第16話
先輩に釘を刺されてから数日。
僕は彼女から言われたことを振り返り、自分なりにどうすればいいかを考えていた。
ただ、その思考はなかなか前には進んでいかない。考えているとどうしても、小箒さんの母親に対する怒りが湧き上がってしまうのだ。
子供をなんだと思っているんだ!
小箒さんを束縛するんじゃない!
と頭の中が真っ赤に染まる。そしてその都度、先輩の言葉を思い出して、溜飲を無理やり飲み下す。そんな思考のループにおちいり、日がな一日、悶々としていた。
もう考えても無駄なんじゃないか――そう思ったこともあったけれど、僕は愚直に考え続けることだけはやめなかった。
時間の無駄かもしれない。なんの意味もないのかもしれない。
ただそれくらいしか、僕に出来ることは残されていなくて。僕は僕のうちに残されたほんの少しの誠実さを手放したくはなかった。
そのおかげ――かはわからないけれど、そうやって考えているうちに、少しずつ冷静に現状を把握できるようになってきたように感じる。
僕はずっと小箒さんの母親の行動は間違っていると思っていた。それは非難すべき行いだと。
もちろん、今もそれが許されることだとは思っていないけれど、改めて冷静に考えてみると非難するための根拠が薄いことに気がついた。
子供に手をあげるような、虐待じみた行為であればそれは明確に法律に違反している。けれど、あの人のやっていることは勉強の強要であり、それ自体大なり小なり、どの家庭でも起きていることでもあるだろう。
宿題はやったのか、もっと勉強しろ、将来困ることになるのは自分だぞ、と僕自身口酸っぱく親から言われてきた。それを鬱陶しく思うことは多々あったけれど、だからといって、うちの親に小箒さんの母親と同じような憤りは覚えない。
じゃあ、どこかまでが許されて、どこまでが許されないのだろうか?
法律に明るくない僕にはわからないけれど、もしかしたら、それははっきりとは決まっていないのかもしれない。
しかしだとしたら、そこはまさしく空気の領域だろう。
誰もが善にも悪にもなり得る世界。
大事なのは『行為』ではなく、『結果』でもなく、『経過』ですらない。
――どう思われるか、だ。
なら、僕はどうすればいいのだろう――?
部屋に引きこもり目を閉じれば、僕は何物にもならずにすむ。外の空気にさえ触れなければ、善にも悪にも染められずにすむのだから。
転校前の僕が望んでいたように、今からでも隠れて生きれば、きっとまだ平穏な生活を手に入れられるだろう。
でも、そんなことでいいのだろうか?
小箒さんの顔が頭に浮かぶ。
いつも無表情で無機質さすら感じる彼女の表情。
初めの頃は何を考えているのか全くわからなかったけれど、最近は少しだけ感情を汲み取ることができるようになってきた。
僕とゲームをしている時の彼女は真剣だ。ちょっとだけ目をキリッとさせて、格下の僕にも全力で対応してくる。そして、勝利をもぎ取った後は、また少しだけ自慢げな顔を僕に披露してくれるのだ。
みんなと部室で会話している時。彼女の表情はやや柔らかい。機械音声で喋る彼女は、その見た目とは裏腹に活発によく話し、みんなと共に僕を罵倒する時の彼女は、心なしか楽しそうですらあった。
そして、記憶に刻まれた彼女の最後の表情は――
無意識にぐっと手に力が入る。
……こんな終わりでいいはずがない。
このストーリーが、僕の物語がそんな終わりでいいはずがないんだっ。僕の望んだ未来はこんな悲劇的な結末なんかじゃない。
たとえ最後は離れ離れになったとしても、その時は笑い合い、悲しみあって再会を祈願する。
そんな幸せにあふれた未来でなければ、僕は認めることなんてできないっ――。
認めることができない――?
……。
…………。
――――――嗚呼。
少しだけわかった気がする。
これが――これこそが
傲慢で、頑固で、笑ってしまうほどに自己中心的。他人がどうとか善悪がどうとか、そんなことはもはや関係なくて、ただ望んだ未来を貪欲に欲し続けるだけの歪んだ思考。認めたくないほどに醜悪なそれは、ただ間違いなく僕の中心にあった。
なら――僕のやるべきことは決まっている。
だってそうだろう?
これが僕だというのなら、それを失って生きていくことなんて、きっとできはしないのだから。
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