6月11日(火)

 水たまりを避けながら、僕たちは〈境界〉を探していた。昨日は雨が降っていたが〈境界〉探しはいつも通り行われた。もう六月の半ばだ。もうすぐ梅雨入りなのかもしれない。しかし調査は雨天決行なのである。今日は晴れていて良かったなと思いながら歩いていたが、収穫はなかった。

「じゃあ、また明日」

「ええ」

 彼女とは会話をするものの、事件関係や向こうの世界についての質問を僕がするだけで、仲は深まっていない。

 相変わらず学校でも接点がない。席が前後である朝桐は、誰とでも仲良くなるタイプだと思っていたが彼女相手にそれは発揮されていないらしい。席替えをした初日、彼はミライさんのことを「なんか、目つきが怖いんだよな、俺あの人苦手かも……」と言っていた。確かに相性は悪そう。

 ミライさんと別れた後にスマホを取り出す。母さんから連絡が来ていることに気付いた。『今日は仕事で帰りが遅いから、晩ご飯は適当に済ませてね。お母さんの分のご飯もあると嬉しい!』というメッセージ。

 鞄にスマホをしまい、今日の夕飯について考える。帰宅部で家にいることが多い僕は、共働きの親に代わって家事を手伝う。料理もそれなりにできるようになり、母さんが作ってほしいとよく頼んでくる。

 作るか、買って帰るか。どっちにしてもスーパーには寄らないといけなさそうで、近所の商店街に足を運ぶことにした。

 そういえば最近あの店に行っていないな。

 夕方の賑わう商店街に入ったとき、たまに行く弁当屋を思い起こした。弁当だけではなく惣菜も売っているその店に、僕は行くことにした。スーパーはその後に行こう。

 右手側前方に、目的の看板が見えた。最後に行ったのはいつだったか。

(あれ……?)

『すすきの手作り弁当屋』という淡い黄色の看板を掲げた店の目の前まで来たが。

 シャッターが閉まっている。今日は営業日のはずだ。営業時間も十九時までで、閉まるまでにあと二十分以上はある。

 シャッターの前に紙が貼られていることに気付く。「臨時休業」という手書きの文字を読んだとき、後ろから声をかけられた。

「弁当屋さん、当分休みかもよー」

 振り返ると、向かいの八百屋のおばさんと目が合った。

「えっと、どうされたんですか?」

「あー……、ちょっと、こっち」

 歯切れが悪そうだった。僕に手招きする。そして駆け寄った僕に、声を潜めて教えてくれる。

須々木すすきさんがね、いなくなっちゃったらしいわよ」

「え!?」

 須々木さんとは弁当屋の店主のことである。

「最近、行方不明事件とか物騒でしょう? やーねぇ。無事だといいんだけど」

「そ、それ、いつの話ですか!?」

「今日の朝はお店開いてたから、お昼過ぎくらいじゃないかしら。店番してた須々木さんが急にいなくなったんだって。おばさんのところにも警察の人が来たのよ。何か見なかったかって」


  *


 僕はミライさんに電話した。何か分かったら早く連絡しろと口酸っぱく言われていたからだ。

 僕も商店街の入り口まで戻り、彼女の到着を待つ。

 彼女が到着する頃にはもうかなり日が沈んでいて、商店街の街灯や店の明かりが主張していた。

 彼女は走って来てくれた。軽く息を整えてから「行こう」と、僕に案内を促する。

「ここだよ」

『すすきの手作り弁当屋』と書かれた店の前まで戻ってきた。

 この店は、日中は近所の住人、業者、仕事の昼休憩の人がやってくる。唐揚げやコロッケなどの惣菜も売っており、夕方以降は主婦が夕飯のおかずとして、部活帰りの学生が家に帰るまでの軽食として買っていく。

