第22話
暁さんからメッセージで連絡が入ったのは、それから十分ほど後のことだった。
『知人に捕まってしまって、そちらに行けそうにない。すまないが、君の方からこちらまで来てほしい。部屋を出て右に進めば、あとは道なりで合流できると思う』
僕は指示に従って、すぐに移動を開始する。あの部屋にあまり留まっていたくなかった。
来る時にも通った細い通路を抜けると、程なくして人溜りが見つかった。二、三十人ほどだろうか。いくつか大きめの輪っかを作って、話し合っている。
集団の中から人を見つけ出すのは、本来なら少しばかり大変なことだけれど、その中から先輩を探すのは非常に簡単だった。ご高齢の方が多いというのもあるけど、なにより彼女の風貌は(オーラと言ったほうが正しいだろうか)他と比べて明らかに頭抜けていて、探すまでもなかった。
鮮やかな表紙の本が平置きされているようなものである。まず真っ先に目がいくし、興味を引く。見逃すことはないだろう。
ただ――少しだけ違和感も覚えた。
なんかさっきまでと違うような……?
そんな感想を抱きながらも、談笑中の先輩に近づき、僕は声をかけた。
「あの、先輩?」
「うぇ⁉」
彼女は素っ頓狂な声を上げた。その声で周りの視線が一斉に集る。
「ゆ、優人くん……! お、驚かせないでくれないかな」
「ああ、すみません。背後から急に声をかけちゃって」
まさかそんなに驚くとは思っていなかった。意外な一面を見た気がする。
「すみません。学友と少し話しをしてきます」
近場の人に断りを入れて、僕らはその集団から距離を取る。
「あれ、誰かしら?」
「もしかして、彼氏くん?」
「え、本当⁉」
「まあ、年頃だからなあ」
後ろで開催される井戸端会議が聞こえない位置まで移動すると、まずは彼女が口を開いた。
「あの人たちは、父の後援会の人たちでね。昔からなにかとお世話になっているんだよ。私の幼い頃からずっとだからね。もうほとんど親戚みたいなものさ」
なるほど。それであんなに親しそうだったのか。
「ところで――ひとつ質問してもいいですか?」
「ん? どうしたんだい?」
「さっきまで着ていた赤いハーフコートはどうしたんです?」
彼女を見つけた時に雰囲気が変わったような気がしたけれど、それもそのはず、そもそも着ている服が違っていた。あのカジュアルな赤いハーフコートではなく、今は白いニットセーターだ。全体の印象もやや落ち着いたものになっていた。
「え? ああ! あれは、その……少し暑くなってしまってね。今は脱いでいるんだよ!」
「コートの下にそれを着てたんですか?」
だいぶ厚着だけど?
「私は少し寒がりでね。普段からこのくらいは着込んでいるんだよ! そ、そんなことよりも君! あれはどうしたんだい?」
「あれ、ですか?」
なんのことだろう? 特に思い当たる節もなく、僕は頭をひねる。
すると、彼女は慌てて「ほら、また悩んでいたじゃないか」と付け足した。
悩んでいた? ……悩み? ああ……
「進路のことですか……いえ、まだなにも決められてはいなくて……」
「……そうか。――まあなに、あまり思い詰めるのも良くはない。悩みがあるなら、また私が相談に乗るよ?」
「それは――」
ありがたいことだった。ありがたいことではあった。
けれど――確かに僕が彼女に期待してしまっていることは事実だけれど、しかしそれでも、それを面と向かって望むのはやはり違うと思うのだ。
それは言ってしまえば、ズルである。
心の弱い僕としてはついつい頼りたくなってしまう気持ちもあるのだが、しかし、成り行きで助言を貰うのとはそれは訳が違った。
自ら望んで行うズル。意図的な不正である。
勿論、それで誰かしらに不利益を与えるわけではないだろう。
それなら別にいいじゃないか。進路の相談なんて、良くも悪くも本人の不安を和らげるためのものでしかないのだから、深く考える必要もない。ここは先輩の好意をありがたく受け取っておこう。
そう思う気持ちはあるのだけれど、しかし何故だか、それだけはしてはいけないことのように思えて、
「いや、あの……ありがとうございます。でも、大丈夫です。こればっかりは自分で決めるべきことだと思うので」
少しばかり後ろ髪を引かれつつも、僕は未練を断ち切り、そう言った。
不安ではある。すごく不安ではあるのだけれど。
そもそも進路なんて他人にどうこう言われて決めるものでもないだろうし、最終的には結局自分で決めないといけないことだ。なら、相談に乗って貰おうと貰わなかろうと、大して変わりはないんじゃないだろうか?
