第14話
翌日から
既にもうあれから一週間――。
彼女の置かれた状況を、僕はあの時よりずっと詳しく知っている。夕星さんやクラスメイトから聞かされたその内容は僕の想像のはるか上をいっていた。
小箒さんの母親。
あの機械のように冷徹な人は、もう既に数々の問題を起こしているらしいのだ。その数は一度や二度というレベルではなく、数十にのぼるという。
小箒さんと仲良くなった生徒への嫌がらせや暴言。教師の能力不足を揶揄する発言や叱責、繰り返される苦言、苦情の電話などなど。この学校では危険人物として、学生、教師問わず認知されているらしい。
理由はわからないが、恐ろしいほど娘の学力に執着していて、それをほんの少しでも妨げる存在が我慢ならないそうだ。
――僕には理解できそうになかった。
まだ小箒さんの学力が他人と比べて劣っているのなら、子供の未来を案じている母親として理解はできていたのだろうけれど、実際はそうではない。
むしろ、先輩も言っていたように、前回の中間テストでは勿論、これまでの学内テストでも常に学年一位をとり、もはやこの学校では比肩する生徒がいないレベルなのだそうだ。
いったい小箒さんの母親はなにを目指しているっていうんだろうか? 東大どころか海外にでも留学させるつもりなのか? いや、だとしても、本人の希望を無視する理由にはならないだろう。
不意にあの時の発言を思い出す。
『――貴方は黙って従っていればいいのよ』
従っていればいいってなんだよ?
子供を自分の所有物とでも思ってるのか?
あんたは何様のつもりなんだ?
沸々とはらわたが煮えくりかえってくる。
しかし、結局のところ、僕なんかにできることはなにもなかった。僕にできるのは、せいぜい事態が好転することを祈るだけで。あとはまるっきり無力な子供でしかなくて。
部室の中、どうしようもない焦燥感と怒りに苛まれつつ、僕は本を開いてじっとしている他なかった。形ばかり開いているだけの本の中身は、まったく頭に入ってこなかったけれど、そうでもしていないと――そうやって、日常通りの行動をしていないと、平衡感覚を失って今にも崩れ落ちてしまいそうだった。
「――落ち着きなって」
「え?」
急な
部室には僕と夕星さんしかいなかった。
夕星さんは僕の正面の席に座って、いつものように参考書を広げている。彼女もまた、そうやってまたぞろ普段通りにしていないと、落ち着かないようだった。
「手強く握りすぎ、それじゃページに皺ができちゃうじゃん」
「あ、ああ……うん、ありがとう」
「ムカつくのもわかるし、焦るのもわかるけど、今は待つしかないって。うちらが感情的に動いてどうこうなるもんじゃないし。特にあたしなんか周りの評価マイナスだからね。下手に動くと逆に暁たちの足を引っ張ることになりかねない。――大丈夫だって。あいつ、こういう時は頼りになるからさ」
「そう、なんだろうけど……」
先輩はここ数日、部室に顔を出していなかった。夕星さんいわく、陰でいろいろと動いてくれているらしい。たしかに、それ自体は心強いことだった。だけど、それに比べてなにもできない自分が、どうしようもなく不甲斐なかった。
気分が落ち込むのを感じる。
「まあ、いざとなったら、あたしが彗ん家に殴り込みに行くから安心して待っとけって」
僕を励まそうとしてくれたのか、力こぶをつくるようなポーズで夕星さんは言う。
ただ、安心できる要素はまったくなかった。
力に訴えたら駄目だと思うよ?
「ま、それは冗談にしても」
目は割とマジでしたよ……。
「彗のためなら、あたしはなんだってするよ? でも、今回だけは失敗できない。もしここでうちらが下手こいたら、もう二度と彗と会えなくなるかもしれない。大袈裟だって思うかもしれないけど、あの母親、中学の時は気に入らないからって二度も転校させてるらしいし。またやらないとも限らないでしょ? 最悪、遠くの県にでも引越されて連絡手段なんかも潰されたら、会うことはおろか喋ることだってできなくなるかもしれない。あたしは――それだけは絶対に嫌」
だから――と彼女は続けると、席を立ち微笑みを浮かべながら僕をこづいてくる。
「――暴走だけはすんなよ」
冗談めかしてはいるけれど、その忠告には真剣さが伴っていた。
「……うん。勝手なことはしないよ」
「なら、よし!」
彼女はそう言って口角を上げる。
「ただまあ、あんたがどうしても気になるってんなら、暁に今なにをしてるのかくらい訊いてみてもいいんじゃない? あいつも今は忙しいだろうから、あんま邪魔にならない程度にね」
その提案は僕に天啓のように響いた。
そうだ。きっとあの場所でなら、暁さんと落ち着いて話すことができるんじゃないか?
少しでも手伝えることがあるのなら、僕も力になりたい。これは僕の自己満足でしかないかもしれないけれど、なにもせず静観しているのは僕にはもう我慢ならなかった。
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