第17話


「本気で言っているのかい――?」


 昼休みの部室に暁さんを呼び出し、僕の提案を話して聞かせると、真剣な面持ちで彼女はそう返してきた。

 僕は無言で頷く。


「始めてしまえば、もう後戻りはできないよ?」


「――もちろん、わかっています」


「失敗すればスイはもちろん、最悪私たちだって、ただではすまされないだろう。私たちの方が悪者になる可能性も大いにある。特に主犯たる君の罪は大きくなるかもしれない。それでもいいのかい?」


「構わないです。僕は――小箒こぼうきさんを助けられればそれでいいんです。それが僕のエゴでしかなくて、誰かに恨まれたり蔑まれたりする結果になっても、僕は気にしません。だって僕は、正義の味方になりたいわけじゃないですから」


 僕の言葉を吟味するようにして聞いていた暁さんは、だがそこで――


「ぷっ――」


 一気に破顔した。


「ふはははははは――――ッ‼ さすがは私の婚約者だ。素晴らしい! 最高だ! これは思ってもみなかった結果だよ」


「いや、婚約者じゃないですけど?」


 久しぶりに聞いたよ、その設定?


「変わらないさ。最終的にそうなればいいだけの話だ」


「僕の意志は完全無視かよ」


「無視なんてしないさ。捻じ曲げるだけで」


「もっと酷いでしょ、それ⁉」


「最初に言ったじゃないか? 私は運命など認めないと。私の人生は私が決めるのさ」


「僕の人生は僕に決めさせてくれませんかね⁉」


 埒が明かなかった。


「……先輩は相変わらず強引ですね」


 ため息を吐き僕がそういうと、彼女はまた随分と悪い笑みを浮かべて言う。


「なにを他人事みたいに言ってるんだい?」


「えっ?」


「君も、大概だろう――?」


 その評価は甚だ不名誉なものだったけれど、僕の口元には自然と笑みがこぼれていた。


 邪悪な笑みだ。

 醜悪極まりないだろう。

 だけど、僕は少しだけ誇らしかったのだ。他ならぬ彼女に認められたことが。


「ああ、そうだ。ひとつ伝えておかなければならないことがあるんだった」


 僕が感慨に浸っていると、改まった声で彼女は言った。


「なんですか、改まって?」


「スイのことだよ。スイの――声のことだ。あれはね。ただの人見知りというわけではないんだよ。もちろん、その割合も多分に含まれているんだけれど、それだけじゃなくてね。君も薄々は理解しているんじゃないかい?」


 言われて思いつく理由なんて一つしかない。


「彼女の母親……ですか」


「そう。その通りだよ。スイはね、ずっと束縛されて生きてきたんだ。聞いたところによると、小学校の低学年ごろに両親が離婚して以降ってことだから、ざっと十年くらいだろうか。あの母親が豹変してしまったのも、実際そのくらいの時期だったらしい」


 それから先輩の語ったことは、予想通りのことでもあり、予想以上のことでもあった。

 小箒さんは、母親から常々厳しい叱咤を受けていたらしい。

 あの日、あの時、ゲームセンターでもそうだったように、


『貴方は黙ッてなさいッ――――‼』


 それが彼女の母親の口癖で、幼い頃の小箒さんは少しずつ母親の前で話さなくなっていったようだ。


 けれど、彼女にはまだ友達がいた。学校ではまだ、笑って話すことができていた。年相応に、活発な子供らしく、笑みを浮かべることができていた。


 しかし、それができていたのもまた、そう長くない期間だけだったという。

 彼女の母親は、その束縛を強め、学内での行動にも口を出してくるようになったそうだ。


 友達は選べ、勉強が第一だ、と。

 事あるごとに彼女を叱り、そしてそれが上手いこと功を奏さないとわかれば、彼女の友人や学校の先生に嫌がらせのように小言を言うようになった。


 彼女の周りから人がいなくなるのに、そう時間はかからなかったらしい。


 ――彼女は失った。


 友達を。笑うことのできる環境を。話すことのできる相手を。

 そして、最後には――その声すらも、彼女は失った。


 話そうと思っても声が出ないのだそうだ。正確にいえば、声は少しばかり出るものの、どうしても掠れてしまうらしい。そのうえ、続けて喋ると喉が痛みだす。


 おおよそ十年間だ。

 彼女はそれだけの期間、声をほとんど出してこなかった。そうなってしまうのも無理からぬことだろう。


 そして、先輩はそんな彼女のために、ひとつのプレゼントを贈った。彼女がいつも抱えているタブレット。機会音声を出すことのできるアプリが入ったそれを、先輩は彼女へと贈った。


 そうしてようやく、彼女は手に入れたのだ。

 ――十年ぶりの話し相手を。


「だからね。君の作戦で行くならば、大切なことがひとつある。――時間を与えないことだ。一気呵成に攻め立てて、あの母親に言葉を発する機会を極力与えないことだ。仮にあの人が、その口癖で持ってスイを萎縮させてしまったら、この作戦の成功率は大きく下がってしまうだろう」


 彼女の助言に僕ははっきりと頷いて返す。

 言われるまでもなくそうするつもりだった。


「しかし、それにしても、よく今までバレませんでしたね? 部活に入ってることも、小箒さんは母親に隠していたんでしょう?」


「ん? ああ。そこはちゃんと調べていたからね。社会人ってのは、ままならないものなのさ。一日のルーチンなんて、そうそう変えられるものでもないし、あの人は平均的に帰りが遅い。部室に最後まで残っていたって、家に着くのはスイの方が先だよ。そしてあとは何食わぬ顔をして、勉強をしていた振りでもすれば、バレる要素はない。なにしろ、もう十年もそうしているんだ。娘が自分に隠れて反抗しているだなんて、思いもしていなかっただろうさ」


「なるほど」


 つまり、あの母親にとっては、小箒さんはなにも変わっていないように見えていたのだろう。

 従順な子供のまま。勤勉で無口な子供のまま。


「……あれ?」


「どうしたんだい?」


「あ、いや、どうってことではないんですが……小箒さんってゲーム好きですよね? 部室でもいつもやってますし」


「そうだね。でも、それがどうかしたのかい?」


「いや、意外と小箒さんの母親もゲームとか、そういうのを娘に買い与えてはいたんだなって」


「……ああ、いや。部室にあるのは、すべて私の私物だよ」


「えっ、先輩の?」


「ああ。私が試しにスイにゲームをやらせてみたら、思ったよりも食いつきがよくてね。目が爛々と輝いている様子があまりにも可愛かったものだから、いろいろと持ち込んでしまったんだ。スイの家にはゲームなんてまったくないそうだから、きっと娯楽に飢えていたんだろうね。まあ、それにしても……たった一ヶ月もしないうちに、どのゲームでも勝てなくなるとは思わなかったんだけれど」


「先輩でもですか⁉」


「あれは本当の天才って奴だろうね。今では手も足も出ないよ」


 完璧超人だと思っていた暁さんよりも上だとは、小箒さん恐るべし。

 しかし、まあそうなると――


「やっぱり大変そうですね」


「大変って、君の作戦がかい? おいおい、今更おじけづかないでくれよ?」


 いや、そうじゃなくって――と僕は彼女の勘違いを正し、決意を込めてこう言った。


「小箒さんにゲームでリベンジするのは大変そうだなって」

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