第4話

 

 あの後、自由部というヘンテコな部活から脱出した僕は、当然のように付きまとってくる彼女から――天道 暁てんどう あきという変人から徹底的に逃げ回った。


 校内で話しかけられそうになっても直前に回避し、仮に話しかけられても適当な理由をつけて言い逃れる。そんなことを一週間ほど続けると、さしもの彼女も執拗な接触を諦めるようになった。


 意図的に人を無視する行為は少しばかり心が痛んだけれど、あのまま流れで入部することになるなんて真っ平ごめんだ。

 僕は誰かとの繋がりなんて求めていない。ただ平穏に日々を過ごせれば、それだけでいいのだから。


 ――そんなことを思っていた、とある放課後。


 僕は唖然とさせられていた。


「どうしたの、お兄? そんなとこで固まって? 早く入って彼女さんの相手してあげなよ」


 彼女はいた。

 僕の家のリビングに。

 なんなら、爽やかにこちらへ手を振ってさえ見せている。


 というか――


「ちょっと待って、え? 彼女さんって言った⁉」


「え、そうだけど? どうしたの? ついに頭おかしくなった? まあ、あんな可愛い彼女さんができたら、そりゃ壊れちゃうのもわかるけど。もう少し落ち着きなって」


「いやいやいやいや‼ 違うから、彼女じゃないから⁉」


「まーたそんなこと言って、愛想尽かされちゃっても知らないよ?」


 妹の美春みはるは取り合ってもくれない。どころか親しそうに暁さんと話しながら、お茶を出したりしている。


 どうしてこんなことになってるんだ⁉


 全く状況についていけていなかった。ただ、このままぼんやりしていると、事態が悪化するだろうことだけは予想できてしまって、僕は慌てて彼女に近づき、美春に聴かれないように耳打ちをする。


「なにやってるんですか、他人の家で⁉」


「やあ、優人くん。遅かったじゃないか」


「いや、だから、どうして僕の家にいるんですかっ!」


「全くせっかちだね、君は。もう少し余裕を持った方がいい」


「そりゃ慌てもしますよ⁉ ってか、お茶飲んでないで説明してください!」


 先輩はこれ見よがしにやれやれと肩をすくめて見せ、それからゆっくりと口を開いた。


「簡単なことさ。『将を射んとする者はまず馬を射よ』とよく言うだろう?」


 え? えっと、つまり――僕からずっと無視されていたから先に外堀を埋めにきたってことか?


「普通そこまでします⁉」


 言っていて思ったけれど、この人は初めから普通ではなかった。


「っていうか、どうやって話を通したんですか⁉ 妹とは面識もなかったはずでしょ⁉」


 僕なんかよりよほどしっかりしている美春が、兄の彼女を名乗る怪しい女性を疑わないわけがない。それこそ家に上げるだなんて、相当のことがなければあり得ないだろう。


 なのに……


「まあ、決め手はコレだろうね」


 そう言って彼女がテーブルに置いたスマホには、僕と彼女が至近距離で向かい合っている画像が写っていた。

 ……夕星ゆうづつさんに撮られた写真だ。


「偶然を装いながら妹さんと会って、それとなくホーム画面に設定したこの画像を見せた。そして、そこを突破口に言葉を引き出し、会話を繋げて仲良くなったのさ。この程度、私にとっては造作もないことだよ」


 空いた口が塞がらなかった。

 この人はどこまで――


「加えて言うと、君は例え彼女ができたところで家族に言うタイプでもないだろ? むしろ絶対隠そうとするタイプだ。それが信憑性を増してしまったところはあったかな。ああ、それとご両親ともしっかり面識を持ったよ。お二人とも気のいい方々で助かった。まあそれでも、さすがにご家族全員とそれなりに仲を深めるまでには一週間ほどかかってしまったのだけどね」


 顎が外れるかと思った。

 え? 外堀を埋められると焦っていたら、もう完全に埋まってるんだけど?


