第11話


 夕星ゆうづつさん家でホットケーキをご馳走になった帰り道。青々とした空を眺めながら、僕はまた考えていた。

 暁さんのいう通り、現在の僕という人間が過去と未来の間にしか存在し得ないのだとしたら、過去はともかく未来の自分を想像できなければ話にもならないだろう。


 未来の自分。

 つまりは――なりたいと思える自分だ。


 ただ僕には、将来の夢なんて呼べるものはなにもなかった。なにかしら才能があったならば、なりたいかはともかくとして、頑張ればなれるだろうと思える未来があったのかもしれないけれど、そんな未来も全く見えない。

 思い描ける未来なんて、ヘコヘコ頭を下げながら日々やりたくもない労働に従事する僕くらいのものだ。


 しかし、だとしたら、どうすればいいんだろう? その見えている未来へと向かうしかないのだろうか?


 いや、でも――彼女は言っていたはずだ。その思い描く未来は自分の望むような未来でなければ、つまり、ストーリーとして魅力的でなければならないと。


 でも、そんな未来は僕には思い描けそうになかった。これでは八方塞がりだ。


 ……いったんこの方向で考えるのはやめよう。

 それよりもまず、僕がこれから――言うなればより近い未来において、どうしたいのかを考えてみよう。

 僕は自由部を辞めたいのか、それとも続けたいのか。


 少し前、僕は自由部を退部する方向に傾いていた。部にいるメリットより明らかにデメリットの方が大きくて、残り続ける意志も僕にはなかった。けれど、暁さんの気持ちを聞いて、夕星さんの過去を知って、今ではその気持ちも揺らいでいる。


 先輩は願っていた。僕が彼女たちの味方であることを。

 夕星さんには苦難の過去があった。そしてそれ故に自由部に依存し、あの部を守りたいと切に願っている。僕にやたらと当たりが強かったのも、きっと外部からやってきた異分子への危機意識のようなものだったのだろう。


 その切実さを思うと、僕は自由部に残るべきなんじゃないかと、そう思ってしまう。

 このまま僕が部を抜ければ、自由部はまた部員不足で廃部の危機に陥るだろう。そして、夕星さんの性格や立場を思えば、また正式に部員が入部してくれるかは怪しいものだ。


 彼女たちのためを考えれば、僕がいくらか我慢しても残ることが最善なんじゃないだろうか? 


 でもそれは、自分のやりたいことなのだろうか?


 ただ僕は自分が善人であるのだと思いたいだけなんじゃないか?


 くだらない正義心。偽善でしかないんじゃないだろうか?


 頭の中でぐるぐると思考が巡る。

 だけど、それらはなかなかひとつに纏まってはくれなかった。


 ――と、そこで。

 不意に夕星さんの声が蘇る。


『偽善にしてもなんにしても、なにもしなよりはいいんじゃない?』


 偽善でもいい――本当にそうだろうか?

 いささか短絡的すぎると、あの時は思ったけれど、でも仮にそれでもいいのだとしたら――僕のこのちっぽけな思いが、これがもしほんの少しでも他人の役に立つというのなら、それで――


 ――――いいじゃないだろうか?

 


 週明けの月曜日。

 僕は部室の椅子に座って待っていた。なんだか落ち着かず、一人でそわそわとしていたけれど、待ち人もそう時間をおかずにやってくる。

 部室の扉を開けて夕星さんが入ってくると、彼女は少しだけ驚いた表情をした。


「なに、また来たの?」


 少し険のある声。僕はそれに怯まないように勇気を振り絞って言葉を返す。


「うん、僕がそうしたかったから」


 彼女の方が一瞬怯んだようだった。

 でも、すぐに調子をとり戻すと、正面の椅子にどかっと座る。そして、一見興味のないそぶりで「あっそ」と言った。


 短い答えだ。

 愛想なんてものは全くないようにも思える。けれど、心なしかその声は優しさを帯びているように感じた。


 ――優しい人間でありたい。


 それがどれだけちっぽけで、偽善的で、くだらない願いだったとしても、それでいいんじゃないだろうか。


 今の僕はそう思う。


 だって、この部のみんなが笑って過ごしている未来は、僕が思い描ける他の未来よりも、よっぽど魅力的な世界のように思えるのだから。

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