6月20日(木)

 ミライさんと和解したのは一昨日のことだ。

 調査に関しては以前の形態に戻っただけなので特段変わったことはなく、昨日も二人で歩いて回り特に収穫もなく帰ってきていた。

 しかし、変わったことが一つ。

「おはよう、ミライさん」

「おはよう」

 下駄箱で靴を履き替えていると、ミライさんが後からやって来た。僕の登校時間は変わらない。彼女が学校に来る時間が早くなったのだ。そうしようと、僕たちで決めた。

「今日はそっちの話だね」

 自分たちの教室に向かいながら僕は彼女に言う。

「まだこっちの世界の話を聞きたいのだけど」

「僕だってそっちの話聞きたいんだけど。だから交互に話すことにしたんじゃないか」

 僕たちは、自分たちの世界の話をすることにした。お互いの種族や生活、歴史について教え合う。ただでさえ別の世界で生きてきた人間だ。〈境界〉の真相を突き止めるためにも、世界のことをもっと知るべきだと思った。それに、僕たちは言葉を交わす必要がある。それは先日までの僕たちの関係から身を持って知った。

 それに加えてもう一つ利点がある。特にミライさんは社会科系の科目が現在の学業で一番心配な点らしい。中間テストで一番点数が低かったのだと。

 違う世界でも学生としての本分を全うしようとしている彼女は偉いなと思う。だって、いつか帰ってしまうというのに。ミライさんは使命だけを全うしていても何も問題ないというのに。

 自分の住むこの世界のことでさえ知らないことはたくさんあるが、そんな彼女にしっかり応えられるように僕も歴史の教科書を読み返した。何を隠そう、僕の得意科目は現代文と歴史である。

 四階までの階段を上り切って、一組、二組と通り過ぎ、三組に到着する。がらりと、扉を開ける。電気は付いていないが暗くない。朝の光が窓から差し込んでいる。僕は机の間を縫って教室の前方に行き電気と冷房のスイッチをつける。僕がどのクラスよりも早く冷房をつけるため、「三組はいつも涼しい」と他のクラスの生徒がやってくることもある。

 ミライさんはもう自分の席に鞄を置いて、廊下に出て行った。教室を出てすぐにある更衣室に個人のロッカーが割り振られているので、一時間目に使う教材を取りに行ったのだろう。僕もロッカーに行って帰ってくると、彼女はすでに席に座っていた。

 僕は彼女の席に向かい、前の朝桐の席に身体を横に向けて座る。昨日、「そこ、人の席だけど」「朝桐は朝練でギリギリまで来ないから」「……ダジャレ?」「違う」という会話は済ませた。

 僕が座ったのを確認して、彼女は語り始める。

「以前、こっちの世界の勉強していたときから感じていたことなのだけど、向こうの世界とそんなに大きく違いがあるわけではないと思う。歴史や文化はもちろん違うけど、戦争は起こるし、宗教も、食べ物も、生活スタイルもかなり似ている」

「前も言ってたね。似た国もあるし、言語もだいたい同じだって」

「そう。でも二つの世界の決定的な差は、こっちに無いものが向こうにはあるということ」

「魔法?」

「魔法“も”」

 魔法以外もあるのか。僕は向こうの世界に魔法使いがいるということしか知らないのである。

「こっちの世界では幻想とされているものが向こうにはあるの。魔法はもちろん、生物や植物も。それらが文化に差をつけている。こっちでは科学が進んでるけど、向こうでは魔法科学が進んでいる」

 知っていたことだけど、こっちに来たときはかなり違和感があった。彼女はそう言う。向こうとこっち。両方を知っている彼女は違いを見比べることができる。優劣なんてつけることではないが、やはり向こうの方がいいと彼女は感じるのだろうか。

「生物って、もしかしてドラゴンやペガサスがいたり?」

 それを聞いたのは、完全に僕の好奇心からだった。

「存在はしてる。日常生活で見かけるようなものではないけれど。ペガサスはこっちの扱いに少し似てるかもしれない。でもこっちと比べると現実味がある。伝説とか絶滅危惧種とか、そんな感じ」

