第二章 ろくでなしは正義を騙る

第12話


 部室は緊張感に支配されていた。

 僕も含めた部員全員が固唾を飲んで、その瞬間を待っている。

 夕星ゆうづつさんが腕を上げた。

 その手は一直線に僕の目の前まで伸びてきて、逡巡すらもはやない。これで全てを決めるという決意が彼女の瞳からは伝わってくるようだった。


 僕はそれを諦観の内で見つめる。抵抗する余地などもう残されてはいなかった。

 そうして、彼女は僕の手から悠々とカードを奪いとると、勝ち誇った笑みを浮かべて言う。


「――あがりっ」


 机に投げ出されたカードには、ジョーカーは含まれていない。


 十連敗目――。


 そんな現実が僕の目の前にあった。


「いや、あんたババ抜き弱すぎでしょ。ってか、顔にいろいろ出過ぎ。そんなんだから友達もできないんじゃない?」


「いや関係ないよね、それ⁉」


 僕が反論すると、それじゃあとばかりに彼女は続ける。


「そんなんだから彼女もできないんじゃない?」


「それも関係ないからねっ⁉ あと次いでとばかりに悪口を言わないでくれる?」


「そんなんだから人間とも思われないんじゃない?」


「それはもはや悪口ってレベルじゃないよッ⁉」


 僕がこの部に残留することを決めたあの日から、もうざっと二ヶ月。夕星さんの毒舌は日増しに酷くなっている。まあ、本気で言っている感じでもないし、ほんの冗談のつもりなのだろうけれど、このまま切れ味が増していってしまうと、いつの日かさっぱりと切り捨てられてしまいそうで恐ろしい。そうなったら、心の弱い僕としては、立ち直れる自信がなかった。


「駄目だよ、愛美。そんな言い方しちゃ」


 珍しいことに、先輩が夕星さんの言葉を嗜めるように言った。

 普段は当然のように乗っかってくるくせに、どういう風の吹き回しだ? などと思っていると、


「ちゃんとそこは『ざーこざーこっ‼』って言ってあげないと。優人くんが興奮できないじゃないか!」


「そんなんで興奮しねぇよ⁉」


 ってか、やっぱり乗っかるんじゃねぇか‼


『ざーこざーこっ‼』


小箒こぼうきさんも乗らなくていいからねっ⁉」


「かーすかーすっ‼」


「だからそれは、純粋な悪口でしょうがッ‼」


「お、さすが愛美。いい罵声だね」


 いい罵声ってなんだよ? 人生で初めて聞いたよ⁉


『うん。ナイス、罵声』


 ああ、もうっッ――‼


「僕を罵る時だけ一致団結するのやめてくれないッ⁉」


 近頃はずっとこんな感じだった。

 二週間ほど前であれば、まだこの部にも良心と呼べるものがあったのだけれど、それも遂には失われてしまった。


 ――小箒 彗さん。


 極度な人見知りでタブレットやパソコンからの機械音声で会話するやや変わった人だ。

 だけど、性格は純心と言ってよく、他人を疑うことをせず、この部では貴重な僕に優しい人間だったのである。ただ純真が故に周囲からの影響を受けやすく、暁さんや夕星さんの悪影響によって既に変容してしまっている。


 この間なんて暁さんから「いいかい? 優人くんは罵られると喜ぶから、ちゃんと蔑んであげるんだよ」なんて根も葉もないことを言われたらしく、突然僕の目の前に来たかと思えば『変態』と機械音声で罵ってきた。僕がその誤解を解くのにどれだけ苦労させられたか、それは言うまでもないことだろう(というか、まだその誤解は継続中である)。


 そんな小箒さんだけれど、僕は正直あまり彼女のことをよく知らなかった。純心で背が低く、無表情であることが多い――という表面的なことを除けば、僕が彼女について知っていることは――


「よし! ババ抜きはこのくらいにしておこう。今日は少し読みたい本もあるからね」


 暁さんが場を締めくくると、みんな各々好きなことをし始める。これが最近のお決まりの流れだった。といっても、毎回ババ抜きをしているわけではなく、部員全員でなにかを一緒にやった後、個々に分かれるといった感じだ。


 暁さんはいつものように分厚い本を読み始め、夕星さんは意外なことに(こんなことを言うと怒られそうだけど)教科書を取り出して勉強をし始める。


 そして小箒さんはというと――


 ダダダダダダッ‼ ドッーン‼ ダダダッダダダッ‼


 パソコンでゲームをやり始めていた。

 角度的に画面は見えないが、イヤホンから漏れ聞こえる音からして、FPSでもしているのだろう。


 僕が彼女について表面的なこと以外で唯一知っていること。それは彼女がゲーム好きであるということだった。

 彼女は必ずといっていいほどこの時間にゲームをしている。この部に何故か散在している各種据え置きゲーム機や携帯ゲーム機。これらを代わる代わる遊び尽くしているのだ。


 ところで――


 話は変わるが、僕は自分のことをまだまだ子供だと思っている(成人前なのだから、当たり前といえば当たり前なのだけれど、そういうことではなく)。


 僕が読書をするとなったらラノベくらいしか候補にないし(暁さんのように分厚い専門書なんて絶対に読まない)、受験という現実に切羽詰まりながら、それでもなかなか勉強する気にならず、奇跡でも起きてなんとか上手いこといかないかなーと甘えたことを考えていた僕である。夕星さんのように率先して勉強をするなんてこともまずあり得ない。


