第5話
僕は良くも悪くも平々凡々な人間だ。
平凡ではなく、平々凡々。
そのくらいに際立ったところがなにひとつとして存在しない。
二つ下の妹いわく『並以下の人間』――らしいけれど(身内に対してひどい評価だ……)、概ね標準的な人間だと言ってもいいだろう。
欠点を強いてあげるとするならば、友達がいないことくらいだ。しかし、それにしたって、僕の素の能力が劣っているせいというよりかは、引っ越しの多さという外部的な原因に起因しているものだと言えるだろう。
数年おきにリセットされる人間関係。誰一人知人のいない新天地。既に出来上がっているグループの輪。これだけの負の要素を背負っているのだから、友人ができないのも当然と言える。
同条件で友達が多くいる妹のことは……――うん、まあいったん横に置いておくとして。
僕は空気が読めるほうだと自負しているし、無為に場を乱すことなんて当然しない。つまり、何が言いたいかというと、僕は別段コミュニケーションに問題を抱えてはいないのである。
それこそ随分と前ではあるけれど、小さい頃は友達もそれなりにいたのだ。もっとひとところに腰を据えていられたならば、僕だって友人の一人や二人できていたはずだろう。
だから――僕の対人スキルが著しく低いわけではない……はず、なんだけれど……
「チッ……」
舌打ちとともにすごい剣幕で睨まれた僕は自信を喪失していた。
「あ、あの、
「別に、なんでもねぇーよ」
僕がこの部室に来てから彼女はずっとこの調子だった。不機嫌さを隠そうともせず、時折舌打ちをしては睨め付けてくる。
――正直すごく恐い。
刃物のように鋭い切れ長の目と、彼女の派手な金髪が僕の恐怖に拍車をかけていた。
……逃げ出したい。今すぐに。
でも、彼女がいったい何に怒っているのか――それが全くわからなくて、僕は蛇に睨まれた蛙みたいに微動だにできなかった。しかも、未だ部室には僕と夕星さんの二人だけしかいないのだ。このひりついた空気がもう十分ほど続いていて、胃に穴が開きそうだった。
と、そこでようやく――
「諸君っ‼ 集まっているかい?」
「おっ、優人くんもちゃんと来ているね! よかった、よかった。もしかすると、来ないんじゃないかと心配していたんだよ」
本来なら遅れてきた先輩に苦言のひとつでも言いたいような場面だが、今の僕は暁さんに救われたかのような気分だった。二人が来て横からの圧力がみるみる弱くなり、僕はやっと呪縛から解放される。
「来なかったらこなかったで、またしつこく付き纏ってくるんでしょう?」
冗談まじりに僕が言うと、
「ははっ、違いないね!」
先輩は笑って肯定する。
いや、そこは否定してほしかったんだけど?
「それに加えて、あることないこと君の噂が校内に広まっていたことだろうね!」
「ほんと最低だよ、あんたっ⁉」
強引で意味不明な勧誘に、不正確な噂の流布、さらには脅迫とやることなすこと滅茶苦茶だ。こんな人が部長でどうして部員が二人もいるのか、それが目下最大の疑問だった。
「とにかく、君が入部してくれて本当に助かったよ」
暁さんは言いながら、僕の隣の席に腰を下ろした。部室の中央に四つの机を合わせたグループが一つあって、その一角に座った格好だ。僕の正面には夕星さんがいるから、最後に空いている対角線の席には小箒さんが座るのだろう。と、思っていたのだけど、小箒さんは対角線にある席を通り過ぎ、部室の奥にあるノートパソコン前の丸椅子にちょこんと腰を据えた。
彼女の定位置はあっちのようだ。
「残念なことに、少し前に部員が一人抜けてしまってね。部を維持するための定員を割っていたんだ。時期が時期だから、なかなか部員を探すのも大変でね。いやー、助かった」
昨日入部届を書いた時にも聞かされたのだが、僕を勧誘した本来の目的は部の存続のためのようだった。
確かに、それなら納得のいく話だ。一年生が入学したての四月ならいざ知らず、九月も末のこの時期に、新入部員を探すのは骨が折れることだろう。少なくとも急に告白なんてされるより、ずっと腑に落ちる理由だった。
彼女は『心外だな、告白も本気だよ』なんて言っていたけれど、それがどこまで本気なのかは……よくわからない。
だって僕だぞ? 妹にさえ『並以下』と評される僕。片や変人とはいえ、容姿だけは端麗な先輩だ。どう考えても釣り合いがとれていないじゃないか。
そりゃ、前回の問答で『恋愛は理屈ではない』と、ある程度納得したつもりではあるけれど、それでも僕に魅力があるとはちっとも思えなかった。
そもそも暁さんは――……いや、今考えるのはやめておこう。
僕は頭を切り替える。
「えーっと、それで……――」
部員全員が集まり、いったんの収まりもついた。これまでずっと詳しくは訊けずにいたけれど、もうそろそろ訊いておいたほうがいいだろう。
そう思って僕は口にする。
――最も基本的な質問を。
「この部は結局なにをする部活なんです――」
「よくぞ訊いてくれたぁ――――ッ‼」
暁さんが勢いよく立ち上がった。
まだ言い切る前だったんだけど?