 味だけでなく近所付き合いも良い店だ。お客さん一人一人に対して丁寧に接するのがこの店の良いところで、親しみやすいと評判である。商店街ならではの賑やかさがある店だ。

「……どう?」

 シャッターの張り紙を真剣な眼差しで見つめるミライさんに聞いてみる。彼女の胸元にはカケラが入ったネックレスがあるが、光ってはいない。彼女は眉をひそめる。

「……〈境界〉の気配はない」

「でも、店番中にいなくなったって」

 ミライさんは顎に指をかけて考え込む。須々木さんはどこに行ってしまったのだろうか。

 ずっと佇んでいると、「あの」と女性の声がした。僕たちに声をかけたようで、振り返るとその人と目が合った。四十代後半くらいの穏やかそうな女性だ。髪の毛を後ろでひとまとめにしている。

 あれ、この人。

「……須々木さんですか?」

「あ、……はい」

 僕が名前を言うと、彼女は少し驚いたような表情をして肯定した。

 彼女は店主である須々木さんの奥さんだ。かなり重苦しい空気である。それはそうだ。旦那さんがいなくなったのだから。

 店の目の前で立ち止まる僕たちに声をかけたのだ。邪魔だったかもしれないと思い謝罪する。

「すみません、こんなところにいて……」

「いえ、今日はもうお店やってなくて。ごめんなさいね。……あなた、もしかしてたまに買いに来てくれる子じゃない?」

 まさか覚えられているとは思わず、驚きながらも「あ、はい」と答える。須々木さんの奥さんはやっぱり、と呟いた。

「ごめんねぇ。また来てくれると嬉しいわ」

 彼女は悲しそうな表情を僕に悟られないようにと、微笑んだ。

 聞くべきかどうか、正直迷った。しかし須々木さんがいなくなったときの話を聞かないといけないと思った。

「……須々木さん、いなくなったんですか?」

 奥さんは、僕がその話を知っていることに驚いた様で、目を見開いてから「……そうなの」と呟いた。

「いつ、いなくなったんですか」

 詳しく聞けるかもしれない。もう少し踏み込んだ質問をすると、彼女は「……一回、中に入りましょうか」と静かに言った。


  *


 僕たちは客側の出入り口ではなく、従業員用のドアから中に通された。アルバイトをしたことがない僕は店の裏側を初めて見て少し緊張した。

 入ってすぐの事務所のようなスペースで、立ったまま奥さんは話し始めた。

「そちらはお友達? 初めまして」

 彼女は僕と一緒にいるミライさんのことを聞いてきた。二人で来て、店の前で立っていたのだ。なんて説明しよう。

「ええと、ここの弁当美味しいから一緒に行こうって約束していて」

「……」

「まあ、ありがとうね」

 ふふふ、と微笑ましいというような顔をされた。誤解された気がする。ミライさんに至っては一切話さないで空気と化している。僕がいたたまれないから何か話してほしい。

 奥さんは笑みを消して目をそらす。

「……来てくれたのに、本当にごめんなさい。あの人、お昼の忙しいときにはいたのよ? いつも通り、業者さんやお昼休憩のお客さんでバタバタしていて。それが落ち着いた頃に、店番をしていた私を休憩に行かせたの」

「何時くらいですか?」

「十四時過ぎよ。私が裏でご飯食べてる間、店番をしていたはず。そしたら三十分後くらいに、お店の方からお客さんの声がしたの。すみませーん、って。あの人が表にいると思っていたから最初は行かなかったんだけど、もう一度呼ばれて。様子を見に行ったら、お店にはお客さんしかいなかった。最初は外にでも行ったのかと思って、私がそのお客さんの注文を受けたわ。どこか行くなら一言声かけてくれれば良かったのにって思った。でも十分、二十分経っても戻ってこなくて。出て行ったのなら表からだから、向かいの八百屋さんが何か見ていると思って聞いてみたのよ。そしたら誰も見てなくて」

