第15話

 朝食を終えて、サミュエルはアンの居室に殺気だってやってきた側近の者たちに嫌味を言われながら、自身の宮に戻っていった。


 それを見送りながら、アンは医師が処方した薬を飲んだ。

 苦みを我慢しながら、食後にと用意された粉薬を飲み下した。

 それが終わると大事をとって、また寝室に行く。

 カトリーヌとシェリーだけが残り、イザベルとゾフィーは退出していった。

 洗濯をするためらしい。

 実はアンの使った衣類などはイザベルとゾフィーが手分けして洗っているらしい。

 そんなことをシェリーが教えてくれた。アンは意外に思いながら、恋愛小説に目を通したのであった。



「…御方様。あの、お客様がいらしています」

 カトリーヌが寝室の扉を軽く叩いてから、そう知らせてきた。

 目を通していた恋愛小説を読むのは中断してアンは顔を上げる。

「お客様が?」

「はい。兄君のエドワード子爵とジェイミー様がおいでになっています」

 二人の名前を聞いてアンはまた驚いた。

「…兄様たちが。でも、後宮によく入れたわね」

「皇太子殿下が許可を出されたそうで。門番に許可証を見せたとおっしゃっていました」

 それでいいのかとアンは頭を抱えたくなる。

 だが、居間に行こうとアンが立ち上がろうとした時だった。

「…別に兄弟だからいいだろう。メアリアン、いるか?」

 ずかずかと乗り込んできたのはよく見知った兄たちの姿だった。

「あ。おやめください。御方様はまだ、お休み中で…!」

 シェリーの慌てる声が耳に入る。

 まず、視界に入ってきたのは長兄のエドワードだった。

 次兄のジェイミーも後に続く。

「アン!久方ぶりだな」

 さわやかに声をかけてきたのはジェイミーだ。

 呆気にとられて返事ができなかった。

 エドワードも近くにやってきて、アンのいる寝台にまでやってきた。


 二人の兄の姿を見て、アンは驚きを隠せなかった。

「…エド兄様。ジェイ兄様。私の年を考えてよ。幼い子供ではないんだから」

 難しい顔をして言ったが二人ともどこ吹く風だ。

「別にいいじゃないか。そこまで細かい事を言わなくても」

 ジェイミーが答えると同感だとばかりにエドワードも頷く。

「ジェイの言う通りだ。お前が邸からいなくなってから、リサやエミリアがどれだけ心配してたか。父上や母上も大丈夫だろうかとしきりと口にしていたし」

「まだ、邸を出て三日しか経っていないわ。みんな、心配し過ぎよ」

「そんなことはないぞ。お前が白百合の君、アリシア殿だったか。あの方に殴られたと皇太子殿下から聞いたから、慌てて来たんだ」

 エドワードの話を聞いてなるほどとアンは納得する。

 道理で二人が知っていたのか。

 サミュエルが伝えていたからこそ、兄たちは早くに駆けつけることができたのだ。

 大きなお世話だと思ったが。

「そう。まあ、兄様たちに心配をかけてしまったことについては謝るけど。いきなり、部屋に上がり込むのはやめてもらいたいわ」

「アン。小さい頃はよく一緒のベッドで寝ていたじゃないか。冷たい事は言わないでくれ」

「…エド兄様。何年前の話よ。私がまだ五歳か六歳の頃のことじゃない」

 ため息をつきながら、アンは言い返した。

 兄たちにとっては自分はまだまだ子供に見えるらしい。