 僕は非常に子供びた子供なのだ。

 そして、子供が興味を惹かれるものと言ったら、やはりゲームだろう。

 FPSにアクションゲーム、格闘ゲームにストラテジー。特にこれが好きというジャンルはないが、どれもこれも違った魅力があって、僕はどれも好きだった。


 つまり、なにが言いたいのかというと――僕は小箒さんのしているゲームにもの凄く興味があるのだ。この部に入部してからずっと、気になってはいた。


 しかし、僕とて伊達に友達いない歴をここまで積み重ねてはいない。話しかけるタイミングを見計らう能力なんてものは当然なかった。

 持ち込んだラノベを読んだり、スマホでゲームなりをしているうちに、部活の時間はあっという間に過ぎていき、そして今日も、話しかけることができないままに、太陽は地平線へと沈んでいく――。

 


「えっ? 二人とも休みってこと?」


『うん。用事があるらしい。二人とも今日は部活にいけないと言ってた』


 小箒さんからそう伝えられたのは、そんな折りだった。


 先輩と夕星さんは不在。つまり、今日一日、部室は僕と小箒さんだけということになる。

 これは話しかける絶好のチャンスだと思った。


 暁さん達がいると話しかけられないというわけではないけれど、二人が読書なり勉強なりしている横でわいわいゲームをするのはどうにも配慮に欠けるだろう、と常々思っていたのだ。

 僕はこの好機を逃すまいと、勇気を出して言ってみる。


「ね、ねぇ、小箒さん。今日はなんのゲームをしてるの?」


 彼女は一瞬振り向いたが、すぐにパソコンに視線を戻す。そして、彼女が素早くカタカタっと打ち込むと、


『FPSと呼ばれるジャンルのゲーム』


 もうだいぶお馴染みの機械音声が流れてきた。


「へ、へぇ、そうなんだ。それって面白い?」


『うん』


「えっと、よくやるゲームなの?」


『うん』


「小箒さんってゲーム好きだよね?」


『うん』


「やっぱりそうだよねー」


 やっぱりそうだよねー、じゃないよ、僕ッ⁉ せっかく話しかけられたのに、なにしてるの⁉


 自分で自分に突っ込んじゃうレベルのコミュ障っぷりに動揺を隠せない。

 たびたび夕星さんにコミュ力の低さをからかわれることもあったけれど、言ってもそこまで酷くはないだろうと自分では思っていたのだ。しかし、こうして現実を目の当たりにしてみると自分のコミュ力の低さに愕然とさせられる。


 ……結構ショックだった。


『やってみる?』


 すると、わりとガチめに意気消沈している僕に対し、驚いたことに小箒さんの方から提案をしてくれる。


「えっ、いいの?」


『うん。構わない』


 小箒さんはそう言って僕に席を勧めてくれる。嬉しかった。彼女のやっていたゲームができるということも勿論あるが、なにより譲ってくれた彼女の優しさが温かく感じる。


 僕はありがとうとお礼を言ってから席に座り、喜びを噛みしめながら早速動かしてみようとする。だがそこでようやく思い至った。


 あれ、これどうやって動かすの?


『WASDで移動』


 見兼ねた小箒さんからの説明。


『マウスで視点移動。走るのはShiftキーで、ジャンプはスペース』


 ……難しすぎない?

 パソコンでゲームって、専用のコントローラー繋げてやったりするんじゃないの?


 据え置きゲーム機でしかほとんど遊んだことのない僕には難易度が高過ぎた。画面ではピクピクと不安定な動きをしていた自キャラが、敵にやられてチェックポイントへと戻されている。


『別のゲームにする?』


「……うん、お願い」


 恥ずかしい限りだった。

 ゲームをやらせてほしいと言い出すことすらできず、気を利かせて席を譲ってもらった挙句、操作方法すらままならないなんて……。ゲーマーの端くれとして情けない。


『このゲームはどう?』


 小箒さんは部室にあったゲームのパッケージをいそいそと掲げて言う。彼女の表情はいつものように無表情ではあったけれど、その忙しない動きにはどこか浮かれている感じがあった。

 彼女も少しは楽しいと思ってくれているのだろうか?

