Ⅱ.言葉
6月7日(水)
「あ、朝桐!?」
騒がしいクラスメイトの話し声の中から、誰かが呼んだその名前を自然と耳が拾った。本から目を離し、反射的にそちらを見る。僕だけではない。クラス中の視線がそちらに向く。教室の扉に立つ朝桐を捕らえた。わっと、彼の周りに人が集まる。
「朝桐~! 無事で良かった~!」
「久しぶり朝桐くん」
「お前が行方不明になったって聞いて、俺、俺……!」
〈境界〉から朝桐を連れ戻し、僕が協力を引き受けたあの日から三日が経った。
朝桐はあの後、無事に一人で帰れたようだった。夕方には僕の連絡に返信が来たからそれは分かった。彼が行方不明になり、そして無事に帰ってきたことはみんなに伝わっていた。
「あはは、みんなありがとう! めっっっっちゃ元気だから!」
朝桐は腕をぶんぶん振り回してアピールする。本当に怪我はないようだ。舞台の上にいるように大げさに「朝桐陽、ここに復活しました!」と宣言し、みんなを安心させる。僕も声をかけたかったが、今じゃなくていいかなと思った。
僕は本に目を戻す。
どこまで読んでたっけ。ああ、ここだ。
「悠紀、おはよう!」
一行も進まないうちに、朝桐がこちらに来た。荷物も持ったままだ。
「おはよう。大丈夫?」
「大丈夫大丈夫。心配かけたな」
彼に何があったのかは本人からなんとなく聞いていた。警察で事情を話したり、念のため病院で検査したり、親に泣かれたり。色々あったみたいだった。
僕はというと、親と先生に盛大に怒られた。それはそうだ。昼休みに勝手に学校を出て行ったのだから。担任からしたら朝桐の行方不明を伝えたすぐ後に起こったことだ。仲が良い友人が事件に巻き込まれたショックで飛び出したのだと思ったのだろう。だいたい合っているし、悪かったと思っているので何も言えない。
菊永が担任に僕が帰ると言って飛び出したことを伝えてくれていたらしいのと、〈境界〉から帰った後に菊永の連絡に返していたこともあり警察沙汰にはまだなっていなかった。特に親には心配されていたので連絡は入れるべきだったと反省している。朝桐がいなくなっていてもたってもいられなくなったと説明すると理解はしてくれたが、それでもあなたが動くことではないと注意された。学校から連絡を受けた母は仕事を早退して帰宅し、僕がいなくてひどく心配したらしい。ただでさえ行方不明事件が巷を騒がせている。朝桐に引き続き、僕までいなくなったらもう、大変だ。
素行が悪くないこともあり、大事にはならなかった。ミライさんはというと転校してきた際、家庭の事情で遅刻や早退があると説明していたらしく、何も言われていなかった。きっとジャスパーさんとも口裏を合わせていたのだろう。
休んでた分のノート見せてくれ~、と言い残して自分の席に戻っていく。始業までまだまだ時間がある。さすがに部活の朝練には顔を出さなかったようだ。ノートを持って彼の席についていく。
「はいこれ、ノート。数学は始まるまでに返して。英語は一時間目が終わったら貸すから」
「おお、サンキュー! まじ助かる!」
「テスト、朝桐の分まとめて帰って来るな」
「げえ、そうじゃん! 一気にダメージが……」
うう、と苦しそうに呻き撃沈する。いそいそと数学のノートに数日分の授業の板書を写し始めた。
視界の隅に白色が見えた。ミライさんが、教室に到着した。
(あ……)
何か、声をかけた方がいいのかと、ここ数日迷っている。だってもう他人ではない。
そう思っている間に彼女は朝桐の後ろの席に着く。しかし彼女の前の席の横にいる僕に見向きもしない。学校では話さない方が良いのだろうか。
僕たちは学校では話さない、という決まりを作ったわけではなかった。それどころか学校生活でどう振る舞うかなんて何も話し合っていない。僕たちは以前と同じ距離感を保っていた。ミライさんは前々から一人を貫き通しているし、僕たちが急に話し始めたらきっとクラスのみんなは疑問に思うだろう。そのくらい接点がなかったのだ。結局今日も何も言えずに、タイミングを逃した。
朝桐の隣の席の女子が「朝桐くん大丈夫だった?」と心配そうに声をかけ、他のクラスから演劇部員が顔を出して「今日部活出れるのかー?」と大声で呼びかける。朝桐はそれに笑顔で答えていった。
「お、朝桐。大丈夫か?」
菊永もやってきた。
「大丈夫大丈夫。これ、朝だけで何回言ったかな……」
「そりゃそうだろ。みんな心配してたんだ。橘なんか学校飛び出して」
「おい、言うなって」
「え、何それ知らない話!」
朝桐に言っていなかったことを、菊永にあっさりとばらされる。
「こいつ、昼休みに先生に何も言わないで飛び出したんだぜ」
「あはは! お前やるなぁ!」
「お前が言うな!」
他人事すぎる朝桐に思わず突っ込んだ。二人とも無事だったから、笑い話にできるのだ。
*
何もないまま放課後を迎えた。