「メアリアン。早めに体調を整えておけよ。でないと、殿下に失礼だからな」

 ジェイミーが笑いながら、意味深な事を言ってくる。

 アンは意味がわかり、顔を赤らめた。

「…ジェイ兄様。いい加減にしてくれない?」

「何でだ」

「何でじゃないわよ。妹だからって言っていい事と悪いことがあるのわからないの?!」

 アンは顔を上げて反論した。

 すると、エドワードが呆れながらジェイミーの肩を掴んだ。

「ジェイ。それは言い過ぎだ。アンは昨日に倒れたばかりなんだから。少しはいたわってあげないと」

「わかってるよ。アン、悪かった」

 ジェイミーが謝るとアンは首を横に振って、いいと言う。

 日が差し込み、兄二人とアンを照らした。



 あれから、半日が経った。アンの体調は快方に向かっている。それでも、まだ部屋から出てはいけないと周囲から止められていた。

 午後になってから、サミュエル皇太子から黄色の薔薇が贈られた。アンの瞳と似たような色の美しい薔薇である。

 これには、侍女のカトリーヌたちが驚きながらも喜んでいた。

「…御方様。とても綺麗な薔薇ですね。皇太子殿下もなかなか気の利いた贈り物をなさいます」

 カトリーヌがそうほめれば、イザベルやゾフィー、シェリーも賛同する。

「そうね。けど、私、黄色い薔薇を贈られたのは初めてなの。兄様や父上たちからは桃色とか白の薔薇を贈られた事はあるけど」

「まあ、そうなのですか。御方様は黄色の薔薇を贈られた事がないのですね」

 イザベルがへえと頷きながら言ってくる。アンはそれにこう答えた。

「ええ。確か、男性から花を贈る時とかは色によって意味が変わるのよね。確か、赤や紫は求婚の証になるし。桃色や白は親愛の証で黄色は…」

「赤と似たような意味ですけど。黄色は恋の呼びかけになりますね」

 そう、カトリーヌが言い添えてくれる。他の侍女たちも頷いた。

「うらやましいですね。皇太子殿下から恋の呼びかけをしていただけるなんて」

 ゾフィーが言うとシェリーも負けじとばかりにいう。

「そうです。御方様が正妃になられたらいいのに。そうすれば、国も安泰になります!」

「…シェリー、大げさすぎるわ。私が正妃になるだなんて夢のまた夢みたいな話よ」

 注意したがシェリーはいいえと首を横に振る。アンはため息をつきながら、仕方ないとあきらめた。

「いい?みんな、私が正妃になるとか外では言わないでちょうだい」

「…わかりました」

 シェリーとゾフィーは神妙な顔になってうなだれた。カトリーヌやイザベルも頷いたのであった。



 そして、アンが倒れてから一週間が過ぎた。すでに、床離れはしていたが部屋から出られない日々になっていた。

 サミュエルからの命でアンの身辺護衛を強化するために騎士や衛兵の数が増えたのと真夏に近くなりつつあったからである。

 暑い季節になっているため、アンは昼間も外に出ず、西の宮の部屋で一日のほとんどを過ごしていた。

 その間にスルガ国からは再三、リナリア公女を招待したいと申請があったが。それらをことごとく皇太子と大公は断っていたらしい。

 王の下心と目的をわかっている以上、公女を行かせる事はできないというのが大公の言い分だ。そして、他の妾妃たちの処遇についても問題はある。大公は皇太子に、いい加減に正妃を決めて妾妃たちを実家に帰すなり、臣下に嫁がせる事も考えろと叱責したそうだ。

