第13話

 

 僕が小箒こぼうきさんとゲームをする仲になって数日。


「つまらない――……つまらない、つまらない、つまらないぃぃぃぃ――――ッ‼ ということで、なにかしよう‼」


 先輩が唐突に発狂した。


「……なにが『ということで』なんですか?」


 ……ほんと唐突すぎるでしょ。

 あと急に大声出すのやめてくださいよ、ビックリするから。


「人生とは自らにとって有意義でなければならない。私はそう考える。無意味な時間を過ごすことは死んでいることと同義だろう。故に――‼ もっと有意義なことをしよう‼」


「って言われても……」


 有意義なことってなに?

 そもそもうちの部の存在意義の方がよっぽど謎なんだけど?


「別にいいけど、なにすんの?」


 夕星ゆうづつさんが教科書を閉じながら僕の心の声を代弁してくれる。


「そうだね。さしあたっては、青春っぽいことをしよう‼」


「いや、ザッっっっツ‼ 驚きの雑さ加減にさすがのあたしもドン引きだよ? え、もう少し具体的なこと考えてないの?」


「この行き当たりばったり感こそ、青春における最高のスパイスだろう?」


 夕星さんは頭を抱える。


「それあんたの感覚がぶっ壊れてるだけだから、それを基準にしたら駄目だって前にも言ったじゃん?」


「ひどいなぁ。前回だって楽しかっただろう?」


「逆に、前回のアレでどうしてそんな自信満々なわけ?」


 言葉の端々に強い実感がこもっていた。

 僕が気になって「前回なにやったんですか?」と訊くと、小箒さんが小刻みに体を震わせて言う。


『鳥になってきた――』


 鳥ってどういうこと? ってか、なんでそんなに怯えてるの? え、なんか怖いんだけど?


「――わかった。今回はうちらが決めるから暁は口出ししないで」


「えー」と不満たらたらな暁さんを無視し、夕星さんが中心となって翌日のプランを練り始める。


 ただ、あまり行ったことのないところで刺激的で楽しいところ――というざっくり極まりない意見や、毎回挟まれる暁さんからの駄目だしのせいで、結局は先輩がほとんど決めたような形になってしまった。


 駅前のゲームセンターへ遊びに行くという比較的無難な選択肢に落ち着かせたことだけが、唯一もぎ取った僕らの戦果である。



 駅前の複合商業施設アタラクシア。その三階フロアの大部分を占めるゲームセンターは、近くにある同様の施設の中でも上位の規模を誇っている。僕はゲームセンターという場所に特段思い入れもないし、こうやって立ち入るのは子供の頃以来のことになるけれど、買い物にくる道すがらこの場所を見かけたことは何度かあった。ゲームに目がない僕である。興味がなかったと言えばたぶん嘘になってしまうだろうけれど、ただそれ以上に、その立地の良さからくる人の多さが、この場所を訪れることを僕に敬遠させていた。


 だって、大体こういうところって友達と来ている人が多いイメージだし、そんな中一人で入っていくのって、なんというか気まずいじゃないか。一人でなにしてるの? とか同級生に言われたものなら、立ち直れる気がしない。


「それじゃ、行こうか諸君――‼」


 ただ今日に限っては、僕は一人じゃなかった。先輩の号令と共に、僕ら四人はその中へと入っていく。正面を覆うクレーンゲームの林を抜けて、音ゲーの筐体が支配する一帯を抜ける。銃型のコントローラーが設置されたガンアクションのゲームを横切ると、その奥には車のハンドルがついたレースゲームがぞくぞくと見えてくる。本当に多種多様なゲームが揃っていた。


 ただこうして見回っているだけでも、目も耳も渋滞を起こしてしまいそうな情報量だ。

 その鼓膜を揺るがす振動に、目を惹きつけてやまない電子の光に、僕は自然と気分が高揚していくのを感じる。


 隣を歩く小箒さんも僕と同じ気持ちのようだった。


『――優人。アレやろう、アレ』


 早速、僕の袖をくいくいっと引っ張りながら小箒さんは言う。彼女が熱視線を送っていたのは、僕も知っている有名な格闘ゲームだ。

 僕が暁さんの方を振り返ると、「こちらは気にしなくていいから行ってきたまえ」とGOサインが出る。


 ――よし折角だ。部室での雪辱を果たしてやろう。


 僕は意気込んで、百円玉を投入した。

 


