乙女ゲームのヒロインに転生したTS少女(闇)は、何一つ気づかずに剣を片手にマイペースに生きる
さえぐさ
1章
第1話 夢の終わりと、始まり
とある地方を治める領主の館の一室。
額に汗をにじませた少女が、質の良いベッドで寝ていた。湿っぽい吐息に、苦しそうな声。熱に、夢にうなされていた。
『あぁ、またこれだ』
一人の男の人生。寝て起きてはまた寝る。延々と繰り返す日常。劇の観客のように見せられた。劇と違うところは、席を立たせてくれないことだった。どんなにつまらなくても鑑賞することから逃げることが出来ない。それどころか、主人公と呼ぶには値しないような男に乗り移ったように進行する。鉄の鳥が空を飛ぶような見知らぬ世界。その世界や男のことについて、何も知らないのに全てを知っているかのような気がしていた。
『またいつものようにつまらない』
悪夢だった。ただ見ているだけで、自分は身動きが取れない。主人公らしき男に何の干渉も出来ない。主人公というのは物語の中で何かしら活躍するものだと思っていたが、ここでは違っていた。ただただ、何も起こらない。そんな日常を繰り返していく。時折り何か思い立ったように行動しようとするも、何かと言い訳を付けて何もしない。そんな毎日。
『いつまでこれが続くんだろう』
あらゆる出来事が永遠に繰り返されるのなら、見せられているこの男の人生は地獄に値するだろう。だが、主人公たる男はそこまで苦しんでいるようには見えなかった。あらゆることに言い訳つけることだけが得意だった。見ていると苦々しかった。何故だろうか。分からない。ただ辛かった。早くこの悪夢が醒めてくれと思うのと同時に、いっそ醒めなくてもいいから何か干渉させてくれと強く思った。けれど、今回も何も変わらないまま終わりがやってきた。
「……様、……お嬢様っ――」
浮かび上がった意識。少女が自分を呼ぶ声を認識すると、状況を理解した。
目を開けると、少女にとって一番見知ったメイドの少女がいた。
「――大丈夫ですか? マリはもう心配で……」
少女を起こしたメイドは、この館で働いているマリという少女で、起こされた少女は館の主の娘だった。歳は十歳で、二人は同じ歳だった。少女の名はアリシア。身分に捕われず使用人と冗談を交わしたり、何か面白いものはないかと探したりするような、多くの人から好かれる少女だった。
「私はどのくらい寝てた?」
「今回は三日です」
マリは辛そうにして答える。まるで自分のことのようである。
しかしアリシアは意に介した様子はない。自分の身体の状態ならよく分かっている。起きた後に不調を感じたことはない。それどころか、少し活力さえ感じるほどだ。
「だからいつもより長く感じたのか」
「はい。奥様も心配なさって何度もいらっしゃいました」
「そっか。――いつもありがとう」
アリシアはベッドから起き上がると、飛び降りるように地面に立った。
「お体がっ」
「――大丈夫だよ。これもいつものことだし」
他人からすれば、今の今まで寝込んでいた人間が急に動き出せば心配してしまうものである。
「……今日くらいは安静になさったほうが」
「元気なのに寝る子供なんていないよ」
「私はお嬢様が心配です……」
悲痛な顔のマリにアリシアは少し罪悪感を抱くも、あんな夢を見せられた後である。動かないでいるなんて出来なかった。あの夢がもし自分の人生を予言しているのなら、否定してやりたかった。その為には動くことが一番だと考えていた。
部屋を飛び出した後、階段を掃除しているメイドに目をつけた。
「何か手伝うこととか」
「これは私達の仕事なのです。お嬢様が掃除なんてされなくてもいいのですよ。もし気になるところがあれば、申し付けください」
つまるところ邪魔らしい。感じ取ったアリシアは口をとがらせた。
次はどこに行こうかと考えたところで、小腹が空いていることに気付き、厨房に向かった。
「――お嬢様、大変失礼ですが調理場にいられても困ります。後でお持ちしますので部屋で休んでいてください」
ここもダメらしい。アリシアは去った。どこへ行こうか廊下を彷徨っていると、聞きたくない言葉が聞こえた。
「っあ、お嬢様! 遅れた礼儀作法の――」
アリシアは走って逃げた。
といっても行ける場所は館内と限られているし、いたるところに人の目はある。すぐに捕まって、礼儀作法の授業を受けさせられることになった。安静にするかとかなんとかの話はいつの間にか消えていた。
「――どうして逃げるのです?」
キリっとした講師からアリシアは叱責されている。講師の人間は、五十そこらのマダムで講師として評価が高い。厄介な貴族の問題児も数多く請け負ったことがある熟練の講師である。王族ですら、マダムを見ると背筋を正すとかいう噂まである。そして今もしっかり問題児を請け負っている。
アリシアは年齢に似合わず口が少し達者で、今回も上手いこと誤魔化そうとした。
「逃げているのではなく、気持ちが先に進むのに合わせて体が動いているだけなのです」
