7月8日(月)
始業のチャイムが鳴る五分前に教室に着いた。朝桐の席に菊永がいたが、人と話す気分ではない。自分の机の横に鞄を掛け、席に座った。チラリと、目だけ朝桐の後ろに向ける。
(……え)
僕は立ち上がって、朝桐の席の前で止まった。
「おはよう、橘」
「よ! 今日遅いな、夜更かしでもしたか?」
窓に寄りかかり微笑む菊永と、座ったまま片手をあげてこちらに笑顔を向ける朝桐。「また朝桐さんの出番かぁ~?」と調子良く言っている朝桐に、菊永が「何それ」と返している。僕はそれに返さず、後ろに視線を移した。
「ここの席、なんでないの?」
「え?」
二人は僕の視線を辿り、何もない空間を凝視する。
朝桐の後ろ。
ミライさんの席があったはずの場所。
「何言ってるんだ?」
菊永が言った。
ひゅっと、喉が鳴る。彼は冗談を言うようなタイプではない。
二人は心配そうな顔で僕を見る。朝桐はさっきまで僕を楽しませようとしてくれていたが、
「……大丈夫か?」
と本気で僕の顔を窺った。
僕は黙り込む。二人は不思議そうな顔をしながらも、話を再開させた。
「で、なんの話してたっけ?」
「あ、そうだ悠紀、聞いてくれよ! こいつ来週の」
「あのさ!」たまらず大声で遮る。
「お、おう」
「なんだ?」
「二カ月前に、転校生、来たよね?」
僕はなんとか単語を口にしていく。二人は顔を見合わせてから、こちらを見た。
「転校生……? 来てないけど……」菊永が顔を傾げる。
「後ろ席はもともとなかったぜ?」朝桐が軽く後ろを見る。
二人は本当に、身に覚えがないようだった。
朝桐が心配そうに言う。
「悠紀、お前大丈夫か? なんか最近、元気ないけど」
「いや……」
心がざわつく。
まさか。
チャイムが鳴り、生徒が席についていく。
「また相談のるぜ?」と言ってくれる朝桐に礼を言い、心ここにあらずの状態で自分の席に戻る。隣の席には阿水さんがすでに着席していた。友達から借りた宿題のプリントを写している。
「やっほー、橘くん。やばいよ~、これ一時間目提出なのに」
「ねえ、阿水さん」
「なあに?」
彼女は僕に笑いかけ、宿題に目を戻す。彼女なら。
「ミライって子、いたよね?」
「……ミライ?」
う~ん、と唸る。宿題についてなのか、それとも。
「……このクラスに、転校してこなかった?」
「えっと、」
今度は明確に僕に向けて言う。困った顔をしながら。
「……誰?」
ミライさんがいないことに誰も触れなかった。名簿からも消えていた。彼女がここにいた痕跡が、一つも見つからない。
ミライさんは、みんなの記憶からいなくなった。
記憶操作。
その四文字が頭に浮かぶ。調査が終了したら僕にかけられるはずだった魔法。
ミライさんのいない学校生活は、あまりに何もなかった。平和で、くだらなくて、心地良い。僕だけがそうなれていなかった。
このことを、ジャスパーさんに早く伝えたかった。しかし向こうの世界に行くことができない僕は、彼が帰ってきた知らせをただ待つしかないのだ。
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