第16話

 南塔 2階 会議室


 敵の襲来を突然受けたアンナプールナーとコゼットは、ひとまず東塔にいる王家の人間に害が及ばぬように、南塔へと向かった。


 一階ではアカリたちがWINのメンバーを迎え撃つ作戦を遂行中だ。


 ハルカが無事なのは遠く離れていても気配で分かるので、城の外へと出しておいて良かったと安堵したが、やはりハルカの性格を考えると、こちらの心配を無視して彼女は既に城へと戻ってきているようだった。


 アカリたちが敵の数を減らしているとはいえ、それでもまだ力のある魔法使いの気配が城のあちこちからする。


 すぐにでも迎えに行きたいのだが、アンナをアカリに任せるのは良いとしても、日本の戦力である者たちを無駄死にさせてはユミとハルカを悲しませてしまうだろうと、彼女は動けずにいた。


 思い通りに動けない状況に苛立ちはするのだが、原因はそれだけではない。敵を確認し、目的がアンナだと分かった時、本人が嘆くであろうと思っていたのに、アンナは自分が殺されるというのに落ち着いた様子で窓際に腰掛け、コゼットを美しい紅い瞳で見つめ、微笑みすら浮かべていた。


アンナの平穏さにも戸惑ってしまっていた。


 「コゼット、ここでしばらく待っていて。私が少し様子を見てくるわ。」アンナが立ち上がり、優雅に歩き出す。


 「アンナ!」コゼットが慌てて追いかけようとするが、アンナは手を上げて制止する。


 「心配しないで、コゼット。私には計画があるの。」アンナは穏やかな声で言った。


 「準備はいいかしら、コゼット?」アンナが微笑みながら問いかけた。


 「…分かった。」コゼットは疑念が消えぬまま力強く答え、アンナの隣に立つ。


「杏もこんな落ち着いていれた?」


「自分が死ぬのが分かっているのにか?」


 コゼットは苛立ちを隠せない表情で、穏やかに笑っているアンナを睨み付けた。怒られる原因は分かってはいるが、自分の夢見が外れたことは一度もない。どう足掻いたとしても、自分は今日死ぬのだ。それならば残った時間を大切な人たちに使いたい。例えそれを本人が望んでいなくても、少しでも、残してやれるのなら。


「母様は人間から魔女になって、どうだったの?」


「絶望じゃったな。」


「でも、父様に出会えたのは?」


「幸運であったな。あやつは違うじゃろうが、人間として穏やかに生きたかったろうに……」


 コゼットは本当に悲しそうな表情を浮かべている。彼女にとってウィルは大切な存在であって、幸せな思い出のひとつでもある。ウィルは人間として、人生を全うし、最期を迎えた。

残された者たちは、彼の意思を継ぐかのように、大罪の大魔女と呼ばれる自分たち姉妹をコゼットから排除しようと暗躍するようになった。


 欲望に忠実だった姉妹から、殺されていき、残ったのは三人だけ。そして、自分も死ぬ。

自分で造った国と家族、残った人々で、きっと国を繁栄させることだろう。今回のことで自分がいなくなり影響を与える存在がいなくなることで魔法は廃れていくだろうが、大丈夫、強く幸せに暮らせていくはずだ。


 心配なのはむしろ残った姉妹と母親。


「コゼット、私が死んだ後も、あなたは強く生きていけるわ。」アンナは優しく微笑んだ。

「姉妹たちのことも、あなたが見守ってくれる。そう信じている。」


 コゼットは涙をこらえ、強くうなずいた。

「じゃが、アンナ、妾はお主を失いたくないっ。」


「それは皆同じよ。でも、私たちにはそれぞれの運命がある。私の役目はここまで。あなたは未来を見据えて、強く進んでほしい。」


 あの事実をコゼットが気づけば、落胆し下手をすれば自分の娘を手にかける恐れもある。そんなことだけは絶対に阻止しなければ、悪魔に近しい存在にでも堕ちてしまう。娘を自身の手で殺すことは彼女にとって、それほど負担が大きいのだ。


 アンナは窓から見える火が上がっている町並みを悲しそうに眺めながら、コゼットに伝えるため彼女に近づいた。


「エリザと早急に話をしてください。」


「でも、あの子は地下に籠って20年以上は姿をみておらんが。」


「エリザは……。このままでは大罪を犯してしまうでしょう。」


 アンナの言葉に驚くコゼット。エリザ、エリヴィラは姉妹の中では大人しい性格だが、優しく、誰かを傷つけてまで己の欲望を満たすような子ではなかった。そんな子が母親を裏切ってまでやろうとすることに嫌な予感がした。


「何を作ったのじゃ?」


 エリザは魔法の知識が高く、すぐに魔法の限界を感じた彼女は補うように人間の科学を学んだ。

知識欲だけは人一倍に強かったので、今では誰にも負けないほどの科学知識を持っている。

無論、知識と聞けばなんでもの彼女は生物、物理、名のつく知識をこの何百年という年月で学んだのだ。


 学び、自身の仮説を立証する。その繰り返しを永遠と繰り返す日々。今に思えば、この異常なほどの欲は彼女の性格上あり得ない。立証するためには人体実験など非道なことも行っていたと聞いたこともある。


 誰にでも優しい子が目的がなければ出来ない行為であろうことも気付けたはず。彼女は何を望んで知識を蓄えたのだ?理由が分からない。


 アンナは動揺するコゼットを静かに見つめて、残酷な言葉を告げた。


「父様を復元させたの。」


 ヒュッと息が詰まるとコゼットはその場に崩れ落ち、顔は青ざめていた。


「ふざけるなっ。ウィルは死んだのじゃ、魂はこの世には存在せん!」


「あの子は、父様の遺体を掘り起こし、ずっと研究を繰り返していた。」


「それから作ったとしても、それはウィルではないただの傀儡じゃぞっ!」


「ええ、私たちは、あの子は父様が私たちを恨んで死んだと思い込んでた。それで心を病んで地下に籠ってしまったと。だからこそ、生きる糧になるのならと研究を続けさせていたのに…」


