第23話 毛ガニのようなすね毛
大型連休が明けると、古都があったこの地は盆地なこともあり急に蒸し暑くなる。
空調の効いた室内だというのに、基礎ゼミの教室には露出を増やした私服が溢れていた。
毛ガニのような毛脛をむき出しにした短パンにワキ毛ののぞく半袖シャツの男子。
女子は肩がのぞくオフショルダーのブラウスがちらほらと見え始め、c子は長袖のシャツとミニのブルーミングスカートの組み合わせ。傘のようなひだが面白く、腰かけると太ももの中央辺りまでが見えていた。
彼氏とは色々な面で仲がよろしいようでなによりだ。
「ケンジも、ああいうのが好みなん?」
丹波口はスキニージーンズに無地のブラウスと意外に地味な格好だが、白のキャップが良いアクセントになっていた。
「まあね」
下手に否定すると余計にからかわれるのでそっけなく肯定する。
社会人になって下ネタを受け流すのも、童貞なのに経験があるふりをするのにも慣れた。
さりげなく視線を向けた梅小路の服装は、白のブラウスとベージュのロングスカート、上からカーディガンを羽織っている。季節感と清潔感のある服装であり、未来の退廃的な格好の影がないことに新谷は安堵の息を漏らした。
「休み中なにしてた?」
「私はバイト~。古都ならではのバイトで、お祭りのお手伝い~」
「私は、レポート、かな」
「梅小路さん、まじめ~」
友人たちと和やかな談笑に興じる梅小路。その姿を見て、新谷は安堵の息をつく。
表面上だが、今のところは大きな発作の様子もない。
「連絡先、交換しておけばよかったかな」
だが医療従事者が担当患者と連絡先を交換するなど、公私混同もいいところだ。
それに患者の精神状態を評価できるのは、むしろ言葉以外の部分による。清潔感のある服装、友人との会話中に不自然でない程度に変化する表情。
手持ちのバックを見ると、結えられた編みぐるみが新しくなっていた。
続けられる趣味があるのは精神的に良い影響を及ぼすことが多いのだが……
周りに気づかれないように文庫本を片手にさりげなく梅小路を注視していた。だが視線を感じ取られたのか、梅小路といつの間にか目が合っている。
「でも成績が落ちると、家族が心配するから……」
たったそれだけで、新谷の全身に疼くような快感が走った。
「席に着け―」
やがて教室に入って来た基礎ゼミ担当の教授から、合宿の案内が告げられる。座命館大学では五月の大型連休が明けると大学のキャンパス付属の合宿所で、基礎ゼミごとに一泊二日の合宿があるのだ。
だがそんな中、イベントごとが大好きそうな丹波口に笑顔がないことが気にかかった。
「どうしたの?」
基礎ゼミの授業が終わった後で新谷は問いかけてみるが、
「あはは……なんでもあらへんよ」
丹波口は乾いた笑いを漏らすだけ。
多くの患者を見てきた新谷の勘は、「何かある」と告げていた。彼は、さっそく行動を起こす。
「三番テーブル、オーダー入りまーす」
「カフェラテ、五番テーブルまでー」
丹波口は今日も放課後、バイトで忙しく立ち回っていた。
忙しいのはいいことだと、丹波口は最近よく思うようになった。嫌なことを忘れていられるから。
だがドリンクの注文を受けても、空いた食器を片付けていても。
思い浮かぶのは新谷のことだった。短く切りそろえられた黒髪に、清潔感があるがシンプルであまり変わらない服装。
無地のシャツにチノパン、肌寒い時は上からジャケットを羽織る、ただそれだけ。
カジュアルな社会人のような感じだ。
もう少し大学生らしい服装が良いと思うが、新谷の落ち着いた雰囲気に似合っていると言えなくもない。私服なのにどこか制服のような「型」を持っている。
お世辞にもおしゃれとはいえない、というよりもおしゃれそのものを嫌悪しているような印象があった。
「うみと連絡先は、交換したんやろか」
新谷が基礎ゼミの教室でスマホを手にしていても、ちらりと見える画面に表示されるのは電子書籍やネットニュースだけ。
連絡を取るためSNSを立ち上げているのを見たことがない。
新谷は、どれだけの相手と連絡先を交換しているのだろうか。
自分以外の相手とは、もっと生き生きとした文章でやり取りしているのだろうか。
「いらっしゃいませ、?」
考えていると店に新谷が入ってくる。少し動揺したが、ここは座命館大学から近いこともあり学生の姿は珍しくない。
驚いた様子もない新谷に対し、丹波口はすぐに営業スマイルを浮かべて出迎えた。
「ホットのコーヒーをSサイズで」
軽く会釈しただけで淡々と受け答えしたのみで、すぐに席に着いた。
「大人の対応やわ……」
高校時代はバイトの制服を着た丹波口を見て騒ぐ男子もいたのを思い出す。大学に入ったとはいえ、やはり彼の落ち着いた感じは先輩と比べても頭一つ飛びぬけていた。
「ちょっと! 七番テーブル、オーダー入ってるよ!」
「はい、今行くわ、ちょい待ってください!」
店長に声をかけられ、丹波口は慌ててカウンターを離れた。
四十代の冴えないおじさんといった感じで、モラハラパワハラもないがバイトに対しての態度に自信が感じられず、どこか頼りない。
それから一時間はルーチンをこなしつつ、平和に業務が過ぎていく。
だが時計の針が動き、十六時半を過ぎたころから丹波口の喉に重苦しい感じが積み重なっていく。長針が十を過ぎたころには胸につかえるような感じがして。
カウンターキッチンからバックヤードへと続く扉が乱暴に開かれた音で、丹波口は身を震わせた。
「おいーっす」
数日前バイトに入ってきた、富田というフリーターの男子だ。
百八十を超える長身に彫りの深い顔立ち、ゆるく開かれた制服の胸元にはシルバーのアクセ。
「富田さん……」
「富田」
キッチンに入っていた他の女子は目を輝かせる。いわゆるイケメンの類で、女子にたいする扱いも手慣れているためたちまちのうちにバイト先で人気者になった。
だが丹波口は、彼が入って来た入口から距離を一歩とる。
高校時代に自分を誘ってきた、軽い男と同じ感じがしてあまり好きにはなれなかった。ドアを開け閉めする動作をはじめ、所作がやや粗いのもマイナスポイントだ。
「おっす、れ・ん先輩!」
そう言いながら富田は丹波口の肩に手を置いてくる。
「おっす、富田、今日もよ・ろ・し・くやわ」
表情筋を総動員して必死に笑顔を作りながら、さりげなく手をどけた。
(何なんこの腐れイケメン、なれなれしすぎへん? 女が全員アンタになびくと思っとるんか、オカンの顔見てみたいわ。背が高くて見下されとる感がするし隙あらばさわってくるしホンマ腹立つわ~!)
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