「我が自由部は前回伝えたように自由を探求する部活だ‼ では、自由とはなにか? 答えは人それぞれだろうが私の見解を述べるのならば、少なくともそれは無意識的に行われることではない。となると当然それは意識的になされるわけだが、今度は意識的とはなにかという話になる。ジークムント・フロイトが確立した無意識は、その名の通り我々には意識できないし、その過程を完全に把握することは人間という神話を終わらせることに直結するだろう。だが私としては、この神話を終わらせる気はほとほとない。未来の心理学者なりがいずれ到達するにしても、その信仰こそが……――」
「あ、あのっ――‼」
「んぅ、どうしたんだい?」
「……もっと手短にお願いします」
こんな矢継ぎ早に説明がくるとは思ってなかった。全く理解が追いついていない。
「そうか、そうだね……簡潔にいうと……」
暁さんは顎に手を当て少し考えてから言った。
「哲学する部」
「最初からそう言えよっ!?」
さっきの御託はなんなんだったんだよ‼
絶対必要なかっただろ⁉
と、そこに『この部って哲学する部活だったの?』
小箒さんが小首を傾げて言う。
「え、適当にだらだらする部活じゃないの?」
夕星さんも驚きをあらわに言う。
「身内すらわかってないじゃないですか⁉」
「まあ、今決めたからね!」
ずいぶんと適当だな、おいっ‼
「あ、今決めたと言っても適当じゃないよ? 真面目に考えた結果さ」
「……どこら辺に真面目な要素があるっていうんですか?」
「哲学ってさ。ほら、真面目っぽいだろう?」
「はぁ? まあ、真面目っぽい気はしますが、それとこれとは関係が――」
「なんの役にも立たないのにね」
「急に毒を吐かないでくれます⁉」
「いや、でも考えてもみてくれよ。『我思う。故に我あり』って言われて、――なるほど‼ ってなるかい? ならないだろう?」
「いやまあ、そうですけど……」
「哲学ってのはね、ほとんど自己満足に過ぎないのさ。科学みたいに必ずしも他人の身になるものでもないし、多くの哲学者は他人のために考えてるわけじゃない。結局、自分の好奇心を満たし、疑問を解消できるならなんでもいい。そういう自由でろくでもない人間たちが哲学者になるんだよ」
恐ろしいほどの偏見だ……。
「そしてだからこそ私は哲学者になりたい‼」
「……ろくでなしになりたい、と?」
「違うよ、自由なろくでなしになりたいんだよ」
変わらねぇよ?
「つまり――なにが言いたいんです?」
「つまり――なにが言いたいんだと思う?」
「……はい?」
「私たちは今なんの話をしていたんだっけ?」
「え? ええと、哲学は自己満足……じゃなくって……ええっと……」
「こうやってけむに巻くのが実にろくでなしっぽくていいと思わないかい?」
「思わねぇよ⁉」
本当にろくでもねぇな‼
憎たらしいほど快活に笑う暁さん。
だがそこで――不意に夕星さんが声を上げた。
「っていうかさ――」
あからさまに棘のある声で、場が一気に剣呑な空気になる。
「本当にそいつ入部させるわけ?」
「おっと、愛美は不満だったかい?」
「……不満ってか、意味がわかんない。そいつ、転校してきたばっかなんでしょ? そんなやつ捕まえてどうすんの?」
「言っただろう? 部の存続のためには、もう一人部員を入れる必要があるって」
「それはそうだけど……それなら悠月を連れ戻せばいいだけじゃん」
「無理だよ。あの子は今、意固地になっているからね。なにを言っても無駄さ。いや、私がなにかを言えばむしろ逆効果だろう」
それをあんたが言うの? と、夕星さんが責めるように言う。
「そもそも、他にいくらでもやりようはあったんじゃないの? うちらが他所から敬遠されてるって言っても、もうちょいマシなやつを見繕うことだってできたはずでしょ? それこそあんたがなりふり構わず勧誘すればさ」
僕もその通りだと思う。暁さんの勇名はいい意味でも悪い意味でも轟いている。例の噂の拡散具合をみても、クラスメイトの噂への食いつき具合をみても、彼女の知名度は相当なものだ。いくら時期的に集めにくいとは言っても、一人くらいは抑えられたんじゃないだろうか? どうして僕をあんな強引なことまでして、勧誘する必要があったんだろう?
ちらりと僕は暁さんの顔を覗き見る。
彼女の顔に動揺はなかった。それどころか余裕たっぷりの笑みで彼女は言う。
「単純な話だよ。惚れた相手だからさ」
「それ――本気で言ってる?」
「もちろん!」
ノータイムで言い切る先輩には全く迷いがなくて、僕と夕星さんは呆気に取られた。
「あっそ。まあ、暁が決めたことならなんでもいいけど……」
立ち直った夕星さんはそう言うと、用事があるからと鞄を持って部室を出ていってしまった。それはきっと彼女なりの不満の表明だったのだろう。部室を出ていく彼女の顔からは納得した様子は全く見受けられなかった。
……この部の未来は前途多難だ。
そしてそれは、僕の未来についても言える。明日彼女と顔を合わせることを思うと、胃がきゅるきゅると音を出して鳴く。やたらドロドロとした昼ドラを見ている時みたいに。
僕はそれがどうにも嫌になって、それ以上考えることを諦めた。
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