 それから僕らは四人でレースゲームをしてみたり、馬の模型に乗って遊ぶ謎の乗馬ゲームに挑戦してみたりと、いろいろなゲームを遊んで回った。


 対戦ゲームでは小箒さんに結局一度も勝つことはできなかったけれど、少し前の僕ではきっとこんな気分は味わえなかっただろう。そう思えるほど、得も言えぬ感覚が体中を満たしている。充実感と高揚感がないまぜになった純液を体に流し込まれているかのようだった。


 ただ、いささか羽目を外しすぎてしまったようだ。散々遊びまくった僕らはさすがに疲労がピークに達する。


「いったん休憩にしようか」


 先輩の提案に反対する人はいなかった。

 近くの自販機で各自飲み物を買って、併設されていたベンチへとへたり込む。

 その間も話題は次になにをやるかで持ちきりだった。


『次なにする?』


「エアホッケーとかどうかな?」


「いや、止めときなってどうせあんた負けるんだし」


「なんで僕が負ける前提なの⁉」


『優人は運動も微妙』


「『も』ってなにさ⁉ いや、言いたいことはわかるけど‼」


「なに、気にすることはない。君には優しさがあるさ」


「それ他に褒めるところがないだけでしょ⁉」


 そんな他愛のない会話すら楽しかった。

 みんなで笑い合うことがこんなにも面白いと感じるなんて僕は今日まで知らなかった。

 時間の流れが早く感じる。もうそれほど時間が残っていないことがすごく残念だったけれど、また次も来ればいいのだと僕は思い直した。

 次はあれをやろう、これをやろうと、想像が風船みたいにみるみるうちに膨らんでいく。


 ――そんな時だった。

 その人が現れたのは。


「彗――?」


 どこからか小箒さんを呼ぶ声が聞こえた。

 でもその声は、暁さんでも夕星さんの声でもなくて、僕が自然と声の方を振り向くと、そこにはスーツ姿の女性が信じられないものでも見るようにして固まっていた。


 見たことのない人だ。店で飾られているマネキンみたいに服を着こなし、背中に鉄でも入っているみたいに姿勢がまったく崩れていない。

 機械みたいな人――失礼だけれど、そんな感想が思い浮かぶ。


 そういえば小箒さんのことを呼んでいたっけ?


 僕が遅れて小箒さんの顔を伺うと、彼女の顔は今まで見たことがないほどに真っ青になっていた。


「貴方、こんなところでなにをやっているの?」


 底冷えしてしまいそうなほど冷たい声が響く。


 なにが起こっているんだ? そもそもこの人は誰なんだ? 小箒さんの母親? にしたって、どうしてこんなにも怒っているような声を出すんだ?


 頭の中で疑問が渦巻く。

 ただ不味いことが起きているらしいことだけは、にぶい僕でもわかった。


「横から失礼。彗さんのお母様ですよね? 私たちは彗さんの学友なんです。たまたま近くでお会いしたので、少しお話しさせてもらっていたんですよ」


 暁さんが平然と嘘を吐く。言葉遣いこそ丁寧に、友好的な雰囲気を装っているが、目は笑っていなかった。


「貴方達は、彗の友人ということでいいのかしら?」


 小箒さんの母親は、その視線を先輩へと向ける。無論、その視線も友好的とは程遠い。


「はい、そうなんです。彗さんとは――」


「そう。なら――やめてくださいますか?」


 やめる? やめるってなにを?