すれ違い様に「また明日」と声をかけてくれるクラスメイトに同じように返し、教室を後にした。ちなみにミライさんの姿はもうなかった。
校舎を出る前に図書館に行き、本の返却を済ませる。校門を出て、自宅とは反対方向に歩き出す。放課後は調査をするためにミライさんの家に行くことになっている。家に帰らず、鞄を持ったまま向かうことにしていた。どちらの家も徒歩圏内であるため遠くはないが、反対側ということもある。また、帰りが遅くなる場合『学校に残っていた』『友達と遊びに行った』と言い訳をするために家に荷物を置きたくなかった。
歩いて二十分ほど。喫茶店『街角』に到着すると、僕がドアを開ける前に彼女が出てきた。準備を整えて入り口付近のカウンター席で待っていた彼女は、僕に気付いてすぐに外に出てくれるのだ。準備と言っても制服姿のままなので鞄を置いただけなのだけれど。
「今日もよろしく」僕が言う。
「うん、よろしく」
そんな淡白な挨拶を交わし、僕たちは歩き出した。
調査の流れはこうだ。
まず〈境界〉の位置を割り出す。次に〈境界〉に入り、その空間を作り出している元凶である魔力の塊、カケラを壊す。そして向こうの世界に報告する。それはジャスパーさんがしてくれるそうなので、彼に報告すればいい。
「〈境界〉、今日は見つかるかな」
「さあ」
この数日間、行方不明者の情報をもとに見回りをし、〈境界〉の場所を特定するのが主な行動だった。朝桐がいた〈境界〉以降、次の〈境界〉はまだ見つけ出せていない。行方不明事件の情報や向こうの世界からの情報を頼りに、指定された地域を歩いて地道に探すしか方法はないのだ。
「どこに行く予定?」
「六丁目まで行く」
「歩き? 結構時間かかるよ」
「帰りはバスを使う。嫌なら来なくていいけど」
「いや、歩くのは好きだから大丈夫」
やはり彼女は僕がついてくることが嫌なのだろうか。ときどき、会話の中でしれっと帰りを促される。しかし調査の手伝いをすることになった以上、僕もついて行かなければいけない。若干の居心地の悪さを感じながら彼女の横を歩く。
ミライさんは学校では隠しているネックレスを出していた。肌身離さず持ち歩いているらしい。
「それ、昼間でも光ってたら気付く?」
変化を見せずに大人しくガラスの中に入っているカケラを指さす。
魔石は同じ魔力に反応するとジャスパーさんは言っていた。そのため同じ魔力で生成されたカケラがある〈境界〉に近づくと光る、らしい。〈境界〉にいるときに青白く光っているなとは思っていたがよく観察していたわけでもないし、あの淡い光だ。明るいときでも気付くことができるのだろうか。
「分かりにくいかもね。〈境界〉に近いほど、光は強くなるけれど」
分からないことを聞くと、やはり彼女は親切にも教えてくれるのだ。嫌な顔一つせずに、当たり前のように。偏見であるが本当に嫌なら無視でもしそうなのに。だからこそ、彼女の考えがよく分からない。
「見逃してしまうこともある?」
「見逃したかなんて、それに気付いて『見逃した』って思うまで分からなくない?」
「た、たしかに」
「どんなに注意していても気付かなかったのなら、そこにはきっと〈境界〉はなかったの」
うーん、哲学的だ。
「あるかもしれないよ?」
「そう思わないとやってられないから。それに、見つける手段はカケラだけじゃない。魔力を持っている者は他人の魔力を感知することもできる。このネックレスは魔力感知しやすくなるし目視もできるようになる。分かりやすいからって渡されたものだけど、なくても私が気付くから」
「へえ、すごいね」
すごくない、と彼女は呟いた。どうしても僕の感覚で話してしまうが、魔法が使える人ならできると言っていた。向こうの世界ではみんなできることなのだろう。
「魔力に気付けるってことは、犯人もわかるんじゃないの?」
もし犯人が近くにいるなら、という話になるけれど。
「本人の身体に流れる魔力は分からない。魔法として外に出たものや、魔力の残留とか、そういうのものじゃないと」
「現場に残される証拠みたいだね。血痕とか指紋とか」
血液のようだ。体内に流れ続けているが、血が通っている管は皮膚でおおわれていて表面には現れない。普段は見ることは基本ないが、怪我をすることで身体の内側から外側に流れ、離れ、痕跡となる。指紋も似たようなものだ。残された跡によって誰のものなのか判断がつく。
「物騒なことを言うのね」
「あ、あはは」
朝まで読んでいたミステリー小説に影響されてか、思考がそっちにいっていたみたいだ。
適当に道を練り歩きながら一駅分の距離を行く。周囲を注意しながら、たまにカケラを確認しながらの歩みはゆっくりとしたもので、通常より時間がかかっている。
放課後はこうしてミライさんについていき、違和感や気付きなどがあれば教えてほしいと言われている。生まれ育った街だ。何かおかしいことがあれば気付くことができるかもしれない。しかし今のところ何も違和感はない。
