第7話 女が上の口で言うことを決して信用してはならない。
基礎ゼミの授業も数回出席すると、人間関係が大体できてくる。
出身校が同じだったり、サークルや部活が同じもの同士でグループを作ったり。
手が早い男子は女子と仲良くなったり、女子側も誘われる立場になるように自分磨きに余念がない。
丹波口は男子によく声を掛けられ、愛想もよく、男女問わず積極的に連絡先を交換するので自然にゼミ内の中心人物となっていた。
「おはよう、ございます」
だがぼっち生活を満喫している新谷にも、丹波口は話しかけてくれる。
「なんで敬語なん?」
「いや、クセで……」
患者を相手にするという仕事柄。そして人間関係の距離を一定以上踏み込ませないためあえて丹波口に対しては何度指摘されても敬語を使っているのだが。
丹波口は隅に座っていた新谷の隣に腰掛け、女子特有の匂いと香水の香りが混じって漂ってくる。
彼女は基礎ゼミ内の誰よりも距離が近く、変わらず愛想がよかった。
おかしい。
以前の時間軸ならば
『なにきょどっとるん? キモ』
『対応おかしいやろ』
こうなるはずだ。何が違うのか?
少し考えて、新谷はすぐに理由を思いつく。
前回の時間軸とは違って、新谷はよれよれのワイシャツと裾のほつれたチノパンをしまって、ユニ〇ロで無地のワイシャツと新しいチノパンを購入した。チノパンは中学から履いていて体形に合っていなかったので、サイズを変えた。
以前の時間軸で、陰キャ脱出系のラノベを参考にしてどんなに愛想良くしても言葉をはきはきさせても、姿勢を良くして筋トレをしても自分への風当たりは強かった。
一方服装を変えるだけで周囲、特に女性社員の対応が一日にして変わった。
言われるまでもないが人間は中身よりまず見た目だ。見た目が一定ランクを越えて、初めて中身を見てもらえる。
特に女とは所詮、そんなものだ。
丹波口と親しげに話す新谷に、基礎ゼミ内の男子数名が鋭い視線を投げかけてくる。
勘違いすんな。
そんな圧力をカースト上位の男子は新谷にかけてくるが、新谷は意に介さない。
空気を読まない新谷に苛立ったのか、彼は席を立ってさらに近づいてくる。
髪を派手な金髪に染めて、筋肉隆々とした肩をシャツからのぞかせていた男子の一人がさらに鋭いガンを飛ばしてきた。
だが新谷は多少怖いと思ったものの、それだけだった。
所詮はガキだ。
十年の就職浪人と社会人経験の差、精神科で暴力的な人間との対応にも慣れた新谷。かたや二十歳前の大学生。メンタルの削り合いで引けを取るはずもない。
先に目をそらしたのは、カースト上位男子のほうだった。
「こ、こんちわ」
結果として、彼は当たり障りのない挨拶しかできない。
「うん。こんにちは」
ヤンキーをビビらせた眼光、カースト上位の男子に微動だにしない新谷は、知らず知らずのうちに基礎ゼミ内で一目置かれる存在になっていた。
陽キャのガンをいなした後、新谷はカバンから課題を取り出してこなしていく。一度解いたものではあるが、放っておくのは与えられた仕事をこなさない感じがしておちつかない。
だがこうして課題を解いていても、気になるのは梅小路のことだった。
前の時間軸での担当患者ということもあり、どうしても彼女を目で追ってしまう。
それに、彼女が同じゼミにいたはずがない。いったい、どういうことだ?
「ドラマなに見てる?」
「好きな俳優は?」
「梅井さん、かな」
「梅井? ウチも好き! ジャニイズ所属で、マジかっこいいよね!」
いわゆるあか抜けたファッションに身を包み、クラス内でも明るい。ブラウスの上に羽織ったエメラルドグリーンのカーディガンが彼女の上品な雰囲気を引き立てていた。
声の抑揚は明瞭。笑顔を絶やさず、多くの女子に囲まれている。
一見何の問題もなさそうだが、単極性障害いわゆるうつ病をはじめとした精神疾患は社会人になって発症するとはかぎらない。
以前の時間軸ではクラスメイトと深くかかわらなかったこともあり噂程度しか知らないし、病院のカルテでは学生時代の詳細まではわからなかった。
病気の一因が、この大学時代にあったのだろうか。
「ドラマなんて、好きだったのか?」
「誰見とるん?」
「うわっ! って、丹波口さんか」
いきなり大きめの声で話しかけられ、新谷はビビる。
「れん、でええよ。それにしてもつれなくない? こうして話しとっても上の空やし、連絡先交換したのに、メッセ最初の一個だけやし」
「用もないのに送るものでもないでしょ?」
「用が無くても送るんよ。 今日なん食べたん、とかここに遊びに行った、とか」
「おはようございます、お忙しいところ恐縮ですが、とか。診療部から事務の皆様へ、とかかな?」
「ぶっ……」
新谷はごく自然に返しただけなのだが、なぜか丹波口は爆笑した。
よぼどツボに入ったのかお腹を押さえて笑い転げている。
「まるで社会人のあいさつやん、それ……」
意図していないことで他者に笑われる。前の時間軸ならば新谷は傷つき、相手を嫌いになり、もう二度とかかわり合いにならないようにしようと徹底して距離を置いただろう。
だが今はごく自然に笑顔を浮かべることができる。
自分をバカにしている笑顔とそうでない笑顔の差が、わかるようになったからだろうか。
丹波口と話しながらも新谷は器用に梅小路を観察する。
教室の端の方で、男女分け隔てなく接する丹波口と違いほとんど女子のみで構成されたグループで談笑に興じている。
昨日のドラマがどうだった、俳優のあの子がいいよね、メイクどうやってる、そういったありふれた話題に丁寧に反応し、時には顔をしかめ、時には口元に手を当てて上品に笑っている。
丹波口とは正反対だ。
「ねー、梅小路」
「うみさーん」
だが会話をさえぎる野太い声が混じり、スマホを取り出して連絡先を聞いてくるたび、梅小路は顔を曇らせていた。
だがそれだけで、面と向かって断ることもできない。
シルバーの腕時計をはめた手が、強く握られた。
「ちょっと、いまうちらが話してるんよー」
「空気読めってー」
「へへ、サーセン」
そばの女子が話題をそらしたり、別の女子に関心がいくようにと対処しているが、それでもあきらめない男子が複数いた。強引で、暴力的で、空気を読まない態度。
だが彼ら全員が、在学中に彼女をゲットしてヤッたヤラないと下世話な会話に花を咲かせることになる。女子が優しい男子が好きというのは、一部の例外を除いて嘘っぱちだとよくわかる。
エロゲのセリフだが、女が上の口で言うことを決して信用してはならない。
「……」
ほとんどの女子は梅小路をかばっているが、嫌な顔をする女子も数人いる。注意しておこうと新谷は決心した。
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