第4話 関西弁ヒロイン登場

新谷は十年ぶりに大学の講義室に座り、必死に考えを巡らせていた。


 教授の講義を右から左へと聞き流しながら、これまでの情報をノートに記していく。


「今いるのは十年前、家族構成や社会的な事件などに変わった様子はない、か」

「パラレルワールドに来たわけじゃなく、これまでの時間軸をそのまま戻ってきた感じか」


 そうなると、これまで通りに過ごしていれば再びあの時代に戻れることになる。


「でもなあ……」


 同じように過ごせば就職浪人にブラック企業、専門学校への入学で勉強のやり直しだ。


 ムダが多すぎる。


 ノートを取りながらも、新谷は周囲の人間に目を配る。


大学の講義室の多くは広く、百名を収容できるほどだ。黒板の前で教授や講師が教鞭をとるのは高校と変わらない。だが黒板から遠ざかるに従って座席が高くなり、最後尾の座席になるとかなりの高低差がある。


 大学受験で必死になっていた高校生と違い、バイトや遊び疲れで最後尾の座席に突っ伏す生徒も多い。高校の教師と違って大学の教授はそれをとがめることもない。


「やっぱり、変わらないか」


 退屈な授業、大多数の話を聞かない学生にごく一部の真面目な学生。記憶に残る大学一年生と変わるところはない。


 それに、自分と同じように上の空で周囲に目を配っている学生は見当たらなかった。


 九十分の授業が終わり、新谷は所属している基礎ゼミにあてがわれている教室に入る。


「おはよー」

「おっす」 


 授業が行われていた大教室と違い、高校の教室の半分程度の広さ。加えて頻繁に挨拶が交わされて学生同士の距離が近いのを感じる。


大学では三年からゼミと言って、各人が研究したい分野の教授の元に集まって論文を書くための集まりがある。


 論文作成のルールや資料集めの仕方、ディスカッションのルールなどゼミでは独特のルールも多いため、この座命館大学では一年からは基礎ゼミという授業でゼミの基礎を学んでいく。


 ディスカッションなども盛んに行うため、高校の席と違って企業の会議室のように長方形に長机が並べられ、その周囲を取り囲むように椅子が置かれていた。


ゼミは週一しか行わない通常の授業と違い授業以外でも集まることも多いし、少人数なので対人関係も濃密になりやすい。


大学で友人を作るならサークルかバイトか、ゼミかだ。


「まあ、そのいずれでも僕はろくな友達ができなかったわけだけどね」


新谷は適当な場所に腰を下ろし、周囲を観察する。



黒髪眼鏡の、大人しそうな子が教室の端に座っている。


あか抜けないバッグを机の上に置き、初対面の人たちに話しかけることもなく視線を下に向けている。彼女をa子とする。


その向かいに位置する席には、髪を明るい茶色に染めた子。ファンデーションで顔のシミを隠し頬にチークもしているが、塗りにムラがある。


大学デビューしたのか、背伸びしたメイクがほほえましい。彼女はb子としよう。

「せっかく十年前に戻って来たんだし、彼女でも作るべきか」


 ひょっとしたら大学生活が楽しくなるかもしれないし、過去と違う行動を取ることでタイムパラドックスが起こって強制的に未来へ返されるかもしれない。


「でもなあ、あの二人はないか」


だがa子とb子の未来を新谷は知っている。a子は「この子なら俺にもいけんじゃね?」と勇気を出した地味男に、b子は手の早いイケメンに早々にいただかれるのだ。


前の時間軸ではゼミが始まってすぐに彼氏できましたとの噂でゼミが持ちきりになった。


「恋愛弱者の男女差って、エベレストくらい高い壁があるんだよなあ」


女子は黙っていても誘われるからイケメンと付き合いやすいが、男子は自分からアクションを起こす必要があるから美人とは付き合いにくい。


 もっというならオタク男子が一般女子と付き合えるのは奇跡だが、オタク女子が一般男子と付き合える機会はありふれている。


「もう彼女候補探しとるん?」


「わわっ!」


 いきなり後ろから声をかけられて、背伸びをしていた新谷は椅子ごとひっくり返りそうになった。


「なにテンパりよるんよ、ウケる~」


「いや、そんなことは……」


「恥ずかしがらんでもいいやろ。健全な証拠やし」


 そう言って、新谷に話しかけてきた女子はからからと小気味よく笑った。

 際どいネタでも気恥ずかしさを感じさせないのは一種の才能か。


「ウチは丹波口れん。あんたは?」


「新谷健司。どうぞよろしくお願いします」


 新谷は立ち上がって柔和な笑顔を作り、軽く頭を下げた。初対面の患者さんに挨拶する時のように、威圧感を与えないように。


「あ、ああ。よろしく。ってか同級生なのに敬語はおかしいやろ。タメ語でいいわ、タメ語で」


「そうだね」


 新谷の隣に座った丹波口は、それからも会話を続けていく。


「ウチは高校時代ではチアリーディングしとって、これでも結構人気やったんよ?」

「チアりーてぃんぐか…… うちの高校にはなかったな」

「まあ、確かに珍しいやろうね」


「いやいや、うちは男子校だからなくて当然だよ」

 それを聞いた緑川は大爆笑した。派手に噴出したため、教室中の視線が二人に集中したほどだ。


「あんさん、マジでおもろいな。連絡先交換せえへん?」


ショートの髪に人懐っこい笑顔でスマホを差し出してくる。


基礎ゼミ全員の顔と名前を覚えることなく一年を終えた新谷だが、彼女のことは記憶に残っている。


「うん。いいけど」


 スマホの連絡先に彼女の名前が登録されたのを見て、新谷は気味悪さに近い違和感を覚えた。

 こんなイベントは、前の時間軸にはない。



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