第10話
コゼットが組織の女に近づくと、女はうろたえながらも彼女に手をかざし、臨戦体制をとる。
女は世界の理を変えた大魔女の存在を目の当たりにして恐怖を感じている自分を恥じているような苦々しい顔つきだった。
首席は杏に一定の距離を取って無言のまま立っているだけで、助けを呼ぶ様子もない。ハルカは不安な表情を浮かべながら、恐怖で動けなかった。
「首席っ!早く、真名を教えて!」女が首席に向かって慌てた様子で叫ぶが、コゼットが女と首席の間にいるため、女の焦り方は尋常ではない。
「確かに、私たちは真名を知られてしまえば、詠んだものを拒むことはできません。だから襲われ、望まれて殺されようとも防ぐことも、再生することすら許されません」杏は悲しそう呟いた。
「何それ…」ハルカが信じられない表情で女を睨みつける。
「普段は契約を交わした、悪魔に護られ、死ぬようなことがあろうが再生され死ぬことも出来ない
但し、真名は絶対でな。悪魔も手出しができぬ」
「だからこそ、あんたたちを殺るには真名を知ることしかない。その為には何だってやるわ」
「民を先導してるように見せかけ、実は己の大義のため裏で暗躍とは心底呆れるわ」
「貴様が。子供を造ったせいでこんなことになってるんだ。」
「その業のせいで、妾は娘一人救うこともならぬ」
「ウィルとの契約か。そのために生死に関与することを封じられたと伝承されている」
「ウィルか...懐かしい名前だな。だから、お主らの邪魔などできないということか」
「せめて、娘たちを少しでも穏やかに送るのが私の務め。大昔に犯した禁忌の代償だ」
コゼットと言葉を交わした女は、自傷気味に笑みを浮かべ、決心がついたように怯えた表情を消し、冷たい目で首席を見つめていた。首席は覚悟を決め、杏と女のもとへ近づいていく。
「杏...すまないな」
「いいのよ」
杏が殺される恐怖も感じさせない穏やかな笑顔で答える と、首席は今にも泣き出しそうなほど歪んだ表情のまま、杏を見ることもなく女の側へと寄り、耳元で真名を囁いた。
「逝った後は、任せてほしい。お前が遺した同胞たちは必ず護ってやるから」と言い残し、首席は真っ直ぐと杏を見つめた。
「ありがとう」と、彼女に声を出さずに口の動きだけで伝えた。
杏は首席の言葉に安堵したのか、安心したように瞳を閉じ、口元は微笑んでいた。
「ちょっと、待って!死ぬんだよ。何で笑ってんの?いや、助けなきゃ!」
コゼットたちの行動が理解できず、ハルカが立ち上がり、杏に向かって身を乗り出そうと行動する。しかし、女は首席が杏に真名を伝えたのを確認すると一瞬悲しんだ表情を浮かべた後、銃口を彼女に向けた。
『 』
瞬間、契約の悪魔がゆっくりと消え、同時に杏の体から色素が消え、彼女の髪から肌の色、瞳まで真っ白に変化していく。
「さようなら」
その場にドーンっと一発の銃声が響きました。
振動で散った花びらが舞い、真っ白な骸に降り注ぐ光景は、とても美しく、儚かった。
ジーっとチャックを閉める音が鳴り、ぼんやりとしていたハルカの意識が甦る。
「うっ...あぁ」
部屋にはハルカの悲痛な呻き声だけが響いた。
**
目の前にある人型の袋がハルカの前を横切って行く。それを目だけで追っていると突然、胃液が逆流してきて吐き気が彼女を襲った。
「大丈夫ですか?」心配した滋郎が、ハルカに近づき背中を擦ろうとしますが、ハルカは拒否して滋郎を睨みつける。震えながら訴えようとするハルカに、うんざりした表情でハジメが睨みつけた。
「滋郎に当たんじゃねえよ、俺らはお前の擁護しか命令されてねえんだし」
「杏は、私たちの仲間だよ。何で助けてくれなかったの...死んじゃったんだよ」
「けっ...周りに護られて生きてきた幸せな...てめえにはわかんねえよな」
悲しげな瞳。組織から来た女と同じ。彼らはどれほど苦しんで生きてきたか、最近まで自分のことも知らなかった彼女には理解することはできない。そう言われているような。
「私は、無知だから誰も救えないの」
「違います。僕らにはどうすることもできなかった」
「助けるどころか、死にかけたしな」
ハジメが悔しそうに拳を握りしめた。
女は、杏を殺した後すぐに、応援に駆けつけてきたアカリが引き連れてきた隊員との戦闘の混乱の中で誰かに姿を変え、紛れ込み戦闘で巻き散った噴煙などが落ち着いた後に女の姿が消えていた。
力なく、へたりこんでいたハルカは動かなくなった杏へ目線を向けた。コゼットは杏の骸が入った袋を愛しそうに撫で、怒りを隠そうともせず眉間にシワを寄せ、無言で暫くはその場を動こうとはしなかった。
そんなに大事なら、何故救わなかったの?声をあげて怒鳴りつけたかったが、コゼットの様子を見ていたら胸がチクリと傷んだ。それほど、コゼットの表情が悲しく歪んでいたので、世界最強の大魔女ですら、どうすることもできなかったんだと諦めることしかできない、力がない自分を責めた。
その後、記憶が曖昧だが、コゼットはどこかへ行ってしまったようで、姿は見えなかった。ハルカはそのまま滋郎に支えられながら、手負いのハジメも一緒に迎えに来た日本政府のヘリに乗せられ、新中国を後にしたのだった。
新日本に帰国すると、滋郎とハジメは上司であるアコのもとへ早々に報告に行ってしまいました。
ハルカはユミの元へ案内されたが、ユミもまた、先に戻ったアカリがから報告を受けているようで、手で目を覆いながら泣き出してしまい、話どころでは無かった。
ハルカは孤独感を感じながら自分の部屋に戻ろうとしたが、途中で見かけた後ろ姿を見逃そうかとも思ったが無理だった。
庭でコゼットに抱きつかれ身動きが取れない大きな犬の姿をしたヨゼフが、ハルカの存在に気づいたようで、顔だけハルカに向け、体にまとわりつく幼い姿をした魔女の顔を舐めて彼女にハルカの存在を知らせる。
「ハルカ、こちらへ」
優しい声で彼が呼んだので、誘われるように側まで近づいた。コゼットは顔もあげずに無言でヨゼフに抱きついたままだったが、ハルカが横へ座り、コゼットの頭を撫でるとビクリっと震え、漸く顔をあげた。ずっと泣いていたのであろうか、瞼が酷く腫れ、顔色も悪かった。
次々と娘たちを理不尽に殺されていき、助けてやることも出来ない彼女の業の重さは、今のハルカには全部は理解できない。でも、大事な人を亡くして、人だろうが魔女だろうが、例え彼らがどんな種族だとしても悲しまない理由はない。そのことだけは、理解できていた。
「コゼット、私も一緒に泣いてもいいかな」
ハルカの問いに、コゼットは無言で彼女に抱きつき、体を揺らし泣いた。そんなコゼットを抱きしめ、ハルカもまた声を控えることなく、幼子のように一緒に泣くのだった。
余りにも大声で泣いていたので、ハジメたちやユミなども集まり、ハルカたちを囲み、アカリが大声で
「黙祷っ!」
と叫ぶと、集まった全員が目を閉じ、亡くなった大魔女の死を悲しんだ。
彼女らの泣き声は暫く止むことは無かった。
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