第19話


 アンナプールナーの心はずっと昔には壊れてしまっていた。遠い昔のあの時に。


 自分が愛してやまない存在が囚われ、奪われてしまう様を目の前で見た彼女は壊れた。


 人間に憐れみと愛情を尽くし、無償で守っていれば国の人間は全て彼女を崇拝した。


 彼女は人間が好きだった。


 父と思って慕っていたウィルも。


 でも、一番に愛していたのは自分を生み出してくれた母であるコゼット。彼女の絶対で憧れ、強く美しく絶対的な存在だった。


 コゼットは自分のためでしか魔法は使わない。

家族を守るのも、人間を救うのも、寂しくならないように、悲しまないように。コゼットの意思が絶対で、他の意思は無視される。生かすのも殺すのもコゼット次第で、自由だった。


 そんなコゼットが、誰かの為に魔法を使い、自己犠牲をするコゼットを見ることなど無いと思っていたのに。あの瞬間、コゼットは全てを捨て、人間のウィルを選んだ。


 何故?コゼットはウィルを殺してでも自分の自由を求めなかったのだろうか。


 首に枷まで嵌めて、彼のために家族を人間に差し出したのだろうか。


 理解できず、その場を逃げることも抵抗することもできずに自分の首に嵌められた枷を黙って受け入れた。首の枷は、物質的には軽い物なのに、嵌められた屈辱でとても重く感じた。


 最初に枷を嵌められたコゼットは、ウィルを救えたことを安堵した表情で彼を静かに見つめ、強く拳を握りしめていた。だか、握りしめた掌からは血が垂れ落ちていた。


 そんなコゼットに、彼女は失望し絶望した。


 絶対的に強かったコゼットを失い、失意の彼女をどん底に落としめる声が聞こえる。愛してやまなかった父が放った自分たちに対しての罵倒だ。


 コゼットの自由を奪ったのは、子供である彼女の罪であると彼は強く彼女たち姉妹に言い放ち、一度も振り返ることもなく去って行ってしまった。

 何時も笑っている顔しかみたことのないような優しい父だと慕っていた人だった。


 去っていくウィルに、コゼットは何も言わず、見送ったまま、無言で姉妹、最後の一人に枷が嵌るまで留まっていたが、全てが終わると突然、消えてしまっていた。


 人間たちは、姉妹たちを分断させると、勝手に法律を作り魔法を弾圧した。


 彼女は創った国に戻り、魔法の弾圧から血筋を守るため自らを犠牲にした。


 何十年も彼女は人間を救い、人間を守り、同族を増やし続けた。


 彼女の国の半数は魔女と人間の混合種が多く、そのために魔法に恐れぬ人間が多く、魔法の理解もあり信仰も廃れることが無かったが、彼女は満たされなかった。


 裏切られた事実は忘れることが出来ない。姉妹が人間に奪われていくのを何もせずに、ずっと耐えて生きていた。


 予知の力で、救うことだって出来たのに。


 自分の死を待つだけの日々を送る。しかし、ひとつだけ願いを叶えて死にたかった。願いは、コゼットをウィルの呪縛から解き放つこと。憧れだった母に戻って欲しいと。死ぬことが分かっていて国の人間も巻き込んで同族を殺すことになっても、その願いを叶えるために心を捨てた。


 願いを見届けた彼女は安堵し、自分が殺される場所まで、コゼットと向かった。死ぬことは怖くなかった。それよりも解放され自由になれることに喜びを感じていた。

 彼女はもう、この世には存在出来ていない。


 予知通りに滅んだ彼女は、真名を告げられ魔力が切れ、地上に叩きつけられる寸前、隣にいた愛する母親にさよならと告げた。それは一瞬で、きっと彼女には気づいてもらえてなくて、彼女が落ちるまで彼女の顔は絶望に歪んだままだった。


 そんな顔をさせたくなかったのに。どうせなら笑って欲しかった。


 地面に落ちたあとは、体が動かず、頭上でのやりとりを古い映画のような色のない映像で見ていた。音もない世界で、銃を向けられ放たれた銃弾を受けた瞬間、彼女は笑った。ようやく、自由になれるのだと心の底から安堵した表情で逝った。だから、これから起こる同族たちの悲劇を彼女が視ることはない。


**

 新ボリビア


 慈郎とハジメは研究施設地下にいた。

施設内の寒さとセキュリティの凄さにハジメは泣きごとを言いつつも進み、2人はアカリが送ってきた最後の通信で入手したマップを頼りに大魔女を探していた。


「なぁ、俺ら確実に凍え死ぬな」


「いや、ハジメは魔法で温度調整できるだろう」


「なんか、ここ来てから調子悪いぞ俺」


 なにやら結界が張られているのか、地下に降りた途端にハジメの様子がおかしい。眠そうに動きも鈍く、まるで生気を吸われているかの様に地下に潜るほど体調も悪くなっている。空調も温度が低く、まるで雪国のように寒い。


