第3話


「私がこんなに熱烈なプロポーズをしているのに、ずっとダンマリだなんて。君は存外ドSなんだね?」


「……違いますよ。勝手に人を変態みたいに言わないでくれます?」


 僕の現実逃避を断ち切ったのは、相も変わらず意味不明な彼女の言葉だった。


 というか、アレ、プロポーズだったの?

 断定系じゃありませんでしたっけ?


 少しずつ頭が動くようになるにつれ、僕は現状に立ち返る。目の前の彼女(氏名不詳)をまじまじと眺め、その正体を明らかにしようと試みる。


 しかし――やはり誰だか見当もつかない。


 ネクタイの色からして、どうやら一学年上の先輩ではあるらしいのだけど、そうなると当然クラスメイトではない。だからといって、まだひとりとして顔を覚えられていないクラスメイト達以外に、知人らしい知人はこの学校にはいなかった。


 それに――


「どうしたんだい? そんなに見つめて。私に惚れちゃったのかな?」


 自分の有り様に欠片も疑問を抱いていなさそうな、自信に満ちた顔。劣等感なんて一度も抱いたことがなさそうな、不敵な笑み。そして、すべてを焼き尽くす太陽のようにギラギラと輝くその瞳を見て、僕は確信した。


 彼女は僕とは別の生き物だ。

 ――言うなれば、別の世界の住人。言い換えれば、異世界人。はたまた、UMA (未確認生物)かもしれない。


 いずれにしても、僕にそんな奇抜な知り合いは一人だっていなかった。


「なにが目的なのかは知りませんけど、とりあえず――離れてくれませんか?」


「どうして?」


「どうしてって……ち、近すぎるからですよっ!」


 俗に言う、壁ドンを受けているような体勢で、彼女と僕との距離は人一人分も開いていない。相手の体温を感じるような至近距離。おかげで僕の視線は足元に釘付けだ。


「なに、気にすることはない。君は私の婚約者なのだから」


「いや、なった覚えありませんけどっ⁉」


「問題ないさ。いずれはそうなるんだし」


「あんたは未来人かなにかかよっ⁉」


「むぅ、頑なだね、君も。私のどこが不満なんだい」


「……どこがというか、なにひとつとして知らないことが問題なんですよ‼ そもそも僕は貴方の名前だって知らないのに⁉」


「――名前がそんなに重要かい?」


「それは……」


 重要だ。


 そう言ってやりたかったけれど、彼女の余裕そうな笑みを見ていると、僕の主張は喉の奥へと引っ込んでしまった。


「名前は――いや言葉は確かに便利だ。一声で私の気持ちを君にも伝えることができる。けれど、それは本来記号にすぎないものさ。私たちのご先祖様だって、そんなものはなしに愛を育んでいたんだよ?」