「……私も貴女のようなタイプは初めてです」
「褒められても真面目に受けるかどうかは分かりません」
「褒めていません。そして真面目に受けなさい」
アリシアは頬を膨らませた。
「でも、面白いものだけ学べたら幸せだと思いませんか」
「学びたくないからって学ばないでいるわけにはいきません。人はやりたくもないことをやって生きています。生きるとはそういうものです」
「では生きるとは、人生とはなんですか」
「私は礼儀作法の講師として呼ばれていますので、その疑問に答える義務はありません」
「うーん」
アリシアは言葉に詰まった。初めのうちは上手いこと禅問答のようにして時間を浪費してしまえたが、対策されてしまい付き合ってくれなくなった。
「なんで礼儀作法なんて学ばなければならないんですか」
「貴方が不当に低く見られないためです。つまり、同じ文化や教養を有する仲間であることの証明をするためにおぼえるのです」
「えー」
「えー、じゃありません」
講師はため息をついた。
とはいえ、幾人もの貴族の子どもを相手してきた講師にとっては、アリシアは大変だと思う程ではなかった。逃げ出す癖があったり、屁理屈で何とかやり過ごそうとする等はあるが、いざ始めてしまえば真面目に取り組む。また、性格に嫌なところがない。奔放さがありつつも、まるで大人のように他者の存在を前提として考えることが出来ていた。
「分かりました。貴方の習熟度に応じて自由時間を用意しましょう」
「自由時間ですか?」
「ええ。貴方に定められていたこの時間は私が自由に決めることが出来ます。つまりこの時間この部屋の中においては、私は貴方を見ていないことにしても構いません」
「おお」
アリシアの笑顔を見て、つられて緩みそうな表情を抑えつつ講師は服のポケットを押さえた。中に飴ちゃんが入っている。手渡すと、互いに口に入れる。契約完了の儀礼のようなものだ。
「んまい」
嬉しそうなアリシアに、講師の硬い表情筋もついに緩んだ。
飴ちゃんを頬張ったアリシアは大人しく礼儀作法を学んだ。
――とにかく今を楽しく生きよう。
この当時のアリシアはそう思っていた。
◇◆◇
アリシアには2歳下の弟がいる。大変評判の良い弟だった。アリシアの家は騎士の家系で、過去に武功によって爵位を賜ったまま功績を重ね続け、その爵位と領地を増大、維持し続けている。
とはいっても安泰というわけではなかった。他領からの侵略もあれば逆もある。領地の奪い合いは常だった。それに加え、領地の東端に大きな森があった。世界には人間だけが生息しているわけではない。いわゆる動物という存在もいれば、モンスター、もしくは魔物と呼ばれる生き物も存在した。モンスターとは、人類と絶対的に敵対関係にある危険度が高い生き物を指した。
そのモンスターが東の森から侵入してくることがある。大抵はゴブリンという、成人であればどうにか出来る程度のものだったが、数が膨大であったり、ゴブリンだけでなく他のモンスターも侵入してくることがあって対処が厄介だった。
そんな油断出来ない状況もあって、アリシアの家では子どもの教育に熱心だった。凡愚だと領地を保ち得ない。領主の子どもは、幼少の頃から勉学に励み、戦闘訓練も受けた。
弟の名はディルといった。ディルは優秀だった。どれをやっても人並み以上。まだ八歳ということもあって、まだ大人より優れているというほどではなかったが、同じ年頃の子どもと比べれば一目瞭然だった。両親とも大いに期待した。
そんな中、アリシアはそういった期待はあまりされてなかった。度重なる高熱で寝込むことから、体は強くないという評価をされており、実際にあれこれとやらせてみても、大抵は人並みだった。弟のディルとアリシアとを比べると、もうすでにディルの方が勉学も戦闘も優っていた。
とはいってもアリシアの扱いが悪いことはない。
それに人から評価されやすい能力というのは、同じことをやらせて競わせた際に、他者より優れていることが判断出来るもののことである。
そういった観点で見れば、アリシアの特技は気付きにくいものであった。
アリシアは自分の意の通りに人を動かすことが得意だった。他人の感覚を、自分の感覚のようにして考えることが出来た。これはまだ当人すら気づいていない。才能なんてものはそういうものである。
面白く生きるためには、その為の努力が必要だ。そう考えたアリシアは特に意味のない交渉ごとをメイドたちによく行った。これ以上に面白い遊びはなかった。何やっても二歳も下の弟に負けてしまう勉学も戦闘訓練も、他人から比較されずとも自分から比較してしまい、途中から苦しくなった。どれだけやっても敵わないのだ。何より誰も期待していない。やらなくても文句は言われない。自分に求められていることは分かっていた。礼儀作法をマスターし、笑顔で対応すること。良い印象を与えて、言われた通りに生きる。