魔力を感知しようと顎に手を当て真剣な表情でいる彼女の邪魔にならない程度に、事件のことを聞く。小説に出てくる探偵や警察の行動を思い出す。まずは分かっている事件の情報を知らなければ、きっと気付くことはできない。でなければ、先ほど彼女が言っていたように「そこには何もなかった」と結論付けられてしまうから。
少し先で自動販売機が見えた。涼しい顔をしているが、彼女の住む世界はどういう気候なのだろうか。
「少し休憩しない?」
「大丈夫」
「僕が疲れたんだよ。お茶飲むだけだから」
ガタンと落ちてきたペットボトルをかがんで取り出す。ミライさんも水を買っていた。
「自販って、向こうにあるの?」
迷いなく購入できている様子を見て質問をした。彼女は蓋を開けながら「ある」と短く答えた。
「魔法の世界にもあるんだ」
「ここと大体同じだと思う。ただ、科学の進みは向こうの方が遅いかもしれない。魔法があるからでしょうね。魔法や魔法具があるから生活自体に差はあまりないけれど」
「ミライさん、ここでの生活に馴染んでるしね」
この世界と向こうの世界は多少の文明の違いはあれど似ているようだ。でなければ他の世界の学校に通うこともままならないだろう。彼女が授業中に先生にあてられたときも正答しているし、中間テストの結果もよかったと聞く。
「そういえば言語ってどうなってるの?」
フィクションではこういった言語問題は翻訳してくれる道具や魔法で解決される。物語によってはそもそも最初から会話ができることに触れられないこともある。ご都合展開だ。
ミライさんやジャスパーさんも、何か魔法を使っているのだろうか。それとも世界を跨いでも意思疎通はできるようになっているのだろうか。そもそもどんな魔法があって、できること、できないことがあるのかが分からない僕は、「翻訳の魔法とかあるの?」と聞く。彼女は首を振った。
「意思疎通を図る魔法はいくつかあるけれど、言語はどうにもならない。見ている現象や物体は同じで、発音が違うだけだもの」
「んん、難しいことを言うね」
言いたいことはなんとなく分かるが、瞬時に理解することが難しい。本は読むが、堅苦しい本を僕は読まないのだ。というか読んでいる高校生は少ないだろう。少なくとも僕の周りにはいない。
「単純に翻訳する魔法はないってこと。魔術なら可能だけれど」
「じゃあミライさんとジャスパーさんは?」
二人とも流ちょうに日本語を話す。そういえば彼女が転校した初日に「日本語上手だね~」とクラスの女子に話しかけられていた気がする。彼女はなんと返していたか。
「向こうの世界とこっちの世界で、存在する言語は大体同じなの。国も似てる」
「じゃあ支障はなかったんだ」
「こっちの世界でいう日本に似た国に、幼い頃住んでたことがあって。そのときに学んだ」
「ん? 君の住んでた国は日本語じゃないってこと?」
「そう。私の国は英語圏だから。こっちに来るときにまた勉強した」
「……日本語、上手だね」
「まあ」
それ、みんなに言われたと言葉を零す彼女は、何度も同じ質問をされたのだろう。そうだ、「前に日本に住んでいた」と、教室でも答えていた気がする。実質、本当のことだったのか。世界が違うだけで、彼女の言語のルーツはそこなのだ。
「そろそろ行こう」
「あ、うん。ありがとう」
休憩は終わりだ。歩き出す彼女の背中を追う。
なんとも不思議な関係だ。同じクラスなのに教室で一度も話したことがない。友達とも言えない。この調査では彼女が主体だ。ただの人間の僕は彼女について行く。きっと対等ではない。
信頼はしている。しかし親しくはない。
ミライさんとジャスパーさんは二つの世界を脅かす魔法使いを突き止めたい。ジャスパーさんは〈境界〉に入ることができないから、僕に協力を頼んだ。僕はなりゆきで手伝うことになって、同じ目標は持てていないかもしれない。でも、人が消えるのが嫌だから協力を選んだ。
これは、利害の一致だ。それが一番しっくりくる僕たち三人の関係性だった。
今日も何も見つけることはなく、十八時頃にバスに乗る。席は埋まっていたため、出口の扉付近で並んで立つ。向こうの世界にはバスはあるのだろうか。気になったが周りに人がいるので聞くことはできなかった。
バス内の正面ディスプレイに僕の家の最寄りが映し出されアナウンスされる。ボタンを押した。
「じゃあ、僕ここだから。また来週」
「ええ」
彼女を残し、僕はバスを降りた。
土日は基本調査をしないらしい。彼女と〈境界〉で出会い、共に調査をするようになった、怒涛だったこの週が終わった。
まだ始まったばかりだが、果たして自分は役に立てるのだろうか。
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