 それは――そうかもしれないけれど。


「初めて会った相手でも、ですか?」


 愛。


 それがどういうものか僕にはさっぱり分からない。生まれてこの方、誰かを好きになったことなんてないし、好きになられたこともない。


 だけど――


「知らない相手を好きになることなんてできないと思います」


 それだけは僕にも分かった。


「ふむ」


 彼女は僕の言葉を一考するように声を漏らすと、それからゆっくりと身体を離していった。


 なにが彼女の琴線に触れたのかは分からなかったけれど、諦めてくれたのならそれでいい。ようやく人心地がついて、僕は肺に溜まっていた空気を大きく吐き出した。


 しかし――


「では、哲学を始めよう――‼」


 まったく一切まるっきり、なにも終わってなんていなかった。


「疑問を持ったなら、考え答えを出すまでだ。だから、哲学をしよう! 思考をしよう! それこそが自分自身なのだから‼」


 彼女は宣言する。


 部室に置いてあるホワイトボードの前に仁王立ちしながら、これまで以上に楽しそうな笑みを浮かべて。


「そして、今回の議題は――」


 僕の戸惑いなんて彼女は気にしちゃくれなかった。そうこうしている内に、達筆な文字がホワイトボードに書き連らねられていく。


「――これだ!」


 そして、意気揚々と彼女が書き終えた後には――


『初めて会った相手にも恋をすることができるのか?』


 そんなふざけた文言がホワイトボードにデカデカと残されていた。


「当然、私は肯定派だ。君は否定派に回るということでいいかな?」


「え? あ、はい……」


 他に言葉がなかった。話が急展開すぎてついていけない。


「よし! では、私から主張させてもらおう。まず、君。これまで人を好きになったことはあるかい?」


「え、いやないです」


「そうか……。ずっと右手が恋人だったんだね……」


「ちょ、言い方ァ⁉」


 平然と下ネタをぶっこんできた。

 なんなんだこの人は⁉


「そんな可哀想な優人くんは、どんなタイプが好みかな? どんな人なら好きになれると思う?」


「……少なくとも、しょうもない下ネタを挟んでこない人だとは思います」


「ふむ。なるほど。では、私色に染めなければならないね」


「いや、染まるわけがないでしょ」


「では、真っピンクに染めなければならないね」


「そっちの方がなんか嫌なんですけどッ⁉」


 真っピンクとか、下ネタしか話さなそうじゃないか。僕が社会的に死んでしまう。


「冗談はさておき」


「変な冗談はやめてください‼」


「むっつりスケベの優人くんは、どんな子がタイプなんだい?」


「酷くなってる⁉」


 ……もういい。


 下手に反抗しても、こっちの被害が大きくなるだけだ。ここは素直に答えてしまおう。そう思って、考えては見たのだけれど、いまいち考えはまとまらなかった。


 恋愛。


 それはどうしようもなく外の出来事で。自分に関係のあるものとは全く思えなかったからだ。

 僕は仕方なく無難な答えを選んだ。


「優しくて気が合う人、とか……」


 つまらない答えだ。自分でもそう思う。

 けれど、思いの外、彼女は満足気に頷いた。


「なるほど。優しい人か――君らしいね」


 僕らしい? どこが?


「では、続けて訊こう。君が理想とするような優しい女の子がいるとする。そして、その子が君に告白してきた。君はそれを受け入れるかい?」


「それは……まあ、受け入れるんじゃないですかね?」


 僕が告白されるなんてシチュエーションは全く想像できないけれど、話の流れ的にそうだろう。実は優しい子ではなかった、とか。前提を覆されない限り、この選択に問題はないはずだ。


「そうかい? その女の子よりもっと優しい子がいるかもしれないのに?」


 もっと優しい子?


「いや、知らない人を前提にはできないでしょう?」


「そんなことはないさ。自分の知らないものはこの世に存在しない――なんて立場をとらない限り、彼女らは確かに存在するんだから。候補から外すのは合理的ではないだろう」


 ただ勿論、と彼女は続ける。


「私達はただの人間だ。この世にいる全ての人間を把握なんてできないし、知っている人達の中からパートナーを選ぶのも選択肢の内だろう。しかしそれは――」


 彼女は笑った。絵本の中の悪魔のように。


「――妥協と言えるんじゃないかな?」


「……だ、妥協?」


 知っている人の中から選ぶことが妥協?

 そんなことを言ったら、全ての人が妥協していることになっちゃうじゃないか!


「いやそんなことは……!」


 僕は反論しようとした。

 けれど――


「ないと言える?」


 彼女が一声発すると、僕の喉は枯れてしまって、ぐうっと喉を鳴らすことしかできない。


「ふふっ、言えないだろう? 他も同じことさ。可愛い子がいいと言うなら、もっと可愛い子がいるかもしれない。お金持ちがいいと言うなら、もっと凄いお金持ちが。長い付き合いだからっていうのは、理由にもならないね。他の子とそれ以上に長く居ればいいだけなんだから」


 つまり――

 結論を告げるように彼女は言う。


「論理で恋愛はできない。私はそう思っているんだよ」


 僕はそこで初めて、ここにきて初めて、彼女の言葉の意味がわかった気がした。


 ――論理で恋愛はできない。


 確かにそうだ。どんな漫画でも小説でもドラマでも、それは理屈ではなく感情で成り立っていた。


 なら、初めて会う相手にだって……。


「そう……ですね。一目惚れなんて言葉もあることですし」


 正直、一目惚れなんて空想の類いだろうと思っていたけれど、それもあり得るのかもしれない。そう思うくらいに僕は納得してしまっていた。


「そうだろう? 確かに論理的であることは望ましいことだ。昨今は論理的思考なんて言葉が持てはやされているし、情報化社会では特にそれが重視される」


 先ほどまでとは打って変わって、言葉がするりと胸に落ちてくる。彼女のことをだいぶ異常な人だと思っていたけれど、それは間違いだったのかもしれな――


「けれど同時に、私達は言語に囚われていることを忘れてはいけないんだよ」


「――――え?」


「言語は有限であり、思考は言語のみで行われている。つまり、私達は言語という枠の中でしか考えることができない」


 ……あれ?


