6月27日(木)

 今日は数日振りの晴れだった。

 雫さんと待ち合わせをした後、バスに乗って十分。『街角』の最寄りのバス停で降りて三分ほど歩き、喫茶店に着いた。

「私、喫茶店って初めてなんです」

 バスの一番奥の席で三人並んで座っているとき、雫さんはそう言った。中学生はあまり行かないかもしれない。僕も喫茶店は『街角』が初めてだった。楽しみ半分、ローブの持ち主に会う怖さ半分、と言った感じだった。

 ミライさんが先導を切って入り口を開けると、カランカランと軽快な音が鳴る。彼女の後に雫さんを通し、最後に僕が店に入った。いつものテーブル席には二人組のお客さんがいて、店内BGMと談笑する声が混ざっている。ジャスパーさんの「いらっしゃいませ」が聞こえた。

 入ってきたのが僕たちなのを確認したジャスパーさんは、おや、と微笑む。今日のことはミライさんから彼に伝わっているはずだ。彼は雫さんの前に来て、少しかがんだ。

「こんにちは。君が梅咲雫さんだね。会えるのを楽しみにしていたよ」

「あ、はい、こんにちは。梅咲雫です」

「僕はジャスパー。ミライの叔父だ。ゆっくりしていってね」

 僕たちはカウンター席に座った。一番奥にミライさん、真ん中に雫さん、右に僕という入ってきた順番で。

 渡されたメニュー表からドリンクを選ぶ。迷っている様子の雫さんに、彼女の目の前に置かれたメニュー表に指を置きながら言う。

「僕は普段コーヒーを飲まないから、カフェオレにしてるんだ。美味しいよ」

「レモネード系もいいかもね。炭酸ないし、家ではあまり飲まないかもしれないから。ベリーレモネード、特におすすめ」

 僕に続いてミライさんもおすすめを教えた。彼女がそんな風に言うなんて、珍しいなと思った。

「飲んだことないな、美味しそう」

「ええと、じゃあ、ベリーレモネードにします」

「僕はレモネードにそうしようかな。ミライさんは?」

「いつもの」

「ホット紅茶ね」

 他のお客さんの側に行っていたジャスパーさんを呼び止めて僕がまとめて注文する。しばらくすると目の前に飲み物が出された。

 いつもの丸い木製のコースターの上に置かれた丸っこいフォルムのグラス。透明感のある黄色い液体に輪切りにされたレモンが何個か浮いており、一番上にミントが乗っている。初めてレモネードを頼んだが見た目がいい。

「綺麗……!」

 雫さんの感嘆の声が、横から聞こえる。

 彼女の目の前に出されたベリーレモネードは、グラスは僕のと同じだが色が違っていた。グラスの底に濃いピンク色のイチゴシロップが沈んでいて、ほのかにピンクに色づいたレモネードには赤色のラズベリーと青色のブルーベリーが浮かんでいる。グラスの内側面には輪切りにされたレモンがリズムよく張り付いており、一番上にはやはりミントが乗っていた。黄色とピンク色の二層にグラデーションになっているそのドリンクは、綺麗の一言に尽きるもので。

「かき混ぜて飲んでくださいね」とジャスパーさんは言ったが、彼女はこの色彩を崩してしまうのがもったいないと言うように目を輝かせて、写真を撮っている。普段は落ち着いた大人びた印象の彼女だが、その姿は幼く年相応に見える。

 ミライさんは一足先にティーポットから紅茶をカップに注ぎ、口をつけていた。テンションが上がっている僕たち二人に興味がなさそうだが、「特におすすめ」と雫さんにこれをすすめたのは彼女だ。こうなることが分かっていたに違いない。

 ようやっと飲み始めてしばらく経った頃、洗い物などを済ませたジャスパーさんがこちらにやってきた。カウンター越しに話かける。

「それで、君がローブを持っているんだっけ?」

 雫さんの背筋が伸びる。ミライさんは相変わらず優雅に紅茶を飲んでいる。僕も特に姿勢を変えずにストローからレモネードを吸い上げた。レモンの優しい酸味が広がる。夏らしくていいなと思った。