「まさか、魂の召喚は出来ぬ。」


 あり得ない。魂は死んだら還る。

それは神、悪魔、天使だろうが、この世に召喚など出来ない。存在しないものは作れないはずだ。

コゼットは震えながら言葉を続けた。


「エリザがそれを成し遂げたとすれば……何を代償にしたのじゃ?」


「アレは未だに魂の無い傀儡のはずです。」


 コゼットの目に絶望の色が浮かんだ。

「そんなこと、許されるはずがない。」


「方法は分からない。今、日本のエージェントに確かめてもらっています」


「ああ、そういえば藤堂兄弟の姿を城に着いてから感じることは無かった」


「ハルカの護衛についたのはヨウスケじゃったな」


「ユミは何と?」


「エリザが作り出したものを見極めて、争いの種になりえるなら…」


「母様の代わりに彼女を殺すと約束してくれました」


 ウィルは娘たち全てに愛されていた。魂は無くとも彼の傀儡はきっと本人にそっくりなのだろう。

彼との約束で魂もあり、仮にも生きているのなら殺して終わらせてあげることが出来ない。もし、破ることがあれば、それは、自ら堕ちて今度こそ感情もない化け物へと変わるような予感が彼女にはあったが。「妾がやる」覚悟を決めた。


「駄目です。母様が堕ちるなど絶対にさせません」


「何故じゃっ!主たちはいいのか」


 コゼットの愛らしい瞳からは、ボロボロ涙が湧き水のように流れる。怒っているのか、悲しんでいるのか、曖昧な表情で感情が定まらない。


 愛する人間、愛する娘たち。誰もが自分を大切に一番に想ってくれる。自らを犠牲にしてまで。もう、限界を迎えそうだ。心が愛するものを失うごとに壊れて、感じなくなっていた。


 だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ、だめだ。


 大切な人の命に干渉してしまっては、また昔の自分に戻ってしまう。死を迎えていく者たちを、自分が残され寂しいからという理由だけで少しでも延命させるために魔法を使い続けた自分を、悪魔だと罵り、泣いていた彼は、快楽のまま生を奪う、その繰り返しだった我が儘な魔女を、自らの人生を投げ出し救ってくれた。


「ウィルの約束を庇護するのは妾の罪じゃっ」


「自分勝手に、生を与え奪う悪魔に近しい魔女だった妾。あやつは死ぬ間際まで妾を想い、心が弱い妾のために、自らが堕ち、愛していた娘たちを裏切ったのじゃ。子孫たちまで巻き込んで」


 魔女になり人間らしさを忘れ、悪魔になることを恐れ、人間だった自分にしがみつき、誰かを愛することで保っていた心を。愛してくれることで救ってくれた。


「そんなことを、させてしまった妾は償っていくしかなかろ!娘を奪われる度に懺悔し、自分勝手に力を使い、誰かの人生を無駄にしてしまった妾自身を恨むしかないっ」


アンナは「うぐっ、うぐっ」とコゼットは止まらない涙を手のひらで押さえつけ受けとめ続ける。


「父様は、言ったんですよ。自分と私たちは貴女の枷。そのために、人間に利用され自由を奪われることが悔しいと」


「そんな……ひぐっ。ないっ。だって命に関わるなって、もう、他人を不幸にするなって意味だとっつ。そう思って」


 心を殺し続けたのに。誰かを守って、他人を傷つけ、心が壊れて堕ちていくことを家族全員で防いでくれていた。優しさで窒息しそうだ。


「アンナ、妾には何ができるのじゃ?」コゼットは涙で潤んだ瞳で娘を見つめる。


「母様、私たちにはまだ希望があります。エリザを止める方法を見つけなければならない。そしてウィルを解放するために、私たち全員が力を合わせるのです」


「だが……どうやって……」


「まずは、エリザの元へ行きましょう。彼女と向き合い、真実を確かめるのです。そのためには、全ての力を使い果たしてでも。」


 コゼットは深く息を吸い込み、決意を新たにした。自分の過去と向き合い、愛する者たちのために、再び立ち上がるのだ。彼女の心には、愛と償いの念が燃え続けていた。


「どうしたいですか?」


「妾は嫌じゃ、誰かを看取るのはっ! もう、耐えきれん。だからっ」


「さっさと終わらせる。」


 コゼットの涙は、もう止まっていた。瞳は燃えるように光輝き、強さを放つ。


「そう、我が儘で自分勝手な魔女としての答えを待っていました」


「私は、夢見で今夜死ぬことが分かっています。逃げられない運命さだめ。だから母様、残された家族を頼みます、救ってあげてくださいませ」


「ああ、主も救ってやるぞ」


 自信満々で語るコゼットに、先程まで泣きじゃくっていたのにとアンナは笑いが込み上げてきた。

アンナはコゼットを引き寄せ、力いっぱい抱き締めた。苦しいともがく彼女を無視して、いとおしさを込めて力を込める。


 ガシャーン——


 一階からガラスが散る音が。そして、すぐに銃撃戦が始まった。


「さあ、行こうかの」


 コゼットは妖艶に笑うと、吹っ切れた彼女は昔のように自由で残虐、我が儘な魔女に戻り、彼女は魔法陣を作り、一階へと消えていった。

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