第24話 陽キャが孤立する。

 ボディタッチ、目配せなど勤務中にも途切れることのない富田からのアプローチをかろうじてかわしながら、丹波口は今日のバイトを終える。


 更衣室で手早く制服を脱ぐと紫のブラに包まれた大きめの胸が露わになる。チアリーディングで鍛えた体幹のおかげか、同程度のバストサイズの友人が悩む型崩れとも丹波口は無縁だった。


 同性の視線を感じながら英語がプリントされた上着のシャツを着こむと、更衣室内の会話がひそひそと聞こえてくる。


「丹波口、今日も富田君に声かけられてたね」


「気あるのバレバレなのに、あの塩対応ひどくない?」


「わかる~」


 わかる、という言葉に代表される共感の感情。女子同士の会話において最も邪悪なもの。負の感情は会話が進むたびに雪だるま式に膨れ上がり、話題の渦中の相手を極悪人に仕立て上げる。


 バイトを始めてすぐに丹波口は他スタッフと打ち解けていたのに、富田が入ってきてから状況が変わっていった。


 オラオラ系でイケメンな富田は、女子にモテる。


優しい男子がいいというのは優しい男子を都合よく利用したいという本音の言いかえだ。ごく一部例外もあるが、基本的に女が上の口で言うことを決して信じてはならない。


レディコミ、BL、女性向けポルノを見ればわかるが女子とは強引なイケメンに無理やりいただかれるシチュを好むことが多い。


「失礼しまーす……」


 丹波口が挨拶をしても、返ってくる言葉はない。


 唇をかみしめながら丹波口は店の外に出た。街路樹のすきまからこぼれる木漏れ日が目に優しく、初夏の爽やかな風が肌に心地よい。


「どうして、こないなことになったんやろ……」


 いや、理由はわかっている。解決法も。


 あの富田とかいうムカつく男子のアプローチに応えればいいのだ。


 ちゃんとした彼氏彼女の関係になって、幸せオーラを振りまいていればいい。


 今からでは遅いかもしれないが、女子は嫉妬と同じくらい祝福が好きなのだ。


 自分への陰口も、付き合ってどうだとか初デートはどこ行ったのとか、エッチはどうだったかとかいう質問に塗り替えられるに違いない。


「でもいややわ……」


 街路樹から落ちた若葉が、青々とした残滓を残して風に舞う。視線で若葉の後を追うと、雲一つない青空が広がっていた。


 富田など大嫌いだし、心を占める男子への裏切り行為な気がしてならない。


 新谷とは付き合っているわけでもないのに、そう感じてしまう。


彼氏がいながらも複数名の男子をキープしておく知り合いも多いが、丹波口はそれを好まなかった。


 木陰で立ち止まり、バックからスマホを取り出す。来てほしい相手からのメッセは皆無で、見たくもない相手からのメッセが山とたまっていた。



日が経ち、ますます富田からの誘いは露骨になっていた。


飲み会で誘われるままに連絡先を交換したのがまずかった。


高校の頃は陰キャと呼ばれる人たちが連絡先の交換一つでもたついているのを笑っていたが、自分がああであればこういうトラブルに巻き込まれなかったのかと今更ながらに思う。


店長に相談しても、「恋愛は自由だから」と取り合ってもらえない。


富田の外観が怖いせいもあるだろうが、チアリーディングでけっこう際どい格好をしていた写真を富田や他の女子に見られたのが決定打だった。


あれ以降「ビッチが男に絡まれたくらいで騒ぐな」という空気で見られてしまっている。


バイト先の他の女子からも、自業自得という感じで見られていた。仕事中は真面目に対応してくれるものの、更衣室やバックヤードでは浮いてしまっている。


「こういうの、はじめてやわ……」


常にスクールカースト上位にいた丹波口は、いじめというものを経験したことがない。


悪意にさらされ続けることに耐性のない彼女の精神は、急激にむしばまれていった。


 針のむしろのようなバイトを終え、外に出る。


 空調の効いた室内と違って汗ばむほどの陽気に肌を焼く日差し。丹波口は日焼け止めを塗っていないことを思い出す。


だが街路樹から漏れる木漏れ日をこれほど美しく感じたのは初めてだった。


「れ・んパイセン! どうしたっすかー。元気ないっすよー」


私服姿の富田に声をかけられ、丹波口は不快感で総毛立つ。デニムのジーパンに白の大きめのシャツ、胸元からはシルバーのネックレスというストリートファッション。性格と違っておしゃれのレベルだけは高いのが憎たらしい。


 お前のせいやろ、そう言いかけた言葉を丹波口はぐっと飲み込む。


 シャツの下に向けられるいやらしい視線をこらえながら、丹波口は必死に表情を作った。


「ウチ、課題で忙しいから……」


 そう言って立ち去ろうとした直後、丹波口は腕をつかまれた。


 恐怖と嫌悪に心が塗りつぶされ、加えて肉体的にはかなわないと本能が告げる。

「放しいや……」


「せんぱーい。大学の課題なんてつまんないっすよー。それより、俺と遊ばねえっすかー? 楽しいこと、教えてあげますよー」


 声の調子だけでわかる見え見えの下心に、汗のにじんだ丹波口の肌に鳥肌が立つ。


 富田は素行の悪さから高校中退して、フリーターをしていた。


 親からも兄弟からもほぼ絶縁状態だったが、女にモテていたのでヒモとバイトで楽に食つなぐことができ、現在も他の女の家にDVと優しい態度を繰り返しながら居候している。


 次の女を物色していた時、今度は有名大の女がいいと座命館大学近くのコーヒーショップでバイトを始め、丹波口に狙いを定めたのだ。


「放しいや」


「いやよいやよも好きのうちですからねー。先輩、恥ずかしがらなくてもいいっすよー」


 ねっとりと鼓膜にまとわりつくような声に、おぞましさが止まらない。


 逃げたい。いっそ腕を切り落としてでも逃げたいとさえ思う。


助けて。誰か、助けて。


通行人はたくさんいるのに。心配そうな視線をわずかに向けるだけで去っていってしまう。


丹波口の今までの人生で、他人は常に味方だった。物心ついたときから友達に囲まれていたし、自分が笑えば一緒に笑い、泣けば一緒に泣いてくれた。


今はバイト先では孤立し、路上では助けを求めても無視される。


「誰でもいい、誰か助けてえな、神様……」


「すみません」


 その一言で丹波口の心が一気に穏やかになる。


 嫌悪感で満ち満ちていた胸の中に、すっと涼風が通ったかのようだった。


 同年代とは思えない落ち着いた振る舞いに、短く切りそろえられた黒髪の下の優しい目。


 新谷は自分より頭一つは背の高い富田に対し、臆する様子もなく近づいていく。


「彼女、僕の知り合いで…… 今から大学の講義で話し合いがあるので、お借りしてもよろしいでしょうか」


「なんだ、てめえ……」


 激昂しかかった富田の声が、急にしぼんでいく。新谷が基礎ゼミの教室でガンをかるくいなしたエピソードなど知る由もないが、男の本能がこいつなめてかかるな、と富田に告げていた。


 結局富田は、舌打ちしただけで去っていく。


「助かったわ~」


 富田の姿が見えなくなると、丹波口は近くの街路樹にもたれかかってしまう。薄手の服の上からごつごつした幹の表面が当たってすこし痛むが、そのようなことを気にしていられる余裕もない。


「少し、休もうか」

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