第6話


 翌日から夕星ゆうづつさんが部室に来なくなるんじゃないかと心配していたけれど、彼女はそれからも欠かさず部室へと顔を出してきた。


 とはいえ、機嫌を直してくれたわけではないらしい。定位置の席にドスっと座ると、僕をひと睨みしてチッと舌打ちをしてくる。これが一種のパターンと化していて、その度に僕の胃へとダメージが蓄積されていった。僕の胃はもうボロボロである。


 さらに最悪なことに、部室へとくるタイミングも、一番最初に僕。次に夕星さん、そして最後に暁さんと小箒さんがセットでくる――みたいな形で常態化してしまっていて、こうなると当然、夕星さんと二人きりになる時間ができてしまう。その時間の空気の酷さたるや、筆舌に尽くしがたいほどのもので、近い将来、僕が胃潰瘍に罹患することはもはや疑いようもなかった。

 せめて穴が開かないよう僕は切に祈っている。父の二の舞は嫌だ。


 勿論、部室へ向かう時間を遅らせることは僕も真っ先に考えた。

 しかし、それはそれで夕星さんを露骨に避けるような形になってしまうし、今以上に敵対視されては元も子もない。彼女とほんの少しでも仲良くなって、現状を打破すること――それが今の僕の切実な目標だった。


 けれど――


「あのさ、夕星さん。それってなに読んでるの?」


「……」


「僕もときどき本を読んでるんだけど、なにかオススメとかあるかな?」


「……」


 僕が話しかけても彼女は反応すらしてくれない。いつもこんな調子だった。

 どうすればいいんだよ、ホント……。

 今日も今日とて、そうやって打ちひしがれていると、


「――ねぇ、あんたさ」


 初めて夕星さんから話しかけられた。


「……えっ、ぼ、僕⁉」


 急なことだったから、ついついどもってしまう。


「話しかけられたくらいでいちいちキョドンなよ。気持ちわりぃ」


 ひどくない⁉


「……ご、ごめんね。話しかけてもらえるとは思ってなくて……それで話ってなにかな?」


「――あんたさ。それ、楽しいの?」


「楽しい?」


「毎日無理して部活来て、嫌いな相手に向かって愛想笑いして、ほとんどなにもせず周りの顔色ばっか見て。それって楽しいの?」


 ――楽しくない。


 喉から出かかった言葉を押し戻す。

 そんなことを言ってしまったら、元の木阿弥だ。せっかくここまで頑張ってきたのに全てが無駄になってしまう。彼女を失望させるようなことは言わないようにしないと。


「……えっと、うん。楽しいよ」


「辞めりゃいいじゃん」


「え?」


 一瞬、彼女がなにを言っているのかわからなかった。


「部活、辞めりゃいいじゃん。そんなにつまらないんだったらさ」


「いやだから、僕は楽しいって……」


「そんな顔してるのに?」


 言われて僕ははっとした。咄嗟に手で顔を隠す。鏡で見なくともわかるくらいに、そこにはのっぺらとした顔があった。


「辛いでしょ? あたしといるの? だったらさ、辞めちゃえばいいじゃん? あんたはここにいる理由なんてないでしょ?」


「いや、でも暁さんが――」


「ほら、やっぱり楽しくなかったんじゃん」


 ……語るに落ちるとはこのことだ。ここで先輩の名前を出してしまったのは、痛恨のミスだった。


「なに? もしかして暁狙い? 身の程知らずだね、あんたも」


「違うよッ⁉」


「じゃあどうして? 説明してみなよ」


 なんだか少し腹が立ってきた。

 どうして僕が責められなくちゃいけないんだ?

 僕はずっと我慢してきた。入りたくもない部活に入れられて、同級生の機嫌を取って、どうにか平穏な生活を送れるようにって努力を重ねてきた。


 なのに――


「仕方ないじゃないかっ――――‼」


 底の方に溜まっていた鬱憤が噴き出してくる。


「僕だってこんなことはしたくなかったよっ! どうせすぐに会えなくなる人たちと、ほんの少しばかり仲良くなって、どうしろっていうんだ! 僕は……最初から一人で良かった。それなのに……暁さんが、先輩が無理矢理に僕を巻き込んだんだ‼ 僕は一人で気ままに――静かに過ごせればそれでよかったのに……」


 吐き出して、吐き出して、吐き出し切って、僕はようやく我に返った。


 ……や、やってしまった。

 ど、どうしよう。

 殴られたりしないだろうか……。


 恐る恐る夕星さんの顔色を伺うと、彼女は意外にも穏やかな顔をしていた。

 胸ぐらを掴まれて、ガンを飛ばされるんじゃないかと思っていたのだけれど、実際にはどこか神妙な面持ちで、それでいて柔らかく、彼女は言った。


「んじゃあさ――やっぱり辞めちゃえばいいじゃん、部活なんて」


「あ、暁さんが……その、許してくれないかな、と」


 あの人の滅茶苦茶さはもう十分知っている。僕がこの部を退部するなんて言ったら、彼女はきっと地の果てまでも追ってくるだろう。


「あたしも暁は頭おかしいと思うよ? 馬鹿みたいに強引な手を一切躊躇せず使うこともあるし。時々よくわかんないうんちくも言うしさ。でも、他人が嫌がることを、そんなことは絶対にしたくないって意志を持って明確に拒否することを、あいつはそれこそ絶対にしない」


「でも実際、僕は無理矢理――」


「入部したくないってハッキリ言ったん?」


「え……?」


 あれ、どうだっただろうか?

 先輩を避けて逃げ回るようなことはしたけれど、しっかりと口に出して彼女を拒んだことは――あっただろうか?


「あんたはさ。なんかよくわかんないんだよ。なにがしたいのか、なにを考えてるのか――よくわかんない。あたしらのことをよく思ってない連中とも違うし、あたしらのことを受け入れてくれてる人らとも違う。んで、そのくせニコニコと気持ち悪い笑みを浮かべてる。そういうところが一番むかつく」


 夕星さんはそれだけいうと、また鞄を持って先に帰って行った。一人残された僕は、彼女に言われたことをぼんやりと頭の中で反芻していた。




 ――僕はいったいなにをしたいんだろうか?




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