Ⅴ.虚空

7月6日(土)

 目が覚めたら自分の部屋だった。

 どこまでが現実で、どこまでが夢か分からない。あの後の記憶がない。

 リビングに行って両親に挨拶し、朝食を食べる。母さんに昨日の様子がおかしかったことを心配された。そんなにおかしかったのだろうか。やはり記憶がなかった。

(ミライさんは、どうなった?)

 自室に戻り、スマホを手に取る。確認すると、昨晩ジャスパーさんから不在着信が入っていた。折り返すが出ない。

 僕は着替えて『街角』に向かった。しかし今日は土曜だ。本来なら『街角』は休業日で、ジャスパーさんもこっちの世界にいないはずだけれど。

(やっぱりいない)

『街角』の窓にはカーテンがかかっており、人の気配はない。ジャスパーさんにもう一度電話してみるが、やはり出なかった。それに、彼がいなくても、ミライさんは土日も家にいるはずだ。そう思って彼女にも連絡を入れてみるが、結局誰も出ることはなかった。

 やはり彼女はいなくなったのだ。夢ではない。

 それに気付いても、僕にできることはなく、下を向きながらゆっくり自宅へと帰る。

 帰り道の商店街では、笹が飾られ人々の願い事が吊るされていた。明日は七夕らしい。子どもたちが好きな色の用紙を貰い、外に出されたテーブルで楽しそうに願い事を記入している。僕くらいの年齢の参加者はいなかったが、紙を貰い、テーブルに置かれたペンを手に取り、文字を書く。彼女に褒められた字で、綴る。願うしかなかった。


 ジャスパーさんから電話がかかってきたのは夜だった。僕はすぐに反応し、通話ボタンをタップする。

「もしもし……!」

「あっ、悠紀くん? ごめんね、朝とさっきも連絡くれてたみたいだけど出れなくて。……ああ、君が無事で良かった……」

「……いえ、僕も昨日連絡できなくて」

 声から焦りが伺える。こんなジャスパーさんは初めてだ。

 それはそうだ。姪がいなくなったのだから。

「ミライが帰ってこなかったから……。何があったか教えてくれるかい?」

「ミライさんは……」

 口に出すのが嫌だった。

「〈境界〉に連れて行かれて……」

 心臓が握りつぶされる感覚になる。

「……」

 言葉がそれ以上出ない。

「落ち着いて、何があったか話してほしい」

「……誰かが……、学校から帰ろうとしたら、階段の上に、誰かが、いたんです。多分、〈境界〉を作っている犯人だ。話しかけられて、そしたら、急に〈境界〉になって……。ミライさんのネックレスが壊れて、そのカケラから靄が、ミライさんが……」

 一呼吸する。

「……僕だけ、帰ってきてました」

「……そうか」

 少しの無言。電波が悪いのかと思ったが、そうではない。

「とりあえず向こうに報告する。一昨日の、小柳とばりの〈境界〉のことはミライから一昨日聞いた。昨日から両方の世界で行方不明者が増えているんだ。しばらく向こうの世界にいるから『街角』は休業する。帰ってきたら君に連絡を入れるから、思い出したことや気付いたことがあれば、そのときにまた話してほしい」

「分かりました」

 そう言って通話を切った。

 彼が戻ってくるまで、僕にできることは何もないことが分かった。

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