「へえ……」

 いるんだ。そんな存在が。魔法を初めて見たときにように胸が高鳴る。

「他には、他にはどんなものがある?」

「他には……、妖精。私は見たことないけど。叔父さんが学生時代に見たらしいから、叔父さんに聞いた方がいいかな。いたずらされたって喜んでた」

「うわぁ……」

 天井を見上げて目を瞑る。腹から絞り出したような声が出た。

「……何その反応」

「気にしないで……」

 なんか、心に変なダメージを受けている気がする。彼女から新しい情報が出てくるたびに心が疼いている自覚はあった。駄目だ。真面目な話なんだ。楽しむための異文化交流ではないんだ……!

「水晶で占いとかは?」

「……あの、橘くん。今度話すから今は別の話してもいい?」

「本当にごめん」

「ううん。……こんなに楽しそうな橘くん、初めて見た」

「……楽しそう?」

「うん、とっても。水晶で占いできるよ」

 微かに笑みを浮かべながら言う彼女。僕は恥ずかしくなり、顔が熱くなるのを感じた。

「橘くん、叔父さんと気が合うかもね。叔父さん、人間界に興味があるからあなたからも話してあげると喜ぶと思う」

「……だからジャスパーさんはこっちの世界に来てるの?」

「そう。あくまで仕事の一環だけど。……さて、その話は叔父さんもいるときにするとして」

 彼女は話を戻す。話したいことがあったようだ。

「魔法に関する歴史を話そうと思って。こっちとは、確実に違うことだから」

 それも僕からしたら充分に面白そうな話題だ。黙って彼女の話に耳を傾ける。

「歴史、というより決まりのようなものかも。終わったことではなくて、今もずっと続いている決まり」

 そんな語り口調から始まったのは、向こうの世界を守る魔法使いたちの話。



 この世界は消えてしまいそうだった。


 わたしたちは身も心も憔悴しきっていた。

 逃げた先でも生きるのがやっとだった。


 わたしたちは、どこに行ってもいてはならない存在なのか。

 誰もがそう思った。

 でも、生きたいと思ったからここに来た。


 ある魔法使いが言った。

 彼は全てを創り出した者だった。


かなめ〉を用意しよう。

 世界を維持するためのものを。


 彼は十二の〈要〉を用意した。

 時を刻めるように。

 彼は十二の箇所に〈要〉を置いた。

 空間を維持するために。


 そして自分の魔力を、魂を、十二に分けた。

 彼は自らを犠牲にした。

 こうして世界は守られた。


 しかし魔力は有限だ。

 十二の魔力は枯渇し、廃れていく。

 それではこの世界はまた破滅の危機に陥ってしまう。

 人々が絶望してしまう。

 それは彼が恐れていたことだった。


 彼に守られた、世界の人々は決まりをつくった。

〈要〉を守るため、十二の魔法使いを選ぶようにと。

〈要〉が機能を失う前に。

 世界が壊れる前に。


 それが、わたしたちを救った偉大な魔法使いの願いなのだから。



 彼女は朗読するように、すらすらと語った。

 おとぎ話のような、神話のようなそれが、今でも向こうの世界で語り継がれているものだという。

「三カ月前、一つの〈要〉が壊された」

 話し終わってまず、彼女がそう言った。

「……え? そ、それって、ダメなやつだよね?」

「すごくダメなやつ」

 彼女がこの話をまず最初にしたかった理由が分かった。ちゃんと事件に関係のある話をしようとしてくれているのに、僕は何を楽しんでいるのだろう。僕も真面目に〈境界〉について考える。