 だとすれば、それがせめてもの救いだった。


 

 それから僕たちはいろいろなゲームを遊んでみることにした。どうせなら二人でできるゲームにしようと言うことで、対戦ゲーム系を中心に数本。ジャンルも別々のタイトルを選ぶ。


 コンシューマー機のFPSから始まり、落ちモノ系のパズルゲー、リアルタイムストラテジーと続く。それぞれ僕も触ったことのある有名どころの作品だった。どれもこれもやり込んだとまではいえないけれど、とはいえ苦手なゲームというわけでもない。


 しかも、相手は女の子だ。小箒さんがゲーム好きなことは疑いようもない事実ではあるけれど、それとゲームの腕前はまったくの別物だろう。適度に手を抜いて彼女に花を持たせてあげてあげないとな。



 ――なんて、クソ甘なことを考えていた二時間前の自分をぶん殴りたかった。

 

 なんで当然のように勝てる前提だったの?

 別にお前(僕)ゲームが上手いわけでもないじゃん?

 なに調子に乗ってんの?

 

 と、脳内で自己批判に明け暮れる程度には、対戦結果は惨憺たるものだった。


 まず初めのFPSでは、NPCを交えた標準的なチームデスマッチをやったのだけれど、僕はほとんどなにもさせてもらえなかった。レミントンM七〇〇というスナイパーライフルを使用する小箒さんに対し、僕はこのゲームの強武器の一つであるヴェクターと呼ばれるサブマシンガンを使用した。スナイパーライフルとサブマシンガンでは有効射程に差があるので、僕はまず遮蔽物を利用しながら距離を詰めにいく。


 しかし――


『あまい』


 パァァァンッ――‼


 遮蔽から身を出した瞬間のヘッドショット。僕のキャラクターは小箒さんのキャラを捕捉ことすらできなかった。


 その後も何度となく一方的に撃ち抜かる。彼女からしたら七面鳥でも撃っている気分だったろう。最後の最後だけは味方のNPCを壁にしつつ意地で肉薄できたけれど、華麗なクイックショットを近距離で頭に撃ち込まれ、僕の心はポッキリと折れてしまった。


 パズルゲームも酷かった。小箒さんのリアルタイムアタックもかくやというスピードの組み上げ、そしてそこから始まる怒涛の連鎖。僕はなすすべもなく、唖然とするしかなかった。


 しかし、なんといっても一番酷かったのは、最後にやったストラテジーゲームだ。硬派でストイックなゲームを標榜するこのゲームはリアルタイムに膨大な操作を要求してくる。

 国を作るシュミレーションゲームのような側面もあり、国を富ませる内政と相手を倒すための軍事。それをバランスよく伸ばすか、どちらか片方を極端に伸ばすかを選択しながら、相手の国を滅ぼせば勝利となる。


 僕は内政を強化する方を選択した。軍事力は最小限に一気に内政をブーストし、後半にその内政力を活かして逆転することを狙ったのだ。だが、彼女にはそんな僕の浅はかな考えなどお見通しだった。いや正確にいうと、最初からわかっていたわけではないのだが、相手を偵察できる斥候ユニットを使って僕の国をつぶさに観察し、僕が内政に注力するのをみて即座に軍事に力を入れたようだ。そして、細かな操作で僕のなけなしの軍隊を効率よく溶かし、その物量でもって僕の国を灰燼に帰していく。


「……負けました」


『うん。gg』


 無表情のまま彼女はコクリと頷いて返す。


「小箒さんって本当にゲームが上手だね。手も足もでなかったよ」


『そんなことはない。わたしより上手い人はいっぱいいる』


「それはそうかもしれないけど……ここまでいろんなゲームができる人ってそんなにいないんじゃないかな? やっぱり凄いよ」


 それに小箒さんの頭の回転の速さや行動の正確さには舌を巻くしかない。彼女の手元をチラッと覗き見たりもしたのだけれど、時々動画で見るプロゲーマーのような手捌きだった。


『……』


「小箒さん……?」


 あれ、どうしたんだろう? 急に黙っちゃったけど……?


『……つまらなくなかった?』


「え?」


 思いがけない言葉に僕は少し動揺する。


「い、いやつまらないなんてそんなことなかったよ! うん、その、すごく楽しかった‼」


 月並な言葉しか出てこない自分が恨めしい。


「それに――むしろ僕の方こそごめんね」


『? ……どういうこと?』


「ほら下手くそすぎて、手応えなかったでしょ?」


『そんなことは……いや、間違えた。――Noobすぎて草生えた』


「だから罵られても嬉しくないよ⁉」


 それめっちゃ引っ張るじゃん⁉


「まあその、だからさ……また一緒にやらせてくれないかな? 次はもう少し練習しとくから」


 僕がそういうと、彼女はほんのちょっとだけ目を見開いたように見えた。


『うん。――また一緒に遊ぼう』


 平坦なはずの電子ボイスが、心なしか弾んでいるように聞こえたのは、きっと僕の気のせいだろう。

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