第三章 ろくでなしは自由と嘯く
第19話
進路――。
この言葉に頭を悩ませる学生は数多くいるだろう。これまでの義務教育から打って変わって、社会に出て働くのも、大学への入学を目指すのも、その人の自由とされる。
みんなで乗っていた列車から突然降ろされて、あとは好きに何処にもでも行ってよしと言われるようなものである。誰だって不安を抱くに違いない。希望に満ちた未来どころか、一寸先は闇――多くの高校生はそう思っているんじゃないだろうか?
――かく云う僕もその一人だ。
配布された進路希望調査票は貰ったまんまの真っ白で、消した跡すらまったくない。これが書いては消し、書いては消しで、悩んだ挙句に決まらないというのであればまだ救いがあったのかもしれないけれど、プリントは印刷されたままの綺麗な姿で……その清々しいまでの真白さは、僕の未来像の空虚さを物語っているようだった。
――あの時。
僕は確かに自分という実像を見つけた気がしたのだけれど、それはものの見事に溶け消えて、いまやその名残をわずかに残すのみだった。僕の中心にあれほど明確に感じた意志の炎は冬の訪れとともにほぼ完全に消え失せていた。
なぜ無くなってしまったのか?
原因はわかりきっている。結局のところ、僕が僕の未来を想像できないからだろう。
小箒さんの問題がひと段落し、彼女の母親が大人しくなってから(親子で話し合い、勉学にも手を抜かないことで、ひとまずは手打ちとなったそうだ)、僕たちは幸いなことに穏やかな日常を過ごすことができている。僕の望んだ未来にもはや障害はない。
しかし、当たり前のことではあるけれど、僕の人生はその先も続いていくのだ。この学校を卒業し、みんなと別れたその後も時間は等しく進み続ける。
でも、僕には――その先がまったくと言っていいほど想像できなかった。
「まだ進路に悩んでるのかい?」
隣の席の暁さんが僕の小綺麗な進路希望調査票を覗き見て言う。その声は静かだった部室に響き、夕星さんと小箒さんの視線が僕へと突き刺さった。
「ま、まあ……」
やや気まずさを覚えながら返す。
部室で考えるべきことではなかったなと、今更ながら後悔をした。
「なに、悩むことなんてないさ。君はお婿さんとでも書いておけばいい!」
「……婿は進路にならないですよ?」
第一恥ずかしいから絶対に嫌だ。
「じゃあ、主夫」
「変わってないです」
「えー、まったく君は欲張りだなぁ」
非難される要素ありました?
「なら、ヒモかジゴロかスケコマシで」
「なんでまともな選択肢がひとつもないんですかっ⁉」
しかも、それほとんど同じだろ‼
「なに、心配は無用さ。私がしっかりきっちり責任を取ってあげるからね!」
先輩は無駄に大きな胸を張りながら、君の彼女たる私に任しておきたまえと、いつものように虚言を吐く。この手のボケに突っ込む気力は今の僕には残されていなかった。
だが――『優人はアーちゃんと付き合ってるの?』と思わぬことに小箒さんが反応を示した。
というか、アーちゃんって、暁さんのこと?
「ああ、勿論‼」
「堂々と嘘をつかないでくれますッ⁉」
『……どっち?』
「付き合ってなんかないよ。先輩が僕を揶揄っているだけで」
僕がきっぱり否定してみせると、『そう、わかった』と小箒さんは言った。
なんでちょっと嬉しそうなの?
「にしてもさ――実際どうすんの?」
今度は夕星さんが参考書をパタリと閉じて言う。
「なにが?」
「進路だよ、進路――なにか考えてることはあんの?」
「……いや、ないけど」
「あたしも心配してるんだよ? ほら、あんたって基本人畜無害なだけの無能力者じゃん?」
「心配する風を装って全力で貶すのやめてくれない? それに僕だって――」
「でもあんた勉強できないじゃん?」
「ま、まあ……」
「運動も得意じゃないじゃん?」
「う、うん……」
「だからといって、他に特技とかあるわけじゃないじゃん?」
「……」
「全般的にざっくり並以下くらいの能力値だよね?」
もしかして、僕に対するその認識、グローバルスタンダードなの? 泣いていいかな?
「大丈夫だよ。君には優しさがあるじゃないか」と、暁さんが僕の肩に手を乗せて言う。
だからそれ、他に褒めるところがないだけですよね?
『優人は優しい……』
「えっ、小箒さん?」
『………優しい』
気持ち難しい顔をして、小箒さんは考え込む。
もしかして、良いところを列挙しようとしてくれたのだろうか? だとしたら、本当に『優しい』で終わってしまう僕はどれだけ……うん、これ以上はやめよう。悲しくなる。
「いいことを思いついた!」
先輩が唐突に立ち上がった。彼女の顔に浮かぶ邪悪な笑みは、決して『いいこと』を思いついたようには見えない。むしろ、真逆なソレである。
「……なんですか?」
とはいえ、無視することもできないので、僕はしぶしぶ次の言葉を促した。
「君が進路を悩む最大の理由は、君自身の未来を想像できないことにあるのだろう」
「まあ、そうですね……」
「なら、それを少しでもイメージできるようにしてやればいい」
「どうやってですか?」
その言葉を待っていたとばかりに彼女は口角を持ち上げると、高らかに宣言した。
「――勉強会をしよう‼」と。
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