「時期的にも〈要〉の破壊と〈境界〉の生成は無関係じゃない。おそらく同一犯」

「犯人は二つの世界をくっつけようとしているんだよね」

〈境界〉は世界と世界の間にできた歪みだ。文字通り、二つの世界の境目を曖昧にしているから起こっている。今はまだ曖昧だが、曖昧ではなくなったら。融合してしまったら。

「やっていることはそう。でも二つの世界が合わさったらどうなるかなんて誰も分からない。そのまま土地が広がっていくのか、それとも統合されてしまうのか。どちらにしても、今の地球の原型を保っていられるとは思えない。そもそも、〈要〉が壊されている時点で向こうの世界が危機的状況なのは間違いない」

「……なんでこんなことをしてるんだろう」

「さあ……」

 全く想像ができないことだ。人々はどうなってしまうのだろうか。世界に住む全人間と全魔法使いが、同じ世界に存在することになるのだろうか。向こうの世界の人でも分かっていないこと。ただ、こっちの世界にいる僕だから気付くことはあるのではないか、と椅子の背もたれに肘をかけ頬杖をついて考えてみる。

「ミライさん、もう一回言い伝え話してくれる?」

「いいよ」

 彼女はもう一度、先ほどの話を唱える。彼女の落ち着いた声を耳に入れながら、ヒントがないか考える。話し終えた後、「紙に書こうか」と彼女が言ってくれたのでお願いした。彼女はルーズリーフを一枚取り出し綺麗な字で書いていく。書き出されていく日本語を見て、あれ、と思った。

「そういえば、その言い伝えって日本語なの?」

「原文は日本語じゃないけど、全世界共通の決まりだから。ちゃんと国が翻訳して出してる」

 向こうの世界に住む人全員が、このおとぎ話じみた決まり事を知っていて守り続けている。こっちにはない、独特な文化だ。

「向こうの世界では戦争は起こるんだよね? 宗教とかは全国で統一されてる?」

「こっちと同じ。いつの時代になっても戦争や差別がある。宗教も地域によって違う」

 国による隔たりや人種による問題がある。信仰しているものも異なる。法律も国によるはずだ。それなのに、この決まりだけはあらゆる壁を越えて全ての人が信じている。

「どうしたの?」

 彼女にとって、向こうにとっては当たり前のことなのだろか。彼女がいつも僕に言うように。

 しかしこっちの世界でも複数の国が同盟関係にある。戦争があるなら、終結の際に条約が結ばれて国を超えた決まり事も生まれる、といったこともだろう。

「これは戦後に生まれた決まりとか?」

「いえ、最初からある」

「最初から……?」

「……何?」

 ミライさんは僕が何に驚いているのか検討もつかないと言った顔をする。

 僕からしたらそれが不思議でならない。

「だって、どんなものにも背景があるものじゃないの? 失敗があったからルールができるんじゃ」

「あるのかもしれないけど……。この件については魔法省――向こうの、魔法関係を取り扱う政府機関ね、そこが管理しているから……」

「ミライさんに調査を命じてる機関?」

「そう。向こうの世界の全ての国を束ねている魔法省だし、実際に〈要〉は存在しているから、誰もが言い伝えを信じてる。……でも、確かに。こっちからすると不思議かもね……」

 どちらの世界にも歴史がある。独自の文化がある。こっちにとっては当たり前でも、向こうからすると不思議なことがたくさんあるだろう。こっちの歴史だけでも膨大だと感じるのに、もう一つ同じ規模の歴史を理解するのも時間がかかる。

 うーん、と頭の中を整理する。

 そういえば、こっちの世界にも魔女がいたな。かつて人を呪い不幸を引き起こし、迫害されていった魔女が存在していた時代が。

 今を生きる僕たちは、それが信仰と幻影の産物だということは分かっている。魔法は存在しないと、科学が証明したからだ。そうやって廃れていった魔女は、今ではキャラクターとなって一人歩きしているが。

 こっちの世界の歴史に興味がある彼女は、魔女狩りのことももちろん知っているだろう。今は知らなくても、勉強熱心な彼女は知ることになるし、もう過去の話だ。魔法を使えないただの人間同士の争いを彼女はどう思うのだろうか。無駄な茶番だと笑うだろうか。

 ふとそんなことを考えたが、僕は本物の魔女を目の前にその話をすることはできなかった。

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