「それでは改めてよろしく頼むよ、まずは彼氏としてね!」


 にんまりと挑戦的に浮かべる彼女の笑みは、『まだまだこれくらいは序の口に過ぎないよ』と言っているようで、僕は戦々恐々とする他なかった。


 そして、その感覚がすこぶる正しかったと、間をおかず知ることになる。


 

「なあ、葉隠。あの暁先輩と付き合ってるって本当なのか?」


「え、マジで⁉」


「あ、それ私も聞いた!」


「ついに二大巨頭の一角が崩れたのか⁉」


 週明けの教室は朝から大騒ぎだった。

 どうやら僕と暁さんが付き合っているという噂がまことしやかに流れているようだ。

 『あの』なんて言われているあたり、予想に違わず彼女は有名人であるのだろう。まあ、『あの』性格で普段は慎ましやかなど想像もできないが。


 兎にも角にも、僕は火消しに躍起にならざるを得なくなった。だがそもそも噂の発生源が先輩であることは明らかで、そうである以上簡単に鎮火するはずもない。


「いやでも、アーケードを腕組んで歩いてたって聞いたぞ」


「いや、そんなことしてないよっ」


「校舎裏でキスしてたところを見たって子もいるよ!」


「してないよっ⁉ 完全に捏造じゃないか⁉」


「もうヤるとこまでやったって噂も……」


「ンなわけあるかァッ――――‼」


 どれもこれも身に覚えのないことで嫌になる。というか、みんな噂好きすぎだろ。今まで話したことすらなかった僕に、これでもかってくらい食いついてくる。僕はもみくちゃにされ、大量の鯉がいる池に落とされた餌みたいに散々に食い荒らされた。


 

 放課後になると、僕は逃げるように教室を出た。既にこの身は残骸のようなものだったけれど、それでも噂に飲み込まれてしまうのは避けたかった。


 正門を抜け、左に曲がる。普段は右へ曲がり、そのまま家に帰るのだけど、周りにいる人達がまるで僕を監視しているような気がして、人通りの少ない道を自然と選んでいた。


 閑静な住宅街を越え、小道の先の踏切を越え。人通りは徐々に少なくなっていく。

 山間を通る細い道路へと抜けた頃には、僕はもう自分の現在地がわからなくなっていたけれど、しかしまあ、今時スマホがあれば迷うことはないだろう。地図アプリも入っている。富士の樹海じゃあるまいし、家に辿り着けないなんてことはないはずだ。


 時間にも余裕はある。唯一、空を覆う分厚い雲が少しばかり気がかりだったけれど、予報では雨は降らないようだ。


 ――なら、もう少し遠くまでへ行ってみよう。


 纏わりつく視線もなくなり、気持ち軽くなった足を僕は前へと進めた。


 

「うわ、なんだここ……」


 しばらく歩いて、見えていた山の麓まで来ると、厳かな神社の入り口へと辿り着いた。先が見通せないほど細く長い石段と幾重にも連なる鳥居。そしてそれを囲むように樹齢の高そうな大きな木々が所狭しと林立している。


 幻想的な場所だった。静謐で神聖。ここから今にも物語が始まっていきそうな雰囲気がある。これほどの場所であるならば観光地として賑わっていてもおかしくはないと思うのだけれど、それでいて近くに人の気配は全くない。

 選挙ポスターが貼られた物置と、神主さんの住んでいそうな板塀に囲まれた和風の家が一軒だけあって、神社の入り口はその家のちょうど裏手側にあった。


 これなら人目を気にする必要もないだろう。

 僕はすっかりこの場所を気に入って、石段を登り始めた。


 そうして、石段を登り切ると、奥にはこぢんまりとした神社があった。祠というほど小さくはないが、僕が見たことのある神社と比べるとやはり小さい。


 たしかこういうのは、社と言うんだったっけ? 


