第16話
アンは体調が良くなり、枕上げをしていた。
兄たちからは毎日のように花や果物、菓子などが届けられている。皇太子殿下からも手紙や花束が届いていた。
侍女たちも懸命に看病をしてくれたのでそれもあり、一週間もすると体もすっかり良くなっていた。そして今日になり、医師からも通常の生活に戻ってよいとお達しが出たので側妃としての役目を再開する事にしたのであった。
「…御方様。お元気になられてようございました。倒れられた時はどうなるかと冷や冷やものでしたけど」
シンシアがアンに声をかけてくる。
「本当ね。周りの方々には心配をかけさせてしまったわ。父上や母上からもお見舞いの手紙をいただいたし」
「ええ。大公陛下からもお見舞いと称して花束が届けられましたね」
シンシアが頷くとアンはため息をついた。
「そうだったわ。大公陛下や妃殿下、皇太子殿下方からもお見舞いをいただいたわね。お礼の手紙を皆様に出さないと」
「忙しくなりそうですね。無理はなさらないでください」
「…わかったわ。皆様にお手紙を書くだけに留めます」
アンが了承するとシンシアはほうと息をつく。
主人が無理をしやしないかと内心、気が気ではなかった。アンは良家の令嬢らしくないひたむきな所がある。
自身を一つの駒としてしか考えてない面もあり、心配ではあった。後宮に入り、今では穏やかになったが。
最初の頃は思い詰めた表情をしていたものだった。それを見てあまりに自分の考えていた令嬢とは違っていて驚いた。
「…御方様。こちらに来られて二週間が経ちました。夜伽は皇太子殿下から、免除するように言われていましたの。ただ、後宮にいてくれればよいと」
「それは本当なの?」
「ええ。そうです。殿下はそう仰せでした。他の側妃方も手をつけられていない状況なのです」
アンは驚きのあまり、シンシアの言葉を疑った。まさか、皇太子が側妃たちに手を出していないとは。
だから、焦って自分を貶めようとしたのかとアンは考えた。他の妃たちはそれだけ、身分が高くまだ若いメアリアン・シンフォードを恐れていたのだ。彼女が新しく入れば、自分たちの地位が危うくなると思ったのかもしれない。
「…そうだったのね。意外だわ」
他に言葉が出てこなかった。手をつけられないまま、何年もの月日を過ごしてきた妃たちは実家から催促を受けたり、周囲から冷たい目で見られたりしていたのかもしれないが。
それでも、人を傷つけたりするのはやってはいけないことだ。欲に目がくらんでしまい、やってしまったのは取り消せない事実ではある。
アンが倒れてしまったのは妃たちの嫌がらせも関わっているだろう。
そこまで考えてアンはため息をまたついた。
シンシアはそれを心配そうに見つめていた。
アンはさらに翌日、読書をして過ごしていた。誰も部屋に入らせずに一人でくつろいでいた。お茶会や夜会もないため、のんびりとできている。
続き部屋などには侍女たちが控えているが。
女官のシンシアも今日は休暇を出して、実家に帰っていた。
(…ふう。久方ぶりだわ、こんなに静かなのは。シンシアはいないし)
実家のシンフォード公爵家ではいつもこんな風であった。たまに、父や兄たち、妹たちと話したりするくらいがせいぜいで人とのつき合いは極力避けていた。
外見のせいもあるが自分の両親までひどく言われるのが嫌だった。だから、屋敷の中に閉じこもることが多く、アンは対人恐怖症になってしまっていた。
表向きは体が弱くて人見知りをするからという事になっていたが。実際は違っていた。
兄たちや妹たちにも大いに負担をかけて申し訳なく思っていた時期もあった。今となっては良い思い出になっている。
良い思い出というと、言い方は悪いが。アンはそれほど、気にしていない。
一人だけにしてほしいといったのはある意味では正解だったかもしれない。
いろいろと考える時間ができてよかったと思う。侍女たちがいたら、落ち着かなかっただろうことは予想ができた。
