天使と悪魔

「きみは優しい、とっても」


 天使が悪魔に言った。悪魔は不機嫌に答えた。


「おれは優しくなんかない」

「優しいよ。きみが優しいのは、瞳の奥に小さな水晶があるからだ。わたしの羽根のように穢れのない」

「そんなものはない。おれの目の中には何もない」

「ほんとかな」天使は悪戯っぽく小首を傾げた。「悪魔は嘘を吐くだろ。天使は嘘を吐かないよ」

「それなら、おれも教えてやろう。おまえだって、瞳の奥に悪を持っている。豆粒ほどのちっぽけな欠片だけどな」


 おれがおまえを愛するにはそれだけでじゅうぶんだ—— 悪魔は心の中で呟いた。天使は嬉しそうに笑った。 


「やっと、気付いてくれたんだ」


 天使の笑顔を見て、悪魔はハッとなった。言ってはならないことを、認めてはならないことを口走ってしまったことに気が付いた。失策をしでかしたのだ。取り返しがつかなくなる前に、悪魔はなんとか誤魔化そうとした。今のは嘘だと言い張ろうとした。

 しかし、悪魔が口を開く前に天使が言った。


「あのさ。小夜啼鳥ナイチンゲールのこと、知ってる?」

「目無しの墓場鳥ナイチンゲールのことか」


 悪魔は動揺のあまり、思考停止になりかけている。普段の悪魔なら絶対にあり得ないことだ。


「鳥だよ。墓掘り人の墓場鳥ナイチンゲールに聞いたんだ。小夜啼鳥ナイチンゲールは歌比べをして、負けた方が死ぬんだよ」

「天使、何を言っている?」

「わたしなら、わたしひとりで死にたくない」

「おまえは天使だ。翼があっても鳥じゃない」

「おんなじだよ。たとえ、わたしが勝ったとしても、ひとり取り残されたくもない」

「だったら、歌比べなんかしなきゃいい」

「そうはいかない」

「おまえ、今日はどうかしてる」

 どうかしているのは、おれの方だ。悪魔は天使から目を逸らし狼狽えながら、そう思った。




 天使と悪魔。ふたりは相反する存在だ。

 表と裏。光と闇。光は闇があるからいっそう輝き、闇は光があるからいっそう濃く深くなる。

 純白の翼と漆黒の翼。交差はしても、混じり合い溶け込むことは許されない。


 あるとき、天使は悪魔が落とした一本の羽根を拾った。ずっと悪魔に恋をしていた天使は、その羽根を小さな黒曜石に変え左の瞳の中に置いた。悪魔がいつか気が付いて、天使に恋をしてくれるのを待っていた。だけど、いつまで経っても悪魔は素知らぬ顔のままだった。

 実は悪魔も天使に恋をしていた。悪魔も天使の羽根を小さな水晶に変えて右の瞳の奥深くに隠していた。しかし、悪魔は己を抑え打算で動くし計算高い。嘘も得意だ。水晶には厳重に覆いをし、誰からも—— 自分からさえも——見えないようにしていた。


 悪魔と天使が恋に堕ちたら、神の裁きを免れない。天使は地獄の業火で焼かれ、悪魔は聖なる雨で抹消される。悪魔は己の身はどうなっても構わなかったが、たかだか恋のために天使が罰を受けるのには耐えられなかった。何があっても天使だけは守りたかった。

 だけど、天使は違った。純粋さゆえに、あまりにも恋に一途だった。想いは募る一方で、その想い以外、何も見えなくなった。このまま悪魔に思いが届かず、悪魔に恋した罰でひとりで劫火に焼かれたくはなかった。自分が消えれば、悪魔はすぐに新しい天使と組むことになるだろう。そんなことは我慢できない。しかし、遅かれ早かれそうなるはずだ。瞳の奥の黒曜石の煌めきは増す一方だ。いずれは天に知れ、劫罰は免れない。 




「だって、歌わずにはいられなかったんだもの」

「何を」

「きみへの愛のうた」

 悪魔は絶句した。

「墓場鳥は、わたしに負けを譲ってくれた」

「何を言ってるんだ、天使。おまえは小夜啼鳥ナイチンゲールじゃない。負けも勝ちもないだろう」

「おんなじだよ。さっきも言った。翼もある。愛の歌を歌う」

「同じじゃない」

「わたしたちの弔いの歌は、墓場鳥が歌ってくれる。墓場鳥は愛の歌も弔いの歌も歌うもの。だから、小夜啼鳥わたしはきみへの愛の歌だけ歌うんだ」

「おい、天使、おまえ……」

「もう、そろそろだ」天使は純白の翼を広げ、片手を差し出した。「きみに会えて嬉しかった。わたしの悪魔」


 悪魔はおずおずとその手を握った。


「もう、どこへも行けない。わたしもきみも。ずっといっしょだ」


 地が大きく揺らぎ、地獄の劫火が湧き上がった。天使は立ち所に炎の中だ。

 地獄の炎を目にすると、悪魔はやっと本来の自分を取り戻し、天使が焼き尽くされ消えてしまう前に逃げ出した。

 すでに息絶えた天使とともに、彼の最後の言葉に反して地の果てまでも、この世界の果てまでも、地獄からも天国からも、遠く遠く逃げようとした。

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