「えっと……なにをやめればいいんでしょう?」


 僕と同じ疑問を暁さんは口にする。すると、こんなこともわからないのかと、そう言わんばかりに顔を顰め、吐き捨てるようにその人は言った。


「彗に関わることをです。学生の本分は勉学でしょうに、こんなところに連れ出すなんて本当に信じられない。こうしている間にも貴重な時間がなくなっているんですよ? わかりますか? まあ、わからないんでしょうね、貴方達には。頭を金髪に染めるくらい非常識なんですから」


 捲し立てられた言葉を咀嚼するのに随分と時間がかかった。意味がわからなかったわけじゃない。ただ理解したくなかっただけなのだろう。

 ここまではっきりと他人に嫌悪感をぶつけられるのは初めてだったから――。


 でも、言葉が頭に浸透するにつれ、どうにかなってしまいそうなほど怒りが湧き上がってくる。


「お言葉ですが、彗さんはもう十分勉学に励んでいると思います。前回の中間テストでも学年で一番の成績だったと聞いていますが?」


「小さな学校の中でトップになっただけです。そんなことで満足する方がおかしいのよ」


 小箒さんがそれほど勉強ができただなんて、僕はこの時初めて知ったけれど、その意外な事実に驚いてはいられなかった。僕は精一杯だったのだ。ひたすら冷静になろうと努めるのに。

 でなければ、なにを言い出してしまうのか、自分でもわからなかった。


「息抜きも必要だと思いますが? そちらの方が学習効率も上がるはずです」


「貴方の勝手な想像なんて聞いていません」


「本人の意志が重要では?」


「子供に判断ができるわけないでしょう? それにこれはうちの問題です。関係もない人が口を挟まないで! ほら行くわよ、彗」


 そう言って、その人は僕たちから離れようとする。でも、小箒さんはその場から動こうとはしなくて、怪訝そうにしながら振り返った。


「なにしてるの、早く来なさい」


 小箒さんはじっと黙っていた。先程までとは打って変わって生気のない蒼白い顔を俯かせ、ぎゅっと手を握りしめている。彼女の内側で不安や恐怖が津波のように押し寄せているのが伝わってくるようだった。


 けれど、彼女はその波に抗うようにして顔を上げると、


「あ……あぁ……」


 喉の底から声を捻りだす。僕が初めて聞いた彼女の本当の声。今にも折れてしまいそうな枝のようにか細いその声は、けれど、その内に確かな意志を感じさせるような強さもあった。


 視線が上向く。言の葉が形になっていく。


「わ、わたしは……――」


 ――そうだ。言ってやれ‼


 燻っていた思いが心の中で彼女の背を押そうと燃え盛った。あと少し。あと少しだけ勇気をだしてくれ、と。


 だけど――


「貴方は黙ッてなさいッ――――――――‼」


 ヒステリックな声が空気を震わせると、世界のすべてが止まってしまったかのように沈黙した。キーンと耳鳴りがなる。息をすることすら数秒の間忘れていた。現実が急にずっと遠くへ行ってしまったかのようだった。


 ぼんやりと靄がかかった意識が少しずつ晴れていくと、間の抜けた妙に明るいゲームの音と、――うなだれて反抗の意志がすっかり刈り取られてしまった小箒さんの姿を脳がとらえる。


 その瞬間、崖に突き落とされたかのような絶望感が僕を襲った。


「……まったく、いつも言っているでしょ。貴方は黙って従っていればいいのよ」


 大声を出してしまったことを気にしたのだろう。小箒さんの母親は一瞬周囲を気にしつつも、娘の腕をつかみ強引に引き寄せると、


「それにしても本当に信じられないわ。こんな子達があの学校にいるなんて、ほんと最悪」


 そんな捨て台詞を残して、小箒さんを連れ逃げるように去っていく。僕らはそんな姿をただ見ているしかなかった。


 僕や夕星さんはおろか、あの暁さんでさえ心ここにあらずの様子で呆然と佇んでいる。二人の姿が見えなくなって、ようやく先輩が顔を上げると気力ない声でこぼす。


「すまない。これは私の責任だ――……」


 重々しく呟かれたその言葉が、今ここで起こったことが現実であることを未だ悪夢の中にいた僕に教えてくれた。

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