第26話


「それでなんだけど……」


 ホットコーヒーで喉を潤わせつつ、タイミングを見計らって僕は声を上げた。


「なに?」


 散々揶揄われた後のせいか夕星さんは少し不機嫌そうだ。


「あの……二人はさっきの話、どう思った?」


「さっきのって……私たちの自由がどうのってやつ?」


「う、うん。そうなんだけど……」


「別にどうとも。暁たちみたいに、そっち系興味ないし。そんなこと真面目に考える人の方が稀でしょ」


 夕星さんは言葉通り興味がないようで、僕の方には目もくれず頼んだコーヒーに砂糖やミルクをドバドバと入れ始めている。

 ……それはさすがに入れすぎじゃない?


「えっと……じゃあ、小箒さんはどうかな?」


 僕は次に小箒さんへと水を向ける。

 彼女はホットココアの熱さに悪戦苦闘しながらも、『正しいと思う』と端的に言った。


『言ってることに間違いはないし、否定しようがない。ただ、そもそもそんなことを考える意味もない』


「えっと、どうして?」


『その考えが正しくても、逆に間違っていても、わたしたちができることに変わりはないから』


「それは……」


 ……たしかに。

 僕たちに一切自由がないのだとしても、だからといって、何もしないわけにもいかないし、どうにかして自由を得る方法があるわけでもない。なら、どちらにしても僕らのできることに変わりはないのだろう。


 ただそうだとしても――


『不服?』


「いや、僕も小箒さんの言ってることには凄く納得できたんだけど……」


 ――きっと先輩は納得してくれないだろう。

 僕はそう思ってしまう。


 彼女はきっと考えたはずなのだ。考えても意味はないなんて割り切らず、ずっとずっと考えてその果てに答えを出した。見渡す限りの荒野に一滴一滴水を垂らし、そこに命が芽生えることを夢見るように。たとえ不毛な結果しかないと半分理解していても、彼女は考え抜いた。だというのに、そんなことは無意味だと、考えるだけ無駄だったんだと、実際に考えてもいない人間がわけ知り顔で言う。そんなもの納得できるはずがないだろう。


 それに僕は頭が悪いし、知識だって全くないけれど、それでも誠実さくらいは持っていたい。どれだけ稚拙と思われようと、先輩の質問への回答は、自分で考え、出した答えでするべきなんだと改めて思った。


 だから――僕は考え続けないといけない。


 無意味だなんて割り切らず、考えて、考えて、考え抜いて――そうやってようやく見えてくるものも、きっとあると思うから。


 胸の内で固めた決意を持って、僕は知らず知らずのうちに下がっていた頭を上げた。

 すると、二人は絶妙に形容しがたい表情をして僕を見ていた。呆れ。納得。そして、少しばかりの嫉妬。ころころと表情が変わって最後に夕星さんは大きなため息を吐く。


「ほんとあんたらって、いつもそうだよね……。勝手に考えて、勝手に答えを出してさ。……ほんとこっちの身にもなれって言うの」


「え? えっと……?」


「なんでもない。こっちの話だから気にすんな、この変態」


「突然の罵声っ⁉」


 どういうことなのっ⁉


「……難儀な性格してるよ。暁も悠月も……あんたもね」


「いや、僕は暁さんほどじゃ――」


「一緒だっツの!」『同種』


「えぇッ⁉」


 夕星さんはともかく、小箒さんまで⁉

 そんなに僕って先輩に似てるの? いやいや、僕はあそこまで傲岸不遜じゃないぞ!

 ……えっ、ないよね?


『優人は似てる。特にユーちゃんに』


 ゆ、ユーちゃん?


「ああ、たしかに。暁に影響受けまくりなとことかマジそっくりだよね」


 納得顔で語り出す二人をよそに僕の頭は大混乱だった。


「え、えっと、あの。ユーちゃんって誰のこと?」


「ん? ああ、この呼び方じゃあんたはわかんないか。悠月のことだよ」


 そういえば、悠月会長って元部員なんだっけ?

 僕は聞きそびれていた疑問を思い出し、口に出してみる。


「そういえば、ずっと疑問に思ってたんだけど、どうして悠月会長は部を退部したの? やっぱり、生徒会が忙しくて、とか? あっ、言いづらかったらいいんだけど……」


「ん? あー……――」


 言いづらいというより、どう言うべきか迷うような仕草で夕星さんは口籠る。

 すると、小箒さんが代わりにとばかりにこう言った。


『アーちゃんとユーちゃんは喧嘩中』


「喧嘩中?」


『そう。二人とも似たもの同士。凄く頑固』


 小箒さんの言葉を受けて、夕星さんが頷く。


「まあそうね。喧嘩って言っても間違いじゃないか。実際はもうちょい込み入ってるけど」


「えっ、でも……もう五カ月近いですよ? ずっと喧嘩してるんですか?」


 僕が自由部に入部したのが、大体そのくらい前だ。そして、僕が入部した時にはすでに悠月会長はいなかったから、少なくともそれからずっと喧嘩が継続していることになる。


「そこが厄介なところでね……。あたしらとしても、悠月には早く戻ってきてもらいたいんだけど……」


『ユーちゃん、私も戻ってきて欲しい。でも、難しい』


「難しい?」


 どうして?


「二人が仲介しても、駄目なんですか?」


「さっきも言ったじゃん、込み入った話だって。さすがにうちらも首を突っ込みにくいんだよ」


「夕星さんでも?」


「そりゃね。あれは身内の話ってやつだし」


 身内の話?


「でも、二人だって身内みたいなものじゃないですか?」


 先輩とは言わずもがなだし、悠月会長との関係も聞いている限りだと良好のようだ。なら、暁さんと悠月会長の仲がどれだけ親密であったとしても、そこに割って入ることくらいはできるんじゃないか? 


 僕はそんなふうに思って言ったのだが、二人の微妙な反応からして僕はなにかを間違えているようだった。


「あんた……もしかして、まだ教えられてなかったの?」


「え、えっと……?」


「だから、暁と悠月は――」


 続いた言葉は僕にとって着火剤のようなものだった。脳内に吹き溜まっていた疑念がたちまちに消し飛び、その衝撃ですべてが繋がっていく。この頃ずっと付き纏っていた違和感という名の霧が、吹き飛ばされるようにして晴れていく。


 ……ああ、なんてことだろう。

 真っ先にきたのは羞恥だ。


 先輩に『察しが悪い時はとことん悪い』などと言われたことがあったけれど、まさにそれだった。目は節穴。耳は腐り落ちているに違いない。


 あまりに恥ずかしく、失礼な勘違い。しかもそれを、かなり長い間していたのだから、穴があったら全力で頭から飛び込みたい気分だった。


 ただ――


 その羞恥を耐え忍び、冷静さをいくぶんか取り戻してから思考を続けると――その果てにあったのは困惑だった。


 なぜ? なぜ? なぜ?


 どれだけ考えても、結論は変わらない。でも、理解ができない。

 どうしてそんなことをした? いや、なんでそんなことができるんだ?

 疑問の果てについに答えが出ることはなく。僕の中には行き場のない憤りが、永遠と募っていくだけだった。






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