「それで通報したんですか」

「ええ。先に防犯カメラを見たんだけど、あの人、カメラから消えたのよ。お味噌汁のカップ……、分かるわよね、セルフサービスのお味噌汁」

 僕は頷く。

 店内に入って右奥に設置されている味噌汁サーバーのことだ。買い物をすると味噌汁が一杯無料でもらえる。サーバー横の小さな机に、味噌汁の具だけが入っているプラスチックのカップが並んでいる。それをサーバーにセットしてボタンを一回押すと一杯分の味噌汁が自動で出てくるのだ。あとはプラスチックの蓋で閉めればこぼさずに持ち帰ることができる。

「そこのカップを補充しようとトレーにカップを乗せて、カウンターから出て店内を歩いているところは映っていたの。でも、急に、ぱっと消えてしまって……。持っていたお味噌汁のカップも消えているのよ」

 それは例の行方不明事件の特徴でもあった。消える直前までは防犯カメラに映っている。しかし、一瞬で消えてしまうのだ。それが霊の仕業なのではないかとオカルト界隈で騒がれている大きな要因でもある。しまいには実は人に攫われていて、それを国が隠蔽しようとしているのではないかという陰謀論まで出ていた。

 奥さんは防犯カメラを見て巷で騒がれている事件だと思い、警察に通報した。カメラから人が消える現象は被害者が〈境界〉に足を踏み入れたからだろう。話を聞いて、須々木さんが〈境界〉に迷いこんでいることが確信に変わった。

 しかし、だ。

 先ほどミライさんは〈境界〉の気配がないと言っていた。ネックレスも光っていない。

「店内、見てもいいですか」

 そう言ったのはミライさんだ。

「ええ、いいけど……」

 僕たちは表に移動する。カウンター側から出て、そこまで広くはない店内を歩く。いつも惣菜が置かれているテーブルには値札だけがまとめて置かれていた。もう片付けたのだろう。

 ミライさんは鋭い眼差しでキョロキョロと店内を見回す。

 ミライさんが質問した。

「他に変わったことはありませんか」

「警察にお話したことはだいたい……」

「なんでもいいので。今日だけじゃなく、ここ最近のこととか」

 やけにぐいぐい聞くなぁと思ったが、これはただの行方不明事件ではない。ある意味、オカルト説が一番近いのだ。得られる情報はなんでもいいから手に入れたい。それは分かるが、どうしたものか。ただの高校生が事件に首を突っ込もうとしているように見えなくもない。

 しかし奥さんは嫌な顔をせずに答えてくれる。

「そういえば昨日、特に落ち込んでいたわ」

「え、須々木さんも落ち込むんですか」

 店に立つ須々木さんはいつもおおらかで、そんな様子は想像できなかった。

「……最近、売り上げが少し落ちたのよね。気にしているみたい」

 たまにふらっと買いに来るだけの高校生が店側の事情を知るわけがないのだが、こんなに温かくて人情に溢れるような店だ。常連も多いのだから、客が離れることがない限りは安定していそうなものだけれど。

 僕が不思議そうな顔をしているのを見て、奥さんは「色々あるのよ」と言った。

「昨日は特に落ち込んでたって何かあったん——」

「みうのせいなの!」

 静かな室内に、三人のものではない高い声が響いた。僕の声を遮ったのは店の奥から出てきた小学校中学年くらいのポニーテールの女の子だ。何度か見掛けたことがある。確か須々木さんの一人娘だ。ランドセルを背負って学校から帰ってくるところを目にしたことがあるが、話したことはない。