 これらの情報をシンシアから聞いてアンは複雑になる。自分が寝込んでいた間にも物事は進んでいるのだと実感させられた。

 そんなある日、またサミュエルから贈り物が届く。今回も薔薇の花である。だが、色は薄い桃色だった。

 この間の黄色の薔薇はドライフラワーにして小さな布袋に入れてポプリにしている。ちなみに、ポプリを作ってくれたのはシェリーであった。

「…また、薔薇が届きましたね。殿下は御方様が薔薇が好きだと思われているのでしょうか?」

 花瓶に生けてある薄桃色の薔薇を眺めながら、カトリーヌが問いかけた。アンは苦笑いしながら、そうねと返事をする。

「…嫌いではないけど。どちらかというと、ダリアの花が好きかしら。後はカーネーションとかもいいと思うわね」

「全然、アン様の好みをわかっておられませんね。むしろ、殿下がお好きだからお贈りになっているような気がします」

 カトリーヌはため息をついた。女心をわかっていないと言いたいらしい。

「まあまあ、カトリーヌ。殿下にあまり、失礼な事を言っては駄目よ。でも、私も言おうかしら」

「何をでございますか?」

「…本当に好きな花の名前よ。薔薇も好きだけど。その、とげがあるでしょう。だから、指を怪我したことがあって」

 アンがぽつぽつというとカトリーヌはそうなのですかとつぶやいた。

「兄様たちはそれがあってから、薔薇を贈る時にはとげを抜いてからにしているそうよ。だから、ダリアの花が好きだと今度お会いできたら言っておくわ」

「その方がよろしいでしょうね」

 カトリーヌの言葉にアンも頷いたのであった。



 サミュエルがアンの元を訪れたのは翌日の事であった。カトリーヌたちは居間にある続き部屋にて待機している。

 寝室で読書をしていたアンだったがサミュエルを出迎えるために応接間に行こうとしたが。サミュエルはそれを断り、寝室にまで入ってきた。

 そして、二人きりで椅子にサミュエルが座り、アンは寝台の端に座って話をしていた。

「…メアリアン。その後、体調はどうだ?」

「ご心配をおかけしてすみません。私だったらもう大丈夫です」

「そうか。最近は暑くなってきたからな。暑気あたりには気をつけてほしい。母の大公妃も暑さのせいで体調を崩されていて。君にも注意はしておかなければと思っていたんだ」

 サミュエルの真剣な顔にアンは驚いた。何で、そこまで心配するのだろう。

 私は妾妃の一人にすぎないのに。

 不思議に思っているとサミュエルの青い瞳と視線が合う。アンは食い入るように見つめた。

 サミュエルは何を思ったか、アンの額に手を伸ばした。そして、自分の額にも同じようにしてくる。一瞬、何をされたのかわからなかった。

「…うん。熱はないな」

 そうつぶやかれて呆気に取られる。意外にひんやりとしたサミュエルの硬い手の感触に知らず知らずの間に心臓が跳ね上がりそうになった。どうやら、熱がないか確かめていたらしい。それに気づいた時にはサミュエルの手は離れていた。

 物足りなさを感じながらもアンはうつむいた。

「す、すみません。殿下」

「いや、かまわない。思ったよりも元気そうだし。よかったよ」

 サミュエルはそういいながら穏やかに笑う。アンは顔が熱くなるのをこらえながら、サミュエルと会話を続けた。

 ゆっくりと日は暮れていった。



 夕方になり、サミュエルは自室に帰って行った。それを見送りながら、アンは寝台に突っ伏した。

 後宮に来てから、早十日が経った。その間にめまぐるしく物事が起きた。

 やっと、ゆっくりできると思ったら、殿下の問題が浮上してアンは頭が痛くなりそうである。

 リナリアの事柄も放ってはおけない。気を引き締めなければと考えながら、侍女を呼んだ。

 すぐに、シンシアやシェリーが駆けつける。

「何でしょうか、御方様?」

「…皇太子殿下に薔薇のお礼を用意したいの。後、手紙も添えるからそこの辺りをお願い」

「わかりました」

 いそいそとシェリーとシンシアは準備を始めだした。アンは寝台から立ち上がると手紙に書く文章の内容を考える。

(どんな感じにしようかしら。お花のお礼としてはそうね。薔薇の刺繍が入ったハンカチーフにしようかしら)

 寝室を歩き回りながら、贈り物を決めた。

 そうする間にシンシアが声をかけてきた。

「御方様。お手紙の用意ができましたよ」

「わかった。今から書くわ」

 そうなさってくださいと言われながら、書斎に向かう。扉を開けて寝室を出るとすでに日は落ちていた。

 蝋燭が灯されていてアンはその中を静かに歩いた。そして、書斎に繋がる扉を開けた。

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