第25話


 塵取りにゴミをまとめながら、僕はこの後の行動を考えていた。

 この掃除が終われば、もう放課後だ。

 いつもであればそのまま部室へと足を運ぶのだけど、いささかの気まずさが僕の足をずしりと重くさせていた。


 ――私たちに自由はあるのか?


 先輩の問いに、僕は結局答えられなかった。

答えが自分の中で出なかったわけじゃない。答えを言葉にできなかったわけでもない。

 むしろ、それは拍子抜けなくらいあっさりと僕の前へと転がり出てきた。


 子供の頃、テレビでよく見たマジックと同じだ。触れてもいないモノが突然動きだしたり、支えもなく浮遊して見えたり、ふっと目の前に現れたりする。不思議だった。魔法なんじゃないかと胸が高鳴った。でも、大なり小なり差はあってもみんないずれは気づくのだ。それらにはタネも仕掛けもあるのだと。


 現実には魔法も超能力も存在なんてしやしない。どこからともなくなにかが湧いてくるなんてことは、決してあり得ない。


 僕自身にしてもそうだろう。

 僕だってどこからともなくコウノトリが運んできたわけじゃない。母が僕を産んだから、僕は今ここにいる。その母は、祖母から産まれ、祖母はひいおばあちゃんから産まれた。

 ずっとずっと気が遠くなるほど前から続く命のバトン。その結果が僕なのだ。


 原因と結果。

 この世界はそれで満ちている。

 冬に雪が降るのも、結露ができるのも、息が白くなるのも、あるべくしてあるものだ。なんらかの原因が連なってその結果を紡いでいる。唐突に、一切の因果を無視してなにかが起こるなんてことはあり得ないのだ。僕のこの身体も、意識も、やっぱり結果に過ぎなくて、ひたすらに続くドミノ倒しの如き連鎖の結果に過ぎなくて、僕もその流れに従ってゆっくりと倒れ、次のドミノを押し倒す。


 そこに否応はない。

 意志なんて高尚なものはない。


 そう。僕は納得してしまったんだ。彼女の言葉を受けて、理解してしまったんだ。

 僕たちに自由なんてないのだろうと。


 でも――それを口には出せなかった。

 だってそうだろう?

 暁さんは大した話ではないなんて言っていたけれど、彼女の見せた歪な笑みは、明らかに大きな悩みを抱えた人のそれだった。

 彼女の質問と悩みとが無関係なはずはない。

 なら、僕が軽々と答えを口にすることは、絶対に避けるべきことだった。


 それに彼女のことを思うなら、彼女に少しでも恩を返そうと思うなら、その答えを僕は覆さなければならない。僕たちは自由なのだと示さなければならない。


 けれど、僕がいくら頭を捻ったところで早々答えが見つかるはずもなかった。

 そのうえ、冷静になって考えてみると、他の疑問ばかりが頭には浮かんでくる。


 あの自由奔放で唯我独尊な先輩が、いったいなにに悩むっていうんだ? そもそも先輩は自分に自由がないなんて本当に思っているのか?


 湧いてくるのは違和感ばかりで、考えはちっとも進まなかった。一晩経ってもさしたる進展もなく、相変わらず僕は五里霧中。暗中模索の真っ只中だ。

 こんな状態で先輩と顔を合わせるのはひどく気まずくて、掃除が終わり放課後になると、僕は足早に校門をくぐり抜けていた。


 

 そんなこんなで部活に行かなくなってから、早一週間が経ってしまった。

 あれから自分だけでは埒があかないと、図書館に篭っていろいろ調べてみたりもしたのだけれど、それでも答えは見つからなかった。


 いつまでもこうしてはいられない。

 募る焦りとは裏腹に、まるで僕の時間だけが止められているかのように進展はなく、もどかしい日々が続く。それにこう何日も部活を休んでいると、余計に顔を出しづらくなってしまって、最初のうちは体調が悪いからと最低限送っていたズル休みの言い訳も、次第に送らなくなっていった。


 まるでそれが自然であるかの如く。

 今までもずっとそうしてきたかのように。

 僕は部活を休むようになった。

 今日も今日とて、逃げるように――というよりか、実に堂に入った感じで校門を抜ける。慣れとは怖いものだと、まるで他人事のように思った。


 しかし――ちょうど学校の敷地から一歩跨いだところで、


「葉隠、ちょっとツラ貸しな」


『ツラ貸しな!』


 ――僕はかつあげにあった。


 もとい、夕星さんと小箒さんの待ち伏せにあっていた。両名ともかなりご立腹の様子で、誤魔化せるような空気ではなかった。


 サムズアップを横にして、ついて来いと無言で示す夕星さんからは、並々ならぬ気迫というか、怒気というか……もうアレ殺気じゃない? を感じる……。


 六日も無断で休んでいたわけだし、二人からのメッセージもまともに返せていなかった。怒るのも当然だろう。

 僕は連行される犯人みたいな気持ちで、無言のまま後ろをついて行った。

 情状酌量の余地はなさそうである。


 そうして連れて行かれたのは、学校から少し離れた個人経営のカフェだった。木造のこぢんまりとしたお店で、店内に飾られている振り子時計や所狭しと置かれた小物の数々は隠れ家じみた雰囲気を醸し出している。


