第9話 月明かりの下で

 隣のひとり用卓には誰も座っていない。いないが料理は運ばれていた。


「遅刻かな」

 俺のつぶやきに萌が反応する。


「旦那様の隣は奥方様の御席よ」


「厨房で料理作ってんのか」


「何をいってるのよ。ご飯は専門の猫がつくるの。料理人……料理猫、とにかくミーを含め西園寺家の猫たちは家事はしないわ。羨ましいわね」

 すちゃらかマザーから家事を押しつけられていた有能な妹が溜息をつく。


「じゃあ、奥様はどこに」


「……」


「どうした」

 萌は周囲の歓談に気をつかうように「あとで教えてあげる」と小さく囁く。

 それからすぐにテーブルに運ばれた野菜サラダに手をつけた。


 料理は普通に料理だった。人間が食べるものと同じだ。

 ただし、その種類は豊富だった。

 テーブルには数種類の野菜サラダが木製のボウルに入れられていた。他に魚や肉料理も並べられている。それらを各自が好きなだけ小皿に取る。いわゆるバイキング方式だ。


 時代劇で見た光景と違う。質素さなんて欠片もなく、実に豪勢だった。

「大金持ちの家だからこうなのかな。他の家庭は目刺しと沢庵だけなのかな」


「余所のお宅は知らないけど、西園寺家は奉公人が沢山いるからね」


「楽しんで頂けておりますか」

 ミーが声をかけてきた。


「いつも、こんなパーティ状態なのか?」


「ぱーてぃ?」

 ミーが首を傾げる。時代劇言葉じゃないと通じないのかな。


「ええっとお、毎日こんな宴会をやっているのか」


 ミーはくすくす笑いながら「皆には毎日苦労かけています。晩御飯くらい楽しんで欲しいとお父様の方針ですわ」と、上座でひとり魚の煮付けを食べている紅ちゃんちゃんこの老猫に微笑えんだ。


 そうか、ミーの父親だったのか。この西園寺の旦那様だもんな。

 それにしても、かなりの年寄りだけど高齢でも仔猫が出来るのか。

 それとも母猫は若いのかな。盛り上がっている宴席にいまだ奥方の席は空白だった。


 とりあえず、いまは腹ごしらえだな。

 唐揚げっぽいヤツを箸でつまんで食べたら、唐揚げだった。猫はニワトリも食うし、それ自体は驚くことじゃないか。しかし味付けは塩味が効いている。リアルな猫には嫌われる味だ。


「やっぱり人間と同じだな」

 萌を囲むナンパな雄猫たちを見ながら俺は空きっ腹に飯を詰め込んだ。賑やかな夜は数時間続いた。




 深夜、トイレに行きたくなった。酒は飲まないといったら代わりに出してきた果汁飲料が美味くて飲み過ぎた。

 長い通路をよたよた歩く。それにしても広い屋敷だなあ。迷子になりそう。土間を下りて外へ出ると、そこは音の消えた一面の夜だった。


 月明かりに照らされる小屋があった。板を打ち付けてあるだけの簡素な作りだ。

「あれかな?」


 ドアノブはない。引き戸だ。

 建付が悪いのか上手く開かない。バタバタやっていると「何をしている」声をかけられた。ビクッと背筋が跳ねた。恐る恐る振り返ると、宴席で少し話をしたキジトラの源次郎だった。


「あの、えっと、と、トイレに、」


 源次郎は首を傾げつつ「といれ?」と呟く。


 そうだった。外来語は通じない。トイレって何て言うのかな。か、かや……かわ……ああ、思い出せないぃぃ。


「色々と物珍しいのかも知れぬが、警戒中の用心棒らに盗人と勘違いされて切られるぞ」


 そういう源次郎の腰には宴席では見なかった日本刀が差してあった。背後に月明かり。ぴんっと横に伸びたヒゲやドングリ眼の猫顔が何故か格好良く感じる。むしろ、それがサムライの風貌に思えた。


「ごめんなさい」


 素直に謝ると源次郎は「ふむ」と鼻を鳴らして「種族は違えど翔太どのも男子よな。此奴の正体に血が騒ぐのであろう」


 意味不明なことを言うと源次郎は袴のポケット状になった中から鍵を取り出す。建付が悪いののではなく鍵がかかっていたのかよ。


「我らが討ち取った戦果だ。御覧になられよ」

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