第31話

 

 どうするべき――だったんだろう。

 僕は休日の間ずっと考えていた。会長に僕はなんと返すべきだったのか。あの優しく強い人を、僕はどうすれば助けることができたのか。そればかりを考えていた。


 ――傲慢な考えだ。それはわかっている。


 彼女は助けを求めてなどいないだろう。それに、それはもう先輩から押し付けられた役割の範疇を超えているものでもある。僕が暴走し、空回って、今よりも悪い状況になる可能性も否定できない。

 ただそれでも――あの今にも崩れてしまいそうな笑みを見てしまったからには、なにもしないという選択肢は僕にはありそうになかった。


 しかし、現実は非情である。無い頭をどう振り絞ったところで、都合よく答えは出てこなかった。

 そもそも誰も、なにも、悪くはないのだ。

 父親の後を継ぐことを拒絶した暁さんも、逆に継ごうとする悠月会長も、会長が継いでくれることを望んでいる数多の人々も、誰も悪意など持ってはいない。


 ただあるべくしてあるだけだ。

 誰も彼も、今こうして無為な思考に耽っている僕でさえも、決まり切った法則に従って動いているに過ぎなくて、そこに意志なんて高尚なものは恐らくない。僕たちに自由なんてないんだと、理性は言って憚らない。


 でも――なら、どうすればいい?

 どうすれば――運命を変えられるっていうんだ?


 以前にも会長から突きつけられた問題が、改めて目の前に立ちはだかる。

 それだけでも僕の手に余る難題なのだけれど、週明け学校へと登校すると、忘れていたもうひとつの問題に僕は頭を悩ませることになった。


「あんた、まだ進路希望出してなかったの? それ最終提出明日じゃん」


「うっ……」


『優柔不断』


「ぐっ……こ、言葉もございません……」


 放課後の部室で夕星さんと小箒さんの冷ややかな目に晒されながら、僕は頭を抱える。

 目の前には真っ白なプリント。提出期限は明日の朝。

 僕はもう体裁を保つ余裕もなかった。


「そんなに悩むこと? つか、まだ一年なんだし、適当に進学って書いておけばいいじゃん」


「う、うん。まあ、それもそうなんだけど……」


 保留という選択肢。それはすぐに飛びつきたくなるほど魅力的な選択肢ではあるのだけれど、最終手段にしたい気持ちもあって――僕は煮え切らない自分の中の気持ちを整理するきっかけを求めて、夕星さんに訊いてみる。


「ちなみに、夕星さんはなんて書いたの?」


「ん、あたし? あたしは――まあ、普通に進学。元々は適当なところで働こうかと思ってたんだけどさ。母さんが大学行って手に職つけろってうるさくて」


「どこを受けるかは?」


「私立はお金もかかるし、国立を目指す感じだけど、具体的にはまだ決めてない。ぼちぼち考えないといけないかなーとは思ってるけど。たしか彗も同じ感じだったよね?」


『うん。わたしも進学』


「そっか……二人とも進学なんだ」


 二人の学力なら、当然の選択肢だろう。翻って僕は――


「あんたの学力だと……少し国立は厳しいかもね」


「う、うん……」


 少し寂しさを覚える。この関係はもう二年と続かない。暁さんや悠月会長に至ってはあと一年もすれば卒業してしまうんだ。当たり前のことではあるけれど、それが無性に物悲しく感じた。


『専門学校とかは考えてる?』


「今のところ考えてはないかな。そもそもやりたいことも特にはないし」


 それが一番の問題な気もするけれど。


「ま。そう焦ることでもないでしょ。今回はとりま提出しておけば問題はないし。切羽詰まったら、あたしも相談乗ってやっから」


『わたしも相談に乗る』


「……うん、ありがとう」


 嬉しくも情けないやり取りの後、他愛のない会話に移る。

 ようやくと暖かくなってきた気候に対しての所感だったり、近づいてきた春休みへの期待であったり、僕はそれらに相槌を返しながらも頭の中ではずっと考えを巡らせていた。


  ――運命。


 絶対的で無機質的なそいつはどうやったら否定できるのだろうか?

 思考は――けれど、すぐに行き詰まる。

  あまりにも隙がなく、八方塞がりなのだ。僕らの常識はどこまでも運命を肯定してしまう。 原因と結果のその外側にはどうやっても行けそうになかった。


  むしろ、長く考えていると、僕らは少しばかり複雑な動きをする玩具の人形に過ぎないんじゃないかとすら思えてくる。僕らが感じる喜びも、怒りも、悲しみも、楽しささえも、脳内の電気信号によって生まれた偽りに過ぎないのだとしたら、僕らはどうして自分が自由だなんて思えるのだろうか?


  暁さんの顔が脳裏に浮かぶ。

  嫌味なほど太々しく、僕を道具のようのこき使う――僕が知っている中で最も自由な人間。彼女はどう考えているのだろう?  僕なんかよりも頭が良く、なおかつ、この手の話に詳しい彼女はどうしてああも自由でいられるのだろうか?


 先輩は自由を途方もなく希少なものだと言っていた。そしてそれは、僕が図書館で得た付け焼き刃の知識と概ね同じだった。

  僕が読んだ本の中には、ひとつとして人間は自由だと言い切っているものはなく、ほとんどは『人間の自由? あったらいいよね』というのが関の山だった。


  彼女もそれは理解しているはずだ。

 なのにそれでも、彼女は自由を疑わない。

 どうして? なぜ? そこまで信じられるんだ? 

  疑問は募っていくばかりだった。


  ただひとつわかっていることは彼女には欲している未来があるということだけだ。 なにを賭しても、それこそ命を賭してでも叶えたい未来。


 それが僕にもあれば彼女のようになれるのだろうか――?


 僕の望む未来。

 かつては――なにもなかった。

  何事もなく生きていくこと。強いて言えば、それが望みだったろう。


  そして、みんなと出会って、小箒さんの一件があった時、僕はみんなと幸せに笑いあえる未来を願った。


  なら、今の僕は?

 今の僕の望みは――――…………


「あっ……」


 その瞬間。

 ――見えてしまった。僕の未来が。

 馬鹿みたいに傲慢で甘ったれた僕の未来が。

 全身に高揚感が駆け巡り、それと同時に自分の体が作り替えられていくような感覚が襲ってくる。ついさっきまでボヤけていた視界が一気に晴れる。雲ひとつない空のように。

 気がつくと、夕星さんと小箒さんの呆れ顔が僕を見つめていた。


「……ああ、はいはい。またですか」


『優人はわかりやすい』


 二人は僕がなにかを始める気でいることを察しているようだった。

 そんなに僕ってわかりやすいかな……。感情が比較的顔に出やすいのかもしれない。今後は気をつけるようにしよう。


 まあ、それはともかく――


「二人に頼みたいことがあるんだ」


 僕は決意とともに二人に頼み事をする。

 もう二度とこの感覚を失わないように――。




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