 奥さんが「娘の美雲みうです」と短く紹介した。美雲ちゃんは奥さんのもとへ駆け寄りそのまま奥さんの後ろに隠れてしまうが、美雲ちゃんの目に涙が溜まっているのが見えた。

「みうがあんなこと言ったから、お父さんいなくなっちゃったんだ……!」

 涙がそのまま溢れてしまい、母親の腰に抱き着き顔をうずめた。奥さんはそんな美雲ちゃんの背中を優しく撫でて慰める。

 泣いている子どもを相手にどう声をかけたらいいか分からずにいると、ミライさんが口を開いた。

「何を言ったの?」

 美雲ちゃんは更にぎゅっと母親の服を掴む。

 奥さんがこちらに視線を戻し、ミライさんの質問に答えた。

「昨日、変なお客さんが来たの。かなり厄介で……、言いがかりに近かったわ。酔っぱらっていたし。そのクレーマーにあの人は下手に出たの。でもそれが正しかったと思う。あの場を穏便に済ませるには、ああするしかなかった」

「それが昨日落ち込んでいた理由なんですか?」

 僕が聞くと彼女は頷き、「接客業やっているとね、どうしても変な人はいるのよ」と言った。

 気のいい須々木さんの接客で忘れそうになるが、この店でもそういうことが起こるのか。

 僕はそんな人に出会ったことがないのでどれほど悪質なのかはよく分からないが、テレビなどで見る限り本当に大変そうだと思う。

 しかし、と思う。それが原因で落ち込んでいたのなら、美雲ちゃんは何故自分のせいだと言っているのか。

「美雲ちゃんは、どうしたんですか?」

「そのときのことを丁度学校から帰ってきて見ていたらしくて。昨日の夜、この子が色々言っちゃったのよ。情けないって。喧嘩にはなっていないけれど、気まずくなっちゃって」

 クレーマーに謝る父親が、小学生の娘にどう映ったか。

 ただでさえ気が落ちていたときに自分の娘からもその話を掘り起こされ、あれこれ言われた。追い打ちになってしまったと、美雲ちゃんは思っているのだ。謝ることもできないまま、お父さんは姿を消してしまった。戻ってこなかったら、少女はそのことを一生後悔していくのだろう。

 連れ戻さなければならない。

〈境界〉に取り残された気持ち。友人が行方不明になったときの、残された側の衝撃や不安。両方の気持ちを僕は知っている。これは何かの間違いなのではないかと現実を疑い、しかし間違いなく現実であるという事実を世界に突き付けられる。こんな感情、今すぐにでも取り去ってあげたい。

 僕は屈んで少女と目線を合わせる。泣きじゃくる少女に優しく語りかけた。

「美雲ちゃん。君のせいじゃないから大丈夫だよ。お父さん、きっと帰ってくるから。また美味しいお弁当作ってもらおうね」

「……っうん」

 美雲ちゃんはいっぱいいっぱいになりながらも大きく頷いた。よし、と僕は姿勢を真っすぐに戻す。

 後ろで黙っていたミライさんに、他に聞きたいことはないかを小声で聞く。小さく横に振ったので、僕は奥さんにお礼を言った。

「こんなときにお話聞かせてくれてありがとうございました。……須々木さん、戻って来るといいですね」

「ええ、こちらこそ心配してくれてありがとう。また来て頂戴ね」

 僕たちは入ってきたときと同じ裏口から出る。

 商店街の入り口に向かって歩く。弁当屋から少し離れたタイミングでミライさんに問いかけた。

「何か分かった?」

「お店の中も〈境界〉は感知できなかった」

「じゃあどこに? 話聞く限り〈境界〉っぽいけど……」

「……もしかしたら特定の時間にしか出ないのかもしれない。たまにそういう〈境界〉があるの。日が出ているときに行けば、もしかしたら」

 そんな条件付きの〈境界〉もあるのか。ますます不思議である。

「じゃあ明日の放課後、すぐに行こうか」

「ええ」

 商店街の抜けたところで、ミライさんと別れた。

 ミライさんと歩いている途中に思い出したのだが、僕はスーパーに寄らないといけなかった。僕は再び商店街の通りへと入っていく。もう母さんが帰ってくる前に作り終わることはできないだろうから、惣菜だけ買うことにした。

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