 僕らは通された奥の四人席に座り、六十歳は超えているだろう店主さんに注文をお願いしてから、ゆっくりと話し始めた。


「で? どうしてずっと休んでたわけ?」


 最近はめっきり見なくなった夕星さんのつっけんどんな態度。

 正直かなり怖い……。


「ああ、いや……ちょっとここ数日、体調が悪くて……」


 僕が苦し紛れに言い訳をすると、小箒さんからすぐさま指摘が入った。


『嘘。昨日は放課後、図書館行ってた』


 ……見られてたのか。


「で? なんなの?」


「うっ……いや、その……」


 なんて説明すればいいんだろう……。

 先輩から受けた相談のことを二人にも話す?

 いや……でも、それは――いくらなんでも不義理というものだろう。相談の内容を言いふらすなんて(本人は大したことではないと言っていたけれど)、さすがにできない。


 なら……


「あ、あのさ。二人は――」


 八方塞がりな中で、僕はひとつだけ活路を見出した。二人に先輩と話した内容をざっくりと伝えるのだ。筋書きとしては、とある本を読んで気になって、という感じが妥当だろうか。友達の友達が言ってたんだけど――理論の亜種みたいなものだ。


 そうして僕が最後まで話終わると、夕星さんがげんなりした表情で言った。


「そんなこと考えて意味あるの? ってか、休んでた理由にならなくない?」


 ごもっともで……。


「いや、どうにも気になっちゃって……、昨日も図書館で少し調べてたんだ。世の中にはどんな考えがあるんだろうって」


 僕の答えに、夕星さんは大きくこれ見よがしにため息を吐いた。


「ああ、はいはい。あんたもそっち側の人間ってことね……」


「えっと……そっち側って?」


異常者側暁の同類ってこと」


「言い方だいぶ酷くないッ⁉」


 そんな可笑しいことしてないよね⁉


「……ごめん。さすがに言い過ぎだった」


「ま、まあ、わかってくれれば……――」


「せいぜい狂人って感じ?」


「譲歩したみたいに言ってるけど、酷くなってるからねッ⁉」


 いつもの揶揄いにしても、ややトゲがある気がする。気のせいだろうか?

 そんなことを思っていると『これは優人が悪い』と小箒さんが口を挟んでくる。


「な、なんでっ⁉」


『アイミはずっと自分が避けられてるんじゃないかって気にしてた』


「えっ?」


 僕が夕星さんを避ける? どうして?

 頭の上にクエスチョンマークが浮かぶ。

 だけど、その疑問に答えが出る前に、素っ頓狂な声が僕を横殴りに叩いていった。


「はァッ⁉ いやいやいやいや、これっっっぽっちも気にしてないけど? ちょっと彗、デタラメ言わないでくれる?」


『アイミの心は繊細。丁寧な対応が必要』


「いや、無視すんなし!」


『アイミの心は絹豆腐。箸でつつくとすぐ崩れる』


「いや、箸でつつくんじゃないよ‼ 行儀が悪いでしょうがっ‼ ……ってか、木綿くらいはあるし」


 ……豆腐ではあるんだ。


「ああ、もうっ‼ そうじゃなくって――‼」


『アイミはずっといろんな人から避けられてた。だから、こういうのは凄く気にする。これは優人が悪い』


 夕星さんの言葉を遮って言われた言葉に、僕ははっとさせられた。

 たしかに、夕星さんは過去の出来事やその見た目で周囲から敬遠されることが多い。転校したての頃はあまりわからなかったけれど、最近では同学年ということもあって、夕星さんの周囲からの浮きっぷりはよく知っていた(僕も大概だけど)。


 それに数少ない身近な人間に避けられるというのは、考えるだけでも胸が冷たくなるものである。それを思うと、小箒さんの言うようにこの件は僕が悪いのだろう。


「夕星さん。その……ごめん。不安にさせるようなことをしちゃって」


 僕は精一杯許しをこう。すると、見るからに夕星さんの怒気が下がっていくのがわかった。彼女は目を少し逸らして言う。


「……はぁ……いいよ、別に。避けられてたわけじゃないって、もうわかったし」


 どうやら彼女に嫌われずにすんだようだった。よかった。心底そう思う。


 ただ、それにしても、今の言いようだと――


『――やっぱり気にしてた』


 小箒さんが容赦なく核心をつく。

 これまた器用にタブレットのボリュームを小さくしているものだから、ボソッと呟いたかのように聞こえた。

 ……この感じ明らかに面白がってるな。


「あ、いやこれは……」


『照れ隠し』


「違うッツの‼」


 真っ赤になって否定する夕星さんとそれを揶揄う小箒さんという珍しい構図は、店主が注文したドリンクを持ってくるまで続いた。




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