「しかし、感情や直感は違う。それは完全には言語化できないものだ。君を好きだと言葉で表しても、それで全てが伝えられるわけではない。私の思いは、私にだって理解できるものではない。しかしだからこそ、それは尊いんだよっ! 言語の檻を打ち破り、私により多くの自由を与えてくれるのだからッ‼」


「……すみません。意味が分かりません」


 やっぱりこの人は変な人だった。

 感極まったように目を閉じ、両手を広げて語る様は、紛れもなく変人のそれだ。


「さて、私の主張はここまでだ。次は君の主張を聞かせてもらえないかな?」


 ころっと表情を戻すなり、彼女はそう言った。


「僕の主張、ですか?」


 と、言われても……だ。困った。なにせ僕は既に納得してしまったんだ。この討論もどきにはもう答えが出てしまっている。


 ただ――なにも言わずに負けを認めるのは少々癪だったし、なにより隣から向けられている期待の視線が僕にそれを許してはくれなかった。

 頭を揺らして言葉を探す。


「えっと、まあ……その。初めて会った相手にも恋ができなくもないってことは、僕ももう異論はないんですけど。ただ、先輩が僕に一目惚れなりなんなりをしたっていうのは、ちょっと信じられないっていうか……」

「と、いうと?」


 それを僕に言わせるのか。意地が悪いな。


「見てのとおり、僕は格好がいいとは口が裂けても言えないですから。髪はボサボサだし、背も高くはないし……」


 自分で言っていて悲しくなってくる……。


「だから、僕に一目惚れするっていうのは、ないんじゃないかなって。それこそ――逆だったら分かるんですけどね」


 僕がそうこぼした途端――「それはどういう意味かな?」と彼女はぐわっと身を寄せてくる。


 体温どころか、直接肌が触れ合いそうな至近距離。僕は慌てて下がろうとしたけれど、後ろにはもう壁しかなかった。

 そして、人生で二度目の壁ドンを体験するはめになる。


「逆だったらとは、どういう意味かな?」


「え、いやそれは……」


「――私の容姿は君の好みだったかい?」


 ほぼ抱き着かれるような体勢で耳元に囁かれて、背筋にぞくりと寒気が走った。


「私の顔はどうかな?」


 声に誘導されるように、僕の目は彼女を見てしまう。燃えるような瞳と目が合った。腰ほどまである濡羽色の髪はさらりと揺れ、透き通るような艶やかな肌に妖艶な笑みが浮かぶ。


「私の体は――?」


 見せつけるように彼女は少し距離をとる。僕と同じほどの背丈をしたモデルのような無駄のない肢体が目に入った。


 それに――


「私の胸はどうだろう? そこそこあると自負しているんだけどね」


 僕はキツく目を閉じる。もう僕の脳のキャパシティはとっくに超えてしまっていて、フリーズしてしまう寸前だった。


 ――とにかくこの場から逃げなければ。


 その一心で脱出口に目を向ける。この部屋の唯一の出口。先程施錠された部室の扉に。



 すると――まるで僕の思いを汲み取ったかのように、その扉が独りでに開いた。


「あっ……」


 誰とはなしに言葉が漏れる。


 当たり前ではあるけれど、扉は勝手に開いたわけではなかった。

 扉の先には二人の生徒がいた。

 一人は金髪できつい目元をした不良風の女子。もう一人はタブレットを胸に抱えた小さなリスのような女の子だ。

 二人とも呆気に取られたように僕らを見ていた。


 ――僕らを見ている? どうして?


 一拍の空白の後、復活した思考が動き始めて、僕は遅ればせながら現状を理解した。正確にいうと、僕と目の前の彼女との体勢を。


 壁際で男女が二人密着して見つめ合っている――って、誤解をするなという方が無理のある状況じゃないかっ⁉


「ちがっ、違うんですよ、これはえっと……」


 なんて説明すればいいんだ⁉

 考えてみても、今どういう状況なのか僕が一番分からないんだけど⁉


 僕が言いよどんでいると、おもむろに金髪の女子が動いた。ポケットに手を突っ込み、そこからスマホを取り出すと――


 カシャカシャカシャカシャカシャカシャカシャ――――‼


「いや、どんだけ連写すんだよっ⁉」


「……」


 ガラガラ。


「いや、閉めないでよ⁉」


 しかも無言で閉めたぞ、この人‼

 ――ガラガラ。

 今度は開いた。なんなんだ一体‼


「いやー、ほら。お邪魔だったかなと思って」


 一ミリも心がこもっていない。

 というか、だったら写真を撮るなよ‼


「ちょうどいいところに来た、二人とも」


 先輩は一切動揺している様子がなかった。なんだか僕だけが勝手に空回っているかのような気がしてしまう。


「役者は揃った‼ では、君に二人を紹介しよう!」


 手で二人を示しながら、彼女は続けて言う。


「こちらの金髪で怖いヤンキーの姉ちゃんが、一年の夕星 愛美ゆうづつ あいみだ。こんな見た目をしているが、とっても優しい子だから、仲良くしてあげてほしい。あと胸が小さい」


