第2話


 九月末の早朝。

 その日は転校後初めての登校日だった。


 普段はぼんやりと日々を過ごしている僕だけれど、この日ばかりは気を張らずにはいられない。


 ――クラスメイトの前での自己紹介。


 これが僕は苦手だった。ちっぽけなことではあるけれど、小心者の僕には大きな試練だ。

 

 とはいえ。


 転勤族の親を持つ身としては比較的よくあることでもあった。

 小中あわせれば既に四回は経験済み。

 うち三回は黒歴史並みの失敗をかましたけれど、その甲斐もあって、無難に済ませる方法だけは熟知していた。


「えーっと、葉隠 優人はがくれ ゆうとです。◯◯市からこっちに引っ越してきました。え、と、よろしくお願いします」


 恐らくは何万何千と使い倒されてきたであろう画一的な自己紹介。僕がつまらない人間だと主張しているようなものかもしれないけれど、僕としてはまったくそれで良かった。


 それに実際問題、僕はこれ以上ないほどにつまらない人間なのである。運動能力、学力、容姿。どれをとっても中の下がいいところ。

 かといって他に特段優れたところもないのだから、本当に神様というのは不公平なものだ、と愚痴を言いたいくらいだった。


 まあ、詰まるところ――僕はモブなのだ。


 それも背景にすら写らないタイプのモブ。その他大勢の中のひとり。誰のストーリーにも登場しない何某。


 変な期待をされてもなにもできないし、なにも起こらない。時期はずれの転校生が物語の起点となり得るのは、漫画やラノベの中だけなのだと、僕は十二分に知っている。


 ……パチ、パチ、パチパチパチ。


 あ、これで終わり? と戸惑いの混じった音がまばらに鳴った。

 僕が席へと足を進めると、みんなの視線は遠ざかり、空気がどこか冷めていく。僕が席に座わる頃には、教室はすっかり日常を取り戻していた。


 ああ、よかった。

 今回は――成功のようだ。


 

 その日の放課後。

 僕は校内を一人で見て回っていた。

 校舎を端から端までゆっくりと歩き、周囲を見渡す。誰かを探しているわけじゃないし、ましてや部活動の見学をしようなんて気持ちがあるわけではないのだけれど、まあ、なんというか、こうしていると少しだけ心が落ち着くんだ。


 要するにこれはただの習慣だった。


 慣れない場所で過ごすのは、疲れるし、不便なことも多い。だから、早く慣れてしまおうと、僕は決まって転校初日の放課後に、校内をひとりで散策するのだ。


 そもそも一人気ままに散歩をするのが好きなんだけれど、これを妹に話したら『いや、ないわ。お爺ちゃんじゃん、それ』とドン引きされたので、あまり口には出さないようにしている。


「校内はこんなものかな――」


 ひとしきり校舎内を見て回った僕は、次に隣接する部室棟へと向かった。


 部室棟はかなり大きな建物で、僕はだいぶ面食らった。前の学校ではプレハブ小屋の寄せ集めみたいな、見るからに安っぽい作りだったというのに随分と違う。校舎も立派なものだったけれど、やはり生徒数の多い学校はここら辺の設備もしっかりしているらしい。


 そんな風に、都会の学校との財力の差に慄きながら、部室棟への扉を開けたところで――彼女と出会った。


 思い返しても異様な光景だったと思う。


 部室棟の入り口。

 そのすぐ側の廊下で人が壁に寄りかかりながら倒れていた。髪の長い女性で顔は見えなかったけれど、体に力はなく、ぐったりとしていて、苦しそうに胸を押さえている。明らかに緊急事態だ。一刻も早く救急車を呼ぶべき状況だったろう。

 けれど、近くにいる学生達は遠巻きに眺めるばかりで、誰一人近づこうともしていなかった。


 ……思えば、僕はここで気づくべきだったのだ。周囲の様子のおかしさに。


 しかし、当時の僕は焦っていた。当然だ。こんな予想外の事態に冷静でいられるはずがない。

 急いで彼女の側に寄り「大丈夫ですか?」と声をかける。返事を期待しているわけではなかったけれど、意識があるかだけでも確かめられればと思ってのことだった。

 だが、予想に反して弱々しいながらも言葉が返ってくる。


「――すまない。部室まで肩を貸してくれないかな?」


 どうやら薬が部室にあるらしかった。言われるがまま肩を貸し、指示された部室へと彼女を連れて行く。


 僕は必死だった。

 他のなにも考えられないくらいに。


 少し考えれば、周囲に声をかけるなり、部室の位置だけ教えてもらって彼女の鞄を持ってくるなり、やりようはいくらでもあったと思うのだけど、そんなことを考えられる余裕は僕にはなかった。


 そして、彼女の言う部室へと着いた時、僕は安堵感から、完全に惚けてしまっていた。


 これもまた不味かったのだろう。




 ――ガチャリ。




 今さっき通ったばかりの扉が閉まる音が鳴った。


 僕が驚き振り向くと、先程まで一人では立っていられなかったはずの彼女は平然と立っていた。


 部屋にある唯一の出口を背にして。


「え? あ、あの――?」


 混乱する僕を無視して、彼女はじりじりと距離を詰めてくる。僕は無意識に後ろへ下がったけれど、すぐに壁へと行き当たってしまった。



「捕まえたよ、優人くん?」



 ――かくして、僕はここへと至る。

 考え直してみても意味がわからない。

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