 一刻も早く施設から出ねばならない。アカリの連絡は半日も前から途切れている。あの優秀なアカリが連絡もなしでいる状況は極めて不味い。


 ハジメはとうとう話す力も無くなってきたのか、座り込むとうずくまり、自分を守るかのように丸まって疼くまってしまった。普通の人間であれば死んでしまうだろうが、ハジメは魔法使いなので簡単には死なない。むしろ自分を寒さから守るために魔法をかけ続け、力が弱まっていたところに術がかけられた地下室。最悪な状況である。


 助けは来ないのかもしれない。


 だが、任務はエリヴィラの研究施設の偵察と実験の産物を目視すること。魔女の姿は未だ見つけることすらできず、体力だけが削がれていく。ハジメの魔力も吸われ続け限界が近い。


「八方塞がりだな」


 慈郎はハジメを自分に引き寄せて抱きしめる。少しでも熱を与えるために。遠のく意識の中で幼い頃の自分らを思い出した。寒く閉鎖的な部屋で五歳になるまで二人は外の世界を知らなかった。父親は知らない。母親は何時も無言で二人の食事だけ与えると、家から出て働きに出ていた。

2人が逃げぬように中から開かない鍵もかけて。


 母親の笑った顔を見たことは無かった。

毎日、悲しげに二人を見つめ、会話をする事は無かった。二人は五歳になるまで言葉すら知らなかった。テレビも無く、何も無い部屋で二人で寄り添って生きていた。


 五歳の時、ハジメが高熱で倒れた。

慈郎は必死に母親に助けを求めた。言葉も扱えず、態度で震えながら母親の腕を掴みハジメが苦しんでいることを訴えた。ハジメが青い炎を燃やして苦しんでいる様を見た母親は嬉しそうに笑った。

慈郎は母親の笑顔を初めて見た。歪んで涙を流しながら、母親は慌ててどこかに連絡を取った。


 苦しむハジメを抱き寄せて、慈郎は願った。助けて、炎を消してと。


 数分後、知らない大人が数人部屋に入ってきて母親と話をしてハジメを抱き抱え連れて行こうとした。慈郎はハジメが連れて行かれることに何故か恐怖を感じて、話せない声で訴えた。一緒に連れて行けと。その様子を見ていた一人が母親に「こいつもか?」と尋ねた。母親は無言で首を縦に振った。


「…なら、お前もだ。」


 そう言われて、慈郎は知らない大人に手を引かれ、ハジメと一緒に生まれて初めて部屋を出た。

慈郎は母親も一緒についてくるものだと思っていたが、彼女は部屋から出てくることもしない。部屋で大人から初めて見る紙を大量に受け取ると、それを抱きしめ涙を流している。自分たちより紙を大切そうに抱きしめる母親の姿は幸せそうで、意味もわからず涙が出た。部屋の扉が閉まる瞬間に、綺麗な優しい声色で「さようなら」と聞こえた。そのときは意味は理解できなかった。これが彼が母親を見た最後の光景だ。


 その後2人は教育を受け、ハジメは魔法使いとして、魔法が幾ら経っても開花しない慈郎は人間として特殊工作員に。いくつもの組織を渡り二人っきりで数十年を必死に生きた。


 慈郎の胸の端末が微かに震えた。その震えを感じて笑みが出る。大罪の大魔女に着いている首輪を感知する信号音。


 待っててな。


 慈郎はハジメに自分の上着を被せて、近くにいるであろう魔女の姿を探すと、施設の奥で明かりが灯っている部屋を見つけた。音は微かだが、機械音もする。悟られぬように、静かにゆっくりと明かりを目指して進むと。


 見つけた!


 エリヴィラの姿を。彼女は慈郎に気づかず、何かを大切そうに抱きしめて部屋を歩いていた。


 何だ?


 白い毛布のようなものに包まれた何か。あのくらいの大きさのものといえば、猫?犬?それとも…


 それは、すぐに何か分かった。それはエリヴィラの腕の中で暴れ、包んでいたものが彼女の腕から少しズレ落ちた瞬間、赤ん坊。生まれてすぐ程の未熟児が見えた。瞳の色はグリーン。赤ん坊は泣きもせず慈郎を見た。嫌な予感がした。


 慈郎は直ぐに部屋を出て、ハジメを起こす。


「起きて、対象を確認した帰ろう」


 ハジメは魔法陣を作るために残していた力を使う。慈郎は周りを確認して発動を待ってハジメを抱える。その時、魔女と赤ん坊が目の前に現れた。

慈郎は驚いた。音もなく、魔法陣さえ無い状態で魔女は現れたのだ。


「母に伝えて、話がしたいと」


 彼女がそう話すと、魔法陣が発動され兄弟はその場から消えた。慈郎は見慣れた屋敷の庭で目が覚めて、隣に倒れ力尽きて眠っているハジメの呼吸音をまずは確かめて安堵した。


「生きてる」


 ハジメの呼吸音を聴きながら目を閉じて、彼も力尽きてそのまま意識を失った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る