慮しないで。これでも人の悩みを聞くのは得意なんだ」


 耳に染み入るような穏やかな声音。目が合うだけで心がほぐされていくように感じられる。SNSで打ち明けなかったにもかかわらず、目の前に新谷がいるだけで丹波口の口は自然に動く。


バイト先での出来事を、ぽつりぽつりと話し始めた。いったんそうすると、後は堰を切ったかのように言葉が出る。


丹波口の話を聞く新谷は、さすがはプロのリハビリ職ともいうべきものだった。


常に微笑を称えた優しい笑顔で相談者が話しやすくする。同時に、経験者がかもし出す威厳に満ちたオーラで信頼感と安心感を抱かせる。


「それは、辛いよね……」

「なんで、って叫びたくなるよね」

「嫌なことって、なかなか言い出せないよね」


相手の言い分を決して否定せず、言ってほしい台詞だけを注意して口にしていく。


(なんや、ケンジ話聞くのめっちゃ上手いやん…… それに相槌もこっちのこと思っとるのが伝わってくるし……)


(アカン、アカンわこれ、マジで惚れてまう)


一方話を聞いている新谷の内面はごくクールだった。


(ふーん……)


親身になっても入れ込みすぎないのがプロの心得だ。患者の悩みを聞いて、自分が共倒れになっては意味がない。


「友達はなんて言ってるの?」


「バイト先の友達は、誰もかばってくれへん。あいつ、富田っていうんやけど。女子からは人気あるし……」


「女の敵は女、ってやつだね。それより彼氏さんは助けてくれないの?」


 その言葉に、丹波口はなぜか声を荒げた。


「はあ? なんでそんな話になるん…… ウチ、彼氏おらへんよ。そもそも彼氏がおったら、ここまでめんどくさいことになってへんわ」


「ご、ごめん。丹波口さんモテそうだから、つい」


 謝罪の言葉を継げながらも新谷は頭をフル回転させていた。


(また歴史が変わってる…… 確か、丹波口さんはゴールデンウイーク明けには彼氏ができていたはずなのに)


 前の時間軸で、基礎ゼミの教室に見慣れない男と腕を組んで入って来た彼女の姿が目に浮かぶ。


(やはり彼女が?)


正直、新谷にとって陽キャが不幸になろうがどうでもいいことだった。だが目の前で辛そうな顔をしていると見過ごせない。


ふつふつと精神科での医療従事者としての血が騒いでいく。


 愚痴をひとしきり聞いてから、新谷は解決策を提示した。


「バイト、やめればいいんじゃない? あの富田ってやつも、接点がなくなれば冷めると思うけど……」


 だがそれを聞いた丹波口は難色を示す。


「はじめたばっかりやし、迷惑がかかるわ…… ウチ前のバイトでバイトリーダーもやってたんやけど、シフトの作成だって楽やないし」


それを聞いて、ブラック企業をやめられない社会人に通じるものがあるなと新谷は感じた。ひょっとしたら丹波口も、前の時間軸では人生が破滅したのだろうか?


陽キャ陰キャと区分されるが、絶対的なものではなく。学生時代陽気な人が社会人になって潰れていくケースは意外と多い。


やはり彼女が、タイムリープを引き起こしたのだろうか?


「それに大学も知られとるし、大学にまで押しかけてこられたらヤバいわ」


「そこまでやりそうなタイプなのか」


 さすがに新谷も頭を抱えた。


 ストーカーということで警察に相談する手もあるが、今回は職場で言い寄られている程度だ。


 犯人もわかっているし何もしてくれないことはないだろうが、今回は被害者へのアドバイス程度で済まされる確率が高い。


 警察はそもそも民事不介入が原則だ。大々的に動いてもらおうと思えばもっとヤバい事件を待つしかない。


「もっといい方法がないか、考えてみるよ」


 その日はそれで解散となった。外に出るとすでに日は傾き、西の山々を茜色に染め上げている。


だが茜色の夕日の下、翡翠庵のそばに人影があった。


その人影は新谷たちの後ろ姿を、ずっとずっと見つめていた。(

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