ふと魔が差したように考えることがあった。まるであの悪い夢のようだと。夢の中で着ているスーツなる服を着ているような感覚だった。そしてその前兆をアリシアは感じ取った。
「ねぇ、マリ」
自室でメイドに話しかけたアリシアは、いつものように思いつきのお願いをした。
「――って感じで」
「かしこまりました」
「上手く言っておいてよ」
「上手くも何も、『お嬢様が』と加えるだけで通りますけどね。……もっとも最近では言う必要もなくなりました」
さらに一言付け加えた。
「それと、夕食には栄養のある食事をお願い」
「理由をお聞かせいただいても?」
「多分、また今夜寝込む」
「今、お体はっ」
「平気」
アリシアは笑って見せた。
「いい加減慣れたからね。でも、多分今度ので最後だと思う。そしていつもより長引くと思う。だから体力をつけないといけない」
「それは――」
言葉を詰まらせたマリに対し、アリシアは穏やかだった。
「実は最後だけは気になっていたんだよね」
アリシアはもうとっくに気づいていた。見ている夢の男が自分だということ。そして今日、その自分が死ぬ時のことを体験するのだろうことも。
マリが出て行って一人になった部屋で、アリシアは呟いた。
「……最期まで同じだったらどうしようか。何もなく生きて最期はあっけなく事故で終わりなんて、観客だったら怒るだろう。半々の私はどうかな」
自嘲するように鼻で笑うと、急に眠気は来た。
「――何だ、事故のようにぶしつけだな。まだご飯も食べてないというのに」
薄れゆく意識。抵抗せずに従った。
◇◆◇
セピア色の世界が少しずつ色付いていく。
いつも通りの道を行く、いつもの通勤光景。バスも電車も規則通りでいつも通り。もっともいつも通りでなければ苦情が来るだろう。自分だってそう。もし自分がいつも通りでなければ交通機関のように苦情が来てしまうだろう。どこから来るかは分からないが、きっとそう。そういう世界を生きた。
住宅街の路地を歩いている。道の途中の公園で子どもが遊んでいる。いつもはこんな朝早い時間は誰もいない公園だったけれど、今日は親子連れがいた。引っ越してきたばかりだろうか。根拠はないけれどそう思った。朝のまだ半分寝ている状態では、子どもの声は頭に響く。足を早めて立ち去ろうとすると、
「あっ」
足を早めるのは少し危険であることに気づいた。この路地のこの時間には、いつもしかめ面をした男が運転する軽トラックがやって来る。いつも寝不足そうで、今から仕事なのか、それとも今まで仕事だったのか分からない様子で、この路地には相応しくない粗雑な運転でやって来る。
足を止めて耳を澄ますと、いつもの音が聞こえなかった。例え大雨の日でさえ聞こえていたあのトラックの音である。聞こえないわけがない。何故か胸騒ぎがした。世界は繰り返すことを強制されているはずだ。急に不確定の世界に放り出されても、不安しか抱けない。自分だっていつも通りを求めている。
ゴム製のボールの弾む音がした。その音は高かった。土よりも硬いものに当たったような。振り返るとボールがアスファルトの上をハネていた。そして子どもが道路にまで走って追いかけて来ているのが分かった。
その時、ようやくいつものトラックの音が聞こえた。ただいつものトラックの音は、いつも通りではなかった。獣が威嚇しているような音。曲がり角から現れたそのトラックはいつもより速度が出ていた。そのために、いつもより膨らんで曲がり、その分で敷地の塀を擦った。まずいと思ったのか、運転手は大きくハンドルを逆にきった。明らかな悪手だった。このままの進路だと自分にやって来る。ここの歩道は線で引かれてあるだけで、ブロックのようなものはない。
――まずい。
そう思いすぐさま道の反対側まで走った。ふと子どもが気になって振り返ると、子どもはボールを抱えた頃合いで、まだトラックに気づいていない。自分の後ろだ。轢かれるような位置ではない。改めてトラックを確認すると、逆側に渡る前の自分を避けるため、つまりいつもの自分の位置に合わせて再度ハンドルをきったのか、結果的に今自分がいる地点に向かって来ていた。
運転手と目があった。目の下の濃いクマが歪むくらいに、大きく目を開いていた。まるでどうしてそこにいると言わんばかり。いつも通りだったら、反対側にいたはずだろう。何故かそんな心の声が伝わった。
考えは無かった。反射的に振り返り、子どもを掴み上げ、向こう側に放り投げた。
視界が急転すると、アスファルトの地面に血が見えた。息が上手く出来ない。痛みはよく分からなくて、全身が温かくて冷たい。どういうわけか、生まれて初めて息をしたような気になった。横転した視界の奥の方、道の隅に名も知らない白い花が咲いていた。いつもあったような気もするけど、初めて見たようにとても綺麗だった。生まれ変わるには充分な美しさだった。そういえば今日は少し温かった。
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