 年季も相当入っているようで、今にもガタがきそうな見た目をしていた。ただ、その見た目に反して、手入れは意外と行き届いているようで、雑草が伸び放題になっている――なんてことはなかった。


 賽銭箱に五円玉を投げ入れ、鐘を鳴らして二礼二拍手一礼。


 ――暁さんがこれ以上付き纏ってきませんように、としっかり願い事をした後、おあつらえむきにあった近場のベンチに腰掛ける。


 清涼な風が吹いた。

 木々が揺れ、気持ちの良いさざめきが僕の周りを包みこむ。すっと空気を吸い込み、吐き出してみると、嫌なことも一緒に頭から抜け出していくようだった。


 久々に心が休まった気がする。


 思えば、暁さんと出会ってからのここ数日は気が休まる時がなかった。ところ構わず付き纏われて、人心地つくのもままならない。


 本当にあの人は何がしたいのだろうか?

 婚約者だの、新入部員だの、彼氏だの。僕にいったいどうしろって言うんだ?


「ホント、暁さんは何がしたいんだろ……?」


 独り言は空に霧散していく。答えが返ってくるはずがなかった。


「……呼んだかい?」


「……」


 ……聞き間違いだろうか?


「無視とは酷いなぁ、優人くん?」


 幻聴であって欲しかったけれど、残念ながらそれは僕の脳が生み出したストレスの産物ではなかった。石段の方から先輩がひょこっと頭を覗かせている。


「……なにしてるんですか、こんなところで?」


「それは私のセリフなんだけどね。君、ここに来る時、一軒の家の前を通っただろう?」


 神主さんの家のことか?


「ええ、まあ」


「あれ、私の家なんだよ」


 ……なんてことだ。

 僕はもうこの人から逃げられないんだろうか……。

 そんな絶望感が襲ってくる。


 これじゃまるで――


「昔からここは私たち家族にとってお気に入りの場所なんだ。子供の頃にはよく周りを駆けずり回ったものさ。君も気に入ってくれたのなら嬉しい限りだ」


 言いながら近づいてきていた彼女は僕の隣に腰を下ろす。


「それにしても、まさか君がここにいるとは。本当に驚いたよ。いやはや素晴らしい偶然だね」


「偶然、ですか……」


「うん? 偶然だとも。それ以外のなにがあるって言うんだい?」


 彼女の言葉はもっともだった。僕がここに来たのは偶然以外の何者でもない。校門を抜けてから先、僕は気の向くままに足を伸ばし、その果てにここへと辿り着いたのだから。

 けれど、同時に違和感も覚える。

 僕にはどうしても偶然にしてはいささか出来過ぎなように思えるのだ。ただそれは誰かの意図的な介入があったとか、そういうことではなくて、きっともっと超然とした理のように絶対的なもの。


 強いて言うなら――


「運命とか――」


 口に出してしまってから猛烈に後悔をした。

 なんて小っ恥ずかしいことを口走ってしまったんだ僕は……


「運命……ね」


「あ、えっと、すみません、忘れてください‼ いやほら、目の前に神社もありますし、この場所ってなんというか神々しさがあるじゃないですかっ‼ だから、そういうのがあるのかなーてっ、一瞬思っただけで……」


「大丈夫だよ。この出会いが運命だなんて、そんなことありはしない」


「えっ……」


 思ったよりも強い否定がきて、僕は少したじろいでしまった。そんな僕の様子に気づいたらしい彼女はフォローをするように言葉を付け足す。


「ああいや、君に会いたくなかったわけではないよ。ただ……ね。うん。まあこれは、私のこだわりに過ぎないんだが――私は運命という言葉がすこぶる嫌いなんだ」


 彼女にしては歯切れが悪い言葉だった。


「私としても浪漫に理解がないつもりはないよ。君にロマンチックな告白などされたら、私はとても嬉しい。ころっと堕ちてしまうこと請け合いだ。……しかしね。やはり運命は駄目だ。よく創作でもあるだろう? 仲の良い男女が困難を乗り越えて、最後の大一番で『君が好きだ』と告白する。実にいい。私も一人の乙女として、この瞬間は歓喜に震える。しかし、だ。そこに『この出会いは運命だったんだ』と続かれると、一気に冷めてしまうんだよ。何故だかわかるかい?」


「……どうしてですか?」


「いいかい? 運命とは人の意志に関わらず初めから決まっていることだ。そう考えた時、『この出会いは運命だったんだ』という台詞が表すことは――つまるところ『この恋は初めから誰かに決められているもので、自分の意志ではありません』ってことだろう? そんな言葉のなにがいいって言うんだい?」