――そうだ。きっと、そうに違いない。
やや言い訳がましく、僕がそう結論づけていると、いつの間にだか先輩の様子が変わっていた。
普段の先輩を苛烈とか鮮烈などと言い表すならば、今の彼女は朧げで希薄だった。
なにかが抜け落ちた表情で。
なにもかもが抜け落ちた表情で。
「――どうして?」
と。
あの暁さんが、頭に浮かんだ言葉をそのままこぼしてしまったかのように、ポロリ――と言った。
「どうして自分で決める必要があるの?」
純粋な子供のような質問。
僕を試しているとかそういう様子でもなく、ただ単純にその答えを求めているかのような、その答えに焦がれているかのような、そんな質問。
「ど、どうしてって、それは……」
僕は混乱していた。先輩が僕にこんな質問をしてくるなんて予想だにしていなかったし、それに何より理由なんて考えたこともなかった。
自分で決めるべき理由。自分の意志を持つべき理由。
僕はただ漠然とした予感に従ってああ言ってしまっただけなのである。明確な理由なんて持ち合わせてはいなかった。
しかし、少なくとも『そんなこと当たり前じゃないですか。進路くらいは自分で決めるべきでしょ』だなんて、僕には言えなかった。
なにも考えず、人に言われたまま生きていく。誰かのことを真似して、後ろに並んで生きていく。それが僕のこれまでずっと取っていたスタンスで、きっとそちらの方がずっと楽だし不安もないのだろうと――今でも思ってしまうから。
でも――僕は、誇らしかったんだ。
僕の傲慢さを、醜悪極まりない自分勝手な選択を、暁さんに『君も大概だろう』って笑われた時。おかしな話だけれど、その不名誉な言葉が僕は心底嬉しかった。
だってそれは紛れもなく僕の選択で。
だからこその彼女の評価で。
ほんの少しでも僕が僕として生きられた証のようなものだったから。
以前の僕ではこんなこと考えもしなかったんだろうけれど、今の僕は思ってしまう。
一〇〇〇倍に希釈された自分で流されるままに生きるより、たとえ僅かであっても素のままの自分で生きる方が価値があるんじゃないかと。
だから僕は――
「――自由に生きてみたいんです」
貴方みたいに。
「誰かに流されるんじゃなくて、ちゃんと自分で考えて、自分で決めて。その結果を喜んで、悲しんで、後悔して。そうやって生きてみたいって思ったんです」
難しいことだはと思う。
現に僕はここ最近前に進めずにいるし、考えることは面倒な上に辛くて怖い。
それでも、この困難な道の先には僕の知らない世界があるような気がして、それがどうしようもなく見たくなってしまっていた。
「君は――変わったね」
「……僕は変われているんでしょうか?」
実感はあまりなかった。
というか、実際なにもしていない。変わったことといえば、ただ悶々と悩むようになったことだけだ。むしろ、退化と言っていいまである。
彼女は僕の弱気な返答に微笑を浮かべると、肯定的な言葉を投げかけてくれる。
「ふふっ、そう心配することはないさ。間違いなく、君は変われているよ――」
ただ――その言葉は、そこで終わりはしなかった。
「――私とは、違ってね……」
その時の彼女の表情は、初めてあの神社で会った時と同じものだった。
どこか儚気で、
憂いを湛えたその表情で、
彼女は言った。
「ねえ、優人くん。――ひとつ相談に乗ってもらえないかな?」
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