アンは窓の向こうの空を眺めながら、大きく伸びをした。サミュエル皇太子のことは後回しにして今は休もうと決めたのであった。
アンは翌日、見舞いの品や訪れてきてくれた人々にお礼の手紙を書くのに忙しくしていた。横にはシンシア達がインクや便箋などをいつでも用意できるように控えている。
大公陛下や妃殿下、皇太子殿下に実家にいる家族たちに一通ずつ書いては侍女たちに封蝋をしてもらっていた。それらを終えるまでに夕刻近くまでかかった。
大きく息をつくと、机に突っ伏した。
「ああ、腕が痛いわ。今日だけで十通近くも送ったから。皆もありがとう。大変だったでしょう」
アンがそう言うと侍女のカトリーヌが首を横に振る。
「お疲れ様です。大変でしたわね。後は妃殿下のお茶会が残るのみです。もう一息です」
他のイザベルにゾフイー、シエリーも控えている。彼女らもほっとした顔をしている。
「メアリアン様にお仕えしてもう、一月が過ぎようとしていますわね。早いものです」
イザベルが言えば、そうですねとゾフイーも同意する。シエリーはため息をつくとこう言った。
「皇太子殿下がメアリアン様を側妃として迎えられるとは思いませんでしたわ。お断わりになるとばかり、周囲はそう思っていたのです。殿下ご自身、嫌がっておられましたから」
それを聞いてアンは驚きのあまり、シエリーを凝視してしまう。まさか、そんな事があったとは思いもしなかった。
「…本当なの? 」
「…あら、御存知ではなかったのですか?」
皆、黙りこんでしまう。気まずさが部屋に漂う。
「…実を言いますと、シンフオード公爵家から妃を迎えられますと他の側妃方が納得しないと。皇太子殿下はそのように常からおっしゃっていました。面倒ごとには違いないから、迎える事はないだろうとの事でした」
シエリーが気まずそうに言った。だが、アンはそれくらいは予想の範囲内だったのでふうんとうなったくらいであった。
「そうだったの。歓迎はされていないなと思っていたけど。でも、どうしてシエリーがそんな事を知っているの?」
「…わたしはもともと、殿下付きでしたので。今年で二十二歳になりますけど。十歳の時からお仕えしていますから。殿下とは付き合いが長いのです。ですから、本音的な事をわたしの前でおっしゃっている時がありますね」
「へえ。シエリーは元は殿下付きの侍女だったのね。じゃあ、カトリーヌやイザベル、ゾフィーはどうなのかしら。それを教えて」
アンが尋ねるとそれまで後ろに控えていたシンシアが前に出てきた。
「そういうことでしたら、わたくしにお任せくださいませ。ちなみに、カトリーヌとイザベルは大公妃殿下のレイシエル様付きでして。ゾフィーはリナリア公女殿下付きだったのです。メアリアン様が後宮に入られた時に妃殿下が引き抜きという形でお選びになったのがこの四人になります」
すらすらと言うシンシアに圧倒されながらもアンは頷いた。なるほどと言いながらも頭をひねって四人の仕えていた主を思い出していた。
大公妃殿下は金の髪に緑色の瞳のすらりとした美人でとても、五十近いお年には見えない。
リナリア公女殿下も金の髪に緑色の瞳で母の妃殿下の若かりし頃にそっくりらしいのだ。だが、なかなかの冷静でしたたかな方だった。
油断ならないといえばいいのだろうか。アンは皇太子の青い瞳を思い出した。
同じ兄弟でありながらもあまり、お二人は似ていない。そこまで、考えてアンは立ち上がった。
「私、これからリナリア様に会いに行くわ。訪れても良いかどうか今から、お伺いしてきて」
「今からですか?」
「そう、今からよ!急いで」
ゾフィーが小走り気味でアンの居室を出て行った。
アンは他の侍女達に命じて身仕度を始めたのであった。
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