「それは……さすがに邪推じゃないですか? 捻くれすぎです」


「ははっ‼ 確かに私は捻くれ者だ」


 彼女は快活に笑う。


「――でもこれだけは譲れないんだ。偶然はいいよ。運だって構わない。けれど運命だけは駄目だ。運命は私から全てを奪い去ってしまう。私の選択も、私の責任も、私の自由も。全てを奪い去って、私をただの機械に変える。それらは全て私だけのものだ。決して他の誰にも――例え神様にだってあげてやることはできないさ」


 真剣な面持ちで語った先輩は、だがそこで表情をころっと変えた。


「それに考えてもみたまえ、運命の赤い糸なんてまどろっこしくて仕方がない。好いた相手がいるのに、赤い糸で結ばれているかどうかを気にするのかい? そんなのは馬鹿げているさ。私ならさっさと相手に糸を巻きつけて自分のところまで引っ張っていくよ」


「……先輩らしいですね」


「だろう? わかっているじゃないか」


 暁さんは嬉しそうに言葉を弾ませた。

 本当のところを言うと、僕は彼女の口にした言葉の意味をほとんど計りかねている。

 運命なんて仮想の概念にそんなにこだわる必要があるのだろうか?――と心の中では思ってしまうのだ。

 ただそれを口に出さない分別くらいは僕にもあった。


「私が運命にこだわる理由が知りたいかい?」


「……なんでわかるんですか」


 言わなかったのに。


「わかるとも、君のことならなんでもね。それこそ、私の容姿が君のタイプなのも知ってる」


 なんだよそれ。全く関係ないじゃないか。


「全然タイプじゃないですよ」


「そうかい? おかしいな。君は胸の大きい女性が好みだったはずだが」


「いや、どこ情報だよッ‼」


 デタラメを言うなっ、と責めるように僕は言う。すると彼女は、心底不思議そうに、小首を傾げながらこう言った。


「うん? 君のベットの下からだけど?」


「…………え?」


 どっと汗が噴き出した。思えば、彼女は平然と僕の家に出入りしていたのだ。


 だとしたら、もしかすると――


「またベタなところに隠すよね君も。あれじゃ、ご家族にも筒抜けだ」


「じょ、冗談ですよね?」


「はて、どうだろう?」


 嘘だと言ってくれませんか……。


「ところで今思いついた提案なんだが、君、自由部に入部してくれないかな? そうしたらきっと例の噂も自ずと落ち着くさ。君も周りがずっと騒がしいのは嫌だろう? どうかな?」


「……脅しですか?」


「脅しなんてとんでもない。彼女である私からの可愛い可愛いお願いじゃないか!」


「どこに可愛らしさがあんだよ⁉」


 強引さしかないだろうがっ‼

 彼女はまたも悪魔のような笑みを浮かべて言う。


「運命には抗えないと君が思うなら諦めるといい。私という運命は神様よりもタチが悪いぞ?」


 ――ああ、なるほど、と僕は思った。


 神社に祈った願い事がこうも全く叶わなかったのはそういうことか、と。神様だってこの人の相手は手に余るというわけだ。ましてや、僕の手に負えるわけがない。


「……わかりました、入部しますよ。それでいいでしょう?」


 投げやり気味に僕は言った。


「結構。それでは改めて、今後ともよろしく頼むよ、優人くん」


 彼女は心底嬉しそうに笑う。

 散々振り回された相手なのだから、少しくらいは憎たらしさを感じていいだろうに、その笑顔はまるで太陽のように輝いて見えた。

 元の顔がいいというのは、本当にずるい……。


「ああ、それと……」


「……なんですか?」


「また気が向いたらここに来てみてくれ。きっと悩みが晴れるよ。満月の時なんかは特に」


「またどうして満月の時なんです?」


「私は月が好きなんだよ」


 まあ確かに月明かりに照らされるこの場所は、それはそれは綺麗なんだろうけれど。彼女のその言葉にはそれ以外の含みがありそうで、僕は釈然としなかった。

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