「……ねえ、なんであたし急に喧嘩売られてんの? おかしくない?」


 紹介された夕星さんがもっともなツッコミを入れる。だが、先輩はさも当然のようにスルーして続けた。


「そして、こっちの小さくてキュートな女の子が同じく一年の小箒 彗こぼうき すいだ。可愛いだろ? あー、ほんと今日も可愛いぞ、スイ!」


 言いながら、先輩が小箒さんに抱きつく。

 小箒さんは無言だった。

 それどころか、やたら暑苦しくハグをされているのに、表情すら微動だにしていない。

 ただ、直立不動のまま彼女が手に持ったタブレットを操作すると、少し間をおいて――


『――よろしく』


 電子的な声が流れてきた。

 急なことに僕はギョッとする。


「……あ、えっとよろしくお願いします」


 そう挨拶を絞り出すのに随分と時間がかかったくらいだ。


「ああ、スイは極度の人見知りでね。人前では基本喋れないから、こうして電子ボイスを使っているんだよ。いささか礼儀に欠けると思うかもしれないが許してやってくれ」


「え、ええ。大丈夫です」


 人見知りってレベルじゃないんじゃないか? 心の中ではそう思ったけれど、さすがに口には出せなかった。


「それでは満を持して――最後にこの私だ!」


 ……そういえばそうだった。

 僕はまだ彼女の名前すら知らなかったんだ。これまでの長い問答を思うと、少し気が遠くなってくる。

 彼女はひとつ喉を鳴らしてから、声を張り上げて言った。


「当学始まって以来の天才にして、月すら羨む美少女。自由部部長、天道 暁てんどう あきだ! 私はこの中では年長の二年生だが、遠慮することはない。親しみを込めて暁さんとでも呼んでくたまえ!」


 小うるさい身振り手振りからの、ようやく明かされる彼女の名前――だったけれど、ただそれよりも、僕は気になったことがあった。


「じ、自由部……?」


 なんだそれ。活動内容が自由ってことなのか? いや、でもそれって、部活動としてありなの? 純粋な疑問が浮かぶ。

 しかし、その疑問が僕の口から漏れ出す前に、すかさず先輩が「説明しよう――!」と、どこぞのナレーションのように解説を加える。


「自由部とは、この不自由で息苦しい世界で、ひたすらに自由を探求していく真面目な部活である。――だから決して、適当な部活を作って、校内で自由勝手できる空間を作りたかったわけじゃないぞ?」


「いや絶対嘘でしょ、それ⁉」


 よく見ると、部室にはゲーム機やら漫画やらが普通に置いてあった。逆に真面目な要素がまったくないまである。


「ソンナコトナイヨ」


 なら片言で言うなよッ‼


「さて! こちらの自己紹介は終わった。次は君の番だ」


 露骨な話題転換だった。

 だがもう、この人の自由な振る舞いにも慣れてきた頃合いだ。下手に口を出すと逆に話が長くるのは想像に容易かった。

 なのでここは、素直に話を合わせるのが正解だろうと、そう思って、


「あーえっと、僕は――」


 適当に名前だけ告げようとしたところ、


「ああいや、君の紹介は私に任せてもらおう」


 先輩からストップがかかる。


「え? はぁ……?」


 なんでだ? まあいいか、どっちでも。


「じゃあ、お願いします」


「ああ、任された!」


 彼女はそう言うと、二人の方を向き直り、ニッと笑みを浮かべる。

 そして、清々しいまでに迷いなく言った。


「彼は私の婚約者にして新入部員の葉隠 優人くんだ。二人ともよしなにしてやってくれっ‼」


 ……知っていた。


 この人は普通ではないと知っていた。


 それでも僕は頭を抱えるしかなかった。


 ――ああ、もうっ‼ 


 ホント自由すぎるだろ、この人――――ッ‼

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