「は、はい……」

「持っていてくれてありがとうね」

「え? えと、その……」

 ジャスパーさんに優しい言葉をかけられた彼女は思わずミライさんを見る。自分の意思でローブを返していないことを、しっかりジャスパーさんに伝えているのか不安なようだ。

 ミライさんは、「ちゃんと全部話してるから」とこちらを見ずに告げた。

「あの、ごめんなさい。返していなくて」

「いや、いいんだ。無くしたと思っていたから見つかって良かったよ。返すのはすぐじゃなくていいから」

「え、いいんですか……?」

「必要だというなら、本当は君に売ってあげたいところなんだけどね。でもそうはいかないんだ」

「……私が人間だからですか?」

 心臓を掴まれたような感覚に陥った。

「……そうだね」

 雫さんは悲しそうに下を向く。

 この気持ちは僕たちにしか分からない。魔法を使えない、僕たちにしか。ああ、嫌だ。考えないようにしていたことを、自覚させられる。僕は思わず、きゅっと目を瞑る。

 彼女がローブを返さない理由。本当の持ち主が誰か分からないからと言っていたが、本当は別にあるのかもしれない。

 その後お客さんが何組か来て忙しくなってしまったため、ジャスパーさんとは話ができなくなった。会計の際、そのことを彼に謝られたが、雫さんは激しく首を横に振り「レモネード、美味しかったです」と微笑んだ。


  *


「……私、嘘を吐いてたんです。あの、本当の持ち主が誰かっていうのも、もちろん気になってはいたんですけど」

 僕たちはいつもの公園に戻ってきた。昨日と同じように彼女の家の近くまで送って解散でもよかったが、あそこに寄りたいと言ったのは雫さんだった。ベンチには『街角』にいたときと同じ並び順で、僕だけ一つ横のベンチに腰かけていた。

 雫さんは膝の上に拳をつくり、絞り出すように語る。

「あのローブをもらったとき……透明になれたとき、とても嬉しかったんです。ミライさん、人を見かけで判断してはいけないって言ってましたよね。私、しっかり者とか大人っぽく見られることが多くて。でも全然そんなことなくて、本当はすごいあがり症で、人前に立つだけで震えてしまうくらい苦手で。なのに周りからの期待に応えようとしちゃって、応えないと自分がそこにいてはいけない気がして。気付いたら部長になっていて。……そんな人間でもないのに……っ」

 彼女は泣きそうになりながら自身の悩みを打ち明けた。それはきっと、ずっと誰にも言えなかったのだろう。学校の友達でもない、普段の彼女を知らない僕たち相手だからこそ、吐き出せたように見えた。

「……」

 僕たち二人は黙って聞いていた。

 辛かったんだろうな、と思った。魔法を信じて、得体の知れないローブを着てその効果を試してしまうほどに。

 僕はなんと声をかけるべきか分からなかった。人から相談を受けることが苦手だった。僕は何も言えないし、聞くことしかできない。聞いているだけの分際の僕が、無責任なことを言ったことでどうにもならない。僕の言葉で、人の今後が左右されてしまうのではないかと思うと、結局何も言えない。こういうのは聞いてあげるだけでいいんだよ、とも言われるが、何が正しいのかいつも分からないのだ。

「……明日、持ってきますね」

 うつむいた少女は静かに言う。

「……ジャスパーさんはすぐじゃなくていいって、言ってくれてたよ」

 僕はそう言った。彼女がゆっくり、時間をかけて、手放す心の準備が必要だと思った。

 彼女は首を横に振る。

「……あんなに優しい人、待たせてしまうのが申し訳ないです。それに、……」

 僕、ミライさんの順にゆっくりと顔を向ける。その顔は、ベリーレモネードを前にしたときの幼さは消え失せ、いつもの大人びた表情だった。

「お二人も、大変なことしているんだなってことは分かりますし」

「……ありがとう」

 雫さんからローブを持って来ると言った。それは当初の目標通りで、双方が納得いくものだった。はずである。

 しかし、本当にこれで良かったのだろうか。

 そんな心残りが拭